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【倭の五王は記・紀の天皇ではない】
「倭の五王は記・紀の天皇ではない。」
私が古代史の勉強をする上での非常に大きな命題の一つである。
【倭王武=雄略天皇説】
江戸時代に『異称日本伝』(1688)を著した松下見林(1637〜1704)が武王は雄略天皇のことと書いたのが最初でそれが今でも定説となっている。
井上光貞氏は『神話から歴史へ』の中で、
「日本書紀によると、雄略天皇の在位年代は456〜79年であるから、年代的にだいたい一致するのである。」
と記している。さらに、
「また〈武〉という一字で名をあらわしたのは、雄略天皇の名の大泊瀬幼武(おおはつせわかたけ、大は美称。幼は形容。泊瀬は大和の長谷で、宮廷のあった地)の語幹にあたる武をとって武王と書いたのであろう。」
と続けている。
【大和朝廷一元説】
松下見林は宋書などに出てくる倭の五王をともかく記・紀の天皇に比定しようとした。
倭の五王が登場する5世紀には日本列島はほぼ大和朝廷によって統一されていて他に倭王と呼ばれる存在はない、というのが松下見林の大前提でその点においては井上光貞をはじめとする現在の歴史学会の大半も異論がないようだ。
その大前提に従って、倭の五王と日本書紀の記述が在位年代や続柄などで矛盾しても目をつぶろうということが暗黙の了解となっているようである。
To be continued
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2017年12月17日
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