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久しぶりに青森県の「三内丸山遺跡に行ってきた。
有名な「六本柱建物跡」を見ながらいつもと同じことを考えていた。
柱穴の間隔、幅、深さはそれぞれ4.2m、2m、2mで全て統一されている。
間隔の4.2mは、35cm×12であるという。
「35cm」は三内丸山遺跡の建物を作るときの基準となっており「縄文尺」であったと案内者は説明してくれた。
幅、深さ各2mの穴に周囲を焼いて焦がした直径1mの栗の木の柱(一部残存)を立てていたという。
ほぼそれだけの情報で上記写真のような櫓を再現した。
その後の調査で穴の中の土の圧縮の状態を調べたところ、復元した柱の組み合わせによる櫓の重さ以上の圧力がかかっていたことが分かったという。
この場所には屋根付きの建物が建っていた可能性が高いことが分かってきた。
そこまでわかっていながらなぜ取り壊さないのだろうか。
間違った解釈のものをいつまでも立てておくことはこの施設の信頼性を著しく損なわせるものと考えざるを得ない。
「丑寅日本国史絵巻」には以下のような絵(六之巻第二十七画)が掲載されている。
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2016年09月10日
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