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【卑弥呼の献上品と明帝からの賜物】
景初二年十二月、倭王卑弥呼は魏王に
「男生口四人、女生口六人、班布二匹二丈」
を献上している。
それに対して魏王は卑弥呼を「親魏倭王」として金印紫綬を与え、
使者の難升米、牛利にも銀印青綬を賜与した。
さらに「絳地交竜錦五匹・絳地スウ粟ケイ十張・セン絳五十匹・紺青五十匹」
卑弥呼個人に対しては、
「紺地句文錦三匹・細班華ケイ五張・白絹五十匹.金八両・五尺刀二口
・銅鏡百牧・真珠・鉛丹各々五十斤」
を与えるとしている。
これらの品は「皆装封して難升米、牛利に付す。」とある。
【少帝からの賜物】
正始元年条には、魏王少帝は太守弓遵、建中校尉梯儁等を倭国に遣わして、
倭王と直接会って、「金帛・錦ケイ・刀・鏡・サイ物を賜う」とある。
景初二年条に記された賜物と正始元年条に記されているものとが
同じ物かどうかが大きな問題となる。
【卑弥呼は景初三年銘鏡を手にしたか】
景初二年の時の魏王明帝は一か月後の景初三年正月に死んでしまう。
慣例に従って景初三年は成立し、
次に即位する少帝の正始元年は翌年から始まる。
景初二年十二月に明帝が詔勅し装封までしたものと、
正始元年に太守弓遵、建中校尉梯儁等の使者が倭王に手渡したものが
同一であろうか。
なぜ問題となるかというと、日本で発掘された三角縁神獣鏡に
「景初三年」と「景初四年」の銘があるからである。
「景初四年」は問題外として、
「景初三年」は明帝が装封を命じたものと同じであれば
卑弥呼が手にすることはないからである。
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