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【本辞には登場しない若沼毛二俣王】
若沼毛二俣王(若野毛二俣王とも。紀は稚野毛二派皇子。
父:応神帝、母:咋俣長日子王之女、息長真若中比売)は、
記・紀における存在感は系譜の重要性にある。
古事記(応神記)には応神帝の皇子女は合計26人いると記されている。
応神帝の後継を3人の皇子が争う様相が描かれているが、
若沼毛二俣王は含まれていない。
【8世紀の近畿天皇家にとって重要な若沼毛二俣王系譜】
応神記の最後に応神帝の子孫系譜が記されている。
子孫系譜は若沼毛二俣王からの系譜である。
皇位を継いだ大雀命(仁徳帝)は当然天皇系譜の中にあるが、
皇位を争った大山命でも宇遅能和紀郎子でもなく、
若沼毛二俣王系譜が記されていることに意味がある。
古事記を作成した8世紀の近畿天皇家にとって
欠くことができない系譜なのである。
黒沢幸三氏は「日本古代の伝承文学の研究」の中で、
「若野毛二俣王の系譜は、神功皇后の胎中にあって
三韓征討に参加したといわれる応神と息長氏の密接な関係をあらわしており、
しかもこの系譜が継体につづいてゆくことは、
『古事記』の成立過程における息長氏の特別な位置を暗示する。」
と述べている。
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2015年02月11日
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