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【「旧唐書」と「日本書紀」の矛盾】
旧唐書に倭国と日本国は別種であると書いてあるにもかかわらず、日本書紀は唐との良好な関係を主張するために倭国と隋・唐との関係を都合よく書き換え、構成しなおしてあたかも全て大和を中心とする日本国の出来事であるかのように作り上げています。
【倭国から日本国への変遷】
隋書の多利思北孤=日出る処の天子、隋滅亡・唐建国後の遣唐使、白村江の敗戦などは全て倭国の出来事です。倭国は白村江の戦の後急速に衰退していき参戦しなかった近畿勢力との力関係が徐々に逆転して行きます。
正式には703年(大宝3年、長安3年)に日本国が唐に送った遣唐使(粟田真人など)が唐(正式には武周)の承認を得て国際的に「日本国」は成立するのですが、日本書紀に描かれた壬申の乱(672年)以降実質的に倭国と日本国の力関係は逆転していたのでしょう。
粟田真人は国際的に承認された「初めての日本国人」といえるかもしれません。
【県犬養三千代と藤原不比等の登場と役割】
天武8年(679)氏女の制の頃に出仕したと考えられる県犬養三千代、持統3年(689)判事として登場する藤原不比等は、
日本国の揺籃期に登場して天皇家の側近として相対的な存在であった「天皇」を大宝律令による法的整備や記・紀編纂による歴史的背景の正当化によって、
あたかも絶対的な存在であるかのように環境を整えたのです。
【三千代と不比等の事績から日本国誕生の真実を探る】
我々は日本書紀の記述の中から編纂者による意図的な改竄部分を修正しながら古代史を構成しなければならないわけです。
その一つの方法として、続日本紀に描かれていることと日本書紀に描かれていることの矛盾点を抽出する作業があります。
続日本紀の描く奈良時代前後の記述と日本書紀の記述に不一致なことがあればそのほころびから史実に到達することができるかもしれません。
藤原不比等と県犬養三千代、天皇家以外の出自で頂点を極めた二人の関与を追及することによって倭国から日本国へのつながりが見えてくるかもしれません。
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2016年08月30日
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