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【古事記・日本書紀の短里と長里、全8例】
古事記、日本書紀に出てくる距離を表す「里」を検証してきた。
古事記1例、日本書紀7例。
【古事記に記された短里】
古事記は仁徳記で老朽化した名船「枯野」を塩焼きに使い焼け残った木で作成した琴の音が「7里」先まで響いたとするもので、琴の音が伝わる距離として短里で考えた75m〜90m×7里≒525m〜630mほどが適当で、長里の約400m×7里≒2800mでは長すぎると判断した。
【日本書紀の7例の分析】
日本書紀7例の中で、短里と判断できるものは2例、長里は1例だった。
その他の4例は「数里」と短い距離を表したもの(履中即位前紀、敏達2年条)、
「万里」という形で使われてとてつもない長い距離を表現するもの(垂仁99年明年条、舒明9年条)。
【日本書紀の短里】
短里としたのは、崇神65年条の「任那者、去筑紫國二千餘里」。
現在の地図で福岡から釜山までは約190kmなので、190km÷二千餘里<95mなので短里で記されていることが分かる。
もうひとつは天武10年条に記された種子島との距離である。
「多禰國圖、其國去京五千餘里」。
ここに記された「京」がどこを指しているかにも影響する問題である。
通説ではこの記事は天武天皇の都である飛鳥を基準にしていると考えられているが、試みに福岡空港から種子島の距離を見てみると、430.9kmである。
430.9km÷五千餘里<86.2となる。
福岡から種子島間の距離にすると「多禰國圖、其國去京五千餘里」は短里計算でぴったり当てはまるのである。
大和飛鳥からの計算では里の換算基準が長里でも短里でもなく不明であり、里数そのものが意味をなさなくなり、短里で記されていると考えることができる。
【日本書紀の長里】
長里で記されていたのは、天武元年7月22日条で壬申の乱の瀬田橋の決戦の大友皇子軍の軍勢を描く表現だが、後漢書の記述を丸写ししたものだからだった。
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2016年10月21日
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