のんびりと古代史

自分なりに「削偽定実」を試みる。

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【聖徳太子は仏教政治萌芽の象徴】
彦人大兄皇子と厩戸皇子の子供の代、
田村皇子と山背大兄皇子が推古帝崩御後の皇位を争った状況を見てきた。
日本書紀は崇仏の事実がない
敏達帝⇒彦人大兄皇子⇒田村皇子(舒明帝)の勝組に、
日本国の揺籃期に仏教政治の萌芽が実在していたことを付加するために、
聖徳太子の事績を創造し厩戸皇子にかぶせて表現している、と解釈した。

【推古帝の遺言をあいまいにした理由】
日本書紀は推古帝の遺言によって田村皇子が即位したと記す。
田村皇子即位の正当性を「推古帝の遺言」に託している。
推古紀の中で聖徳太子の事績を徹底的に美化しているので、
読者は推古帝が聖徳太子の息子ではなく田村皇子を推したことを奇異に感じる。
奇異に感じる読者の意識を考慮したのだろうか、
激しい群臣達の争いを描いて敗者である聖徳太子側の救いとしている。
山背大兄自身が推古帝は自分を指名したと発言することによって、
推古帝の立場を反聖徳太子にならないように考慮している。

【「汚れ役」はいつも蘇我氏】
最終的に断を下したのは蘇我蝦夷だった。
後に山背大兄を滅ぼすことになるのは蘇我蝦夷の子の入鹿である。
聖徳太子一派を絶滅させる「汚れ役」をすべて一手に引き受けた蘇我本宗家は、
乙巳の変で責任を取らされることになる。
もし聖徳太子の子孫が生存していたら、
近畿天皇家の中でそれなりの地位を与えていなければ不自然である。
創作された聖徳太子からの流れをどこかで寸断しておかないと
辻褄が合わないことになるのである。
蘇我入鹿の山背大兄殺害は、
聖徳太子一派の上宮家と蘇我氏本宗家を
歴史の舞台から消し去るための重要な場面で、
その結果漁夫の利を得た息長氏と中臣氏が覇権を握ることになる。

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