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【天智帝と天武帝が重視した婚姻戦略】
天智帝と天武帝の妃たちの出自から、7世紀後半の結婚戦略の重要性を見てきた。記・紀は神武帝以来天皇家へ嫁を出すことによって外戚となり勢力を増した有力氏族を数多く紹介している。
一夫多妻制度で子孫繁栄あるいは子孫維持をはかる古代においては結婚には重要な意味があった。
天智帝はライバルの古人大江皇子や有力氏族の蘇我大臣、阿倍大臣から嫁をとった。
対抗勢力となる可能性がある氏族から人質を取る意味合いもあったであろう。
天智帝は天武帝に対しては自分の娘を4人嫁がせている。
日本書紀は天智帝と天武帝を同母兄弟としているが、兄が弟に自分の娘を4人も嫁に出すなどというケースは寡聞にして他に聞いたことがない。
いずれにしても天智帝は極端なほど婚姻を政治利用した。
天武帝は天智帝の4人の娘の他、藤原鎌足からふたり、蘇我赤兄大臣からひとり妻にして天智帝の勢力を吸収している。
【持統帝の自腹嫡系へのこだわりと不比等の関与】
女帝の持統帝はどうしただろうか。
持統帝は所生の草壁皇子の血脈に皇位を継承していくことに異常な執念を燃やしている。
皇位継承となるのは数多くいる天武帝の皇子たちである。
大津皇子殺害を見せしめにして皇子たちが即位を望むことを強くけん制した。
早世した草壁皇子が残した唯一の皇子である珂瑠皇子(文武天皇)に目を付けたのが藤原不比等である。
不比等は珂瑠皇子の母(阿陪皇女)に仕える県犬養三千代の協力を得て自分の娘である宮子と珂瑠皇子の結婚を成立させる。
珂瑠皇子が即位して文武天皇になるので不比等は外戚となる。
ここでどの文献にも書いていない「県犬養三千代の協力を得て」とあえて書いたのは、文武天皇の息子である聖武天皇の後宮を見ると納得できるのである。
【県犬養美千代の協力と聖武天皇の後宮】
結果から原因を探る。
聖武天皇自身の父は文武天皇、母は不比等の娘宮子。皇后は光明皇后、父は不比等、母は県犬養三千代。
夫人が4人いる。
1夫人は県犬養広刀自、父は県犬養唐。
2夫人は南殿、父は藤原武智麻呂。
3夫人は橘古那可智、父は橘佐為(三千代の息子)。
4夫人は北殿、父は藤原房前、母は牟漏女王(三千代の娘)。
皇后と4人の夫人は全て藤原不比等か県犬養三千代の近親者が占めているのである。
文武天皇が早世して元明天皇、元正天皇と女帝でつなぎ天武帝皇子の即位を防ぎながら、不比等と三千代は将来聖武天皇となる首皇子にせっせと自分たちの近親者を嫁がせていたのである。
天智帝、天武帝時代の結婚の重要性を理解した上での恐るべき先見性であると言わざるを得ない。
二代続いた女帝の即位に天武帝の皇子たちや近臣たちが一喜一憂している間に、不比等と三千代は次の手を打ち続けていた。
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