のんびりと古代史

自分なりに「削偽定実」を試みる。

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【草壁皇統に対する不満】
 天武天皇崩御後に皇后持統は有力な皇位継承者とみられていた大津皇子に謀反の罪をかぶせて処刑した。その後所生の草壁皇子即位を意図していたが草壁が早逝した為、草壁の子文武の成人を待って立太子させ、同年に譲位して即位させた。その後文武も25歳の若さで崩御した為、文武の子聖武が即位年齢に達するまでを元明、元正の女性天皇がつなぐことになる。
 続日本紀は以上のような歴史を記しているが、その間、数多く生存している天武の皇子たちは黙っていたのであろうか。もし草壁の立太子が史実であったとしても、草壁が死去した時点で天武の皇子たちにも皇位継承の可能性は高まったはずである。『懐風藻』葛野王の段に記されている日嗣問題を協議している時に弓削皇子が異議を唱えて葛野王に𠮟責された事件は象徴的である。持統が望む草壁皇統の実現を快く思わない人々もいたということである。特に天智皇女を母に持つ血統の良い皇子たちの中には内心皇位を望んだ者もいたであろうことは容易に想像できる。

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