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【あいまいな仏教公伝】
「仏教公伝」ということになると、二つの通説がある。
ひとつは日本書紀の記述に基づくもの、欽明13年10月説。
もう一つは『上宮聖徳法王帝説』と『元興寺伽藍縁起并流記資財帳』に記された「戊午年=538年」である。
【卑弥呼は仏教を知っていた】
古田武彦氏は古代史の研究を始める前は親鸞研究を専門としていたので仏教事情には詳しい。
古田氏は3世紀初頭卑弥呼が使者を派遣した魏の都洛陽では仏教が栄えていたと記している。
洛陽には後漢期の西暦68年に中国最初の仏寺白馬寺が建立され、魏の時代となっても存続していたばかりか、仏典の翻訳が盛んにおこなわれていたという。
難升米などの卑弥呼の使者が仏教についても帰国後卑弥呼に報告していたに違いないと古田氏は主張している。
「卑弥呼の耳に、洛陽なる仏教に関する情報が入っていたこと、それは確実、といわねばならぬ。」(古田武彦「古代は輝いていたⅢ」)
【高句麗への伝播は3世紀】
韓半島の歴史書「三国遺事」には3世紀に魏から高句麗へ仏教が伝播された説話が記載されている。
「三国史記」にも、4世紀後半に高句麗に「仏像・経文の伝来」、「僧の入国」、「仏寺の建立」の記事が載る。
倭国と攻防を繰り返した好太王の時代には平壌に寺が九つ建立されている。
このような高句麗の情報が倭国に入っていないはずがないので、「4世紀前半以来、倭国人は仏教に接触してきた。」(古田氏、前掲書)
【倭の五王が貢献した宋は熱心な仏教国家だった】
さらに倭の五王が濃密な国交を結んだ宋朝は熱心な仏教国家であった。
「倭の五王が仏教を知っていた」は自明の命題ということになる。
日本書紀において倭の五王に比定される仁徳天皇から雄略天皇までの巻において仏教の影が全く見られないのは「比定」が誤っているからに他ならないだろう。
倭の五王時代に倭国に仏教が伝来していたので7世紀初頭に隋に使者を派遣した多利思北孤の俀国は仏教国となっていたと考えられる。
古田氏は仏教伝来について、
「四世紀末から五世紀初頭の頃、倭国(筑紫)に仏教が『公伝』された」
と結んでいる。(前掲書)
【ボロが出た日本書紀の仏教公伝記事】
近畿天皇家の歴史を描こうとした古事記には仏教について全く記載されていない。対照的に仏教の記載に熱心な日本書紀は上記した公伝の年代をはじめとしてあいまいな点が多い。
それもそのはずである。
百済から「倭国」へ伝来した事柄を「日本国」の歴史に組み込もうとしているのだから不完全になるのはやむを得ないのであろう。
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2016年10月28日
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