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【「弥生」のはじまり】
国立歴史民俗博物館が炭素14年代測定を繰り返すことによって、
弥生時代の始まりが3,000年前にさかのぼることは確定したといえる。
年輪年代測定法でもほぼ同様の結果が出ているという。
BC11世紀、BC1,000年頃から弥生時代は始まった。
【「論衡」の記述】
中国の史書である「論衡」には、
「周の時、天下太平、越裳(えっしょう)白雉(はくち)を献じ、
倭人(わじん)鬯艸(ちょうそう)を貢す」 (巻八、儒増篇)
「成王の時、越常、雉を献じ、倭人暢草を貢す」 (巻一九、恢国篇) という記述がある。
周の時代に倭人が中国に貢献することなどありえない、
倭人とは「中国国内の倭人」のことだというのが学界の定説だった。
しかし弥生時代がBC1,000年にさかのぼることになると、
周成王(BC11世紀頃在位)に日本列島から朝貢していても
それほどおかしいことではなくなる。
【太伯の後】
太伯は周の文王の兄である。文王は成王の2代前の王。
「魏略」などにある卑弥呼の使者が「太伯の後」と自称したとする記述は、
太伯のことを覚えている周からの一団が
BC11世紀頃に日本列島にやってきていた可能性を感じさせる。
【陶塤(とうけん)】
陶塤は殷から周の時代の土笛。
下関市の綾羅木郷遺跡で最初に(1967年)発掘され、
「弥生時代前期〜中期にかけて響灘沿岸部や山陰・京都北部に
広く分布することが判ってきました。」(東京国立博物館、1089ブログ)
陶塤の出土は殷から周時代にかけて
中国大陸と日本列島間の交流があった可能性を表している。
陶塤が朝鮮半島から全く出土していないことから、
中国との直接交流があったということだろう。
【周からの渡来で始まった弥生時代】
縄文時代最晩期の倭人と
「周王朝との交流や周時代の人民の逃亡によって
北九州の水田稲作が始まった」
(「ゼロからの古代史事典」伊ヶ崎淑彦『陶塤が語るもの』より)
そのことが弥生時代の始まりのきっかけの一つであることは間違いなさそうである。
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2014年08月12日
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