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【応神帝の后、皇子女】
古事記には応神帝の10人の后と27人の皇子女(男12名、女15名)が
記載されている。
古事記本文には「此天皇之御子等併廿六王、男王十一、女王十五」
となっていて系譜の記載と異なっている。
いろいろな帝紀を集めてきて構成したための計算ミスだろう。
何らかの事情で男王一人の系譜を付加したことも考えられる。
【応神帝の後継者争いに無関係だった若沼毛二俣王】
応神記では三人の皇子が後継者争いを繰り広げている。
大山守命、大雀命、宇遅能和紀郎子の三皇子である。
大山守命と大雀命の母親は
成務帝の同母弟五百木入日子命の子品陀真若王の娘の姉と妹。
宇遅能和紀郎子の母親は丸爾氏出身。
三皇子の争いは応神帝が宇遅能和紀郎子を指名したにもかかわらず、
大雀命が即位して仁徳帝となる。
若沼毛二俣王は後継者争いではその他の皇子女のひとりにすぎなかった。
【息長氏の位置を高める若沼毛二俣王系譜】
応神記の巻末には、
若沼毛二俣王が母息長真若中比売の妹弟日売真若日売命を娶って、
7人の子女を生んだことが記載されている。
長子の大郎子(亦の名意富富杼王)は継体帝の祖先で
三国氏など有力氏族が子孫として記載されている。
第二子の忍坂之大中津比売命は允恭帝の皇后で安康帝、雄略帝の母である。
黒沢幸三氏は「日本古代の伝承文学の研究」の中で、
この若沼毛二俣王系譜は、
「息長氏の考察にあたって最も基礎的な資料になるもの」
と記している。
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2015年02月16日
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