のんびりと古代史

自分なりに「削偽定実」を試みる。

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【天武天皇は仏教を重視していなかった】
古事記序は天武天皇の国家統一の事業を賛美し、壬申の乱に勝利して天位に就いた天武天皇は中国の伝説の工程である黄帝や周の文王に勝るとも劣らない徳を備えていたと持ち上げている。
現在の朝廷は天武天皇に始まったとする考え方である。
天武天皇の発議ではじまった古事記の編纂を完成して現天皇の元明天皇に献上するとしたのが古事記の建前だった。
古事記には仏教に関する記述がない。
見識が乏しいので読み取れていないのかもしれないが、仏も僧も寺も見出すことができない。
神代から天武時代までを総括し元明天皇に献上することを書いた「序」にも仏教的な言辞は見当たらない。
古事記は推古天皇までを扱っているが、説話が記されているのは第23代の顕宗天皇までなので仏教記事がないことは不思議ではないかもしれない。
しかし日本書紀が国家の方針を左右するほど重要なことであると扱っている仏教について古事記が何も触れていないことはやはり理由を明確にしなければならないのではないだろうか。
古事記は仏教の普及に熱心な聖徳太子の事績を賛美する日本書紀とは考え方を異にしている。
古事記と日本書紀が描く世界は仏教を取り上げてみても明らかに別物なのである。

【仮説:近畿の中心勢力は仏教を信仰していなかった】
古事記が仏教に触れなかったのは、近畿大和の中心勢力が仏教を信仰していなかったからではないか。
寺院跡が発掘されているので8世紀になるまで近畿地方に仏教がなかったということではない。
壬申の乱に勝利した天武天皇にとって仏教は政治的信条の中にはなく、病を治す手段程度の認識だったということだ。
皇后の疾病治癒のために薬師寺を建立したり、自らの快癒のために大法会を行ったりしたことが史実だったとした場合であるが。
天武から持統天皇にかけての時代には仏教よりむしろ龍田神、広瀬神への信仰が中心だった。
聖徳太子が摂政を務めた推古天皇から正当に引き継がれたはずの後継王朝としては何ともちぐはぐな信仰形態である。

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