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【不比等を讃美した文武の「宣命第二詔」】
続日本紀慶雲4年4月13日条に文武天皇の宣命第二詔が記載されている。その前に宣命に関する説明が岩波版の補注(1−10)に記載されているので見てみたい。
「天皇の政治に関する意思を百官もしくは万民に向かって告ることが宣命の本質だったと考えられる。宣命の文案の起草は、大宝令以降中務省の内記が行い、朝廷などに列立する臣下の前で宣読された。その宣読は大臣・納言・中務卿などが担当した。」
ということである。
当条に記された宣命第二詔は藤原氏の忠臣ぶりを讃美するもので、最後に不比等に賜封することで結ばれている。したがって不治の病の床に就いた文武に対して何らかの方法で不比等の朝廷内での地位を高める行動をとらせようとしたのではないか。元明天皇が即位すると不比等は大納言から右大臣に昇格している。
【孝徳天皇の臣下だった中臣鎌足】
宣命の中で、難波大宮御宇天皇(孝徳天皇)の時に不比等の父鎌足は大錦冠や紫冠を受けたので同じように不比等に対しても食封五千戸与えるということを述べている。日本書紀の孝徳紀の中には中臣鎌子(鎌足)については、上記の二つのことしか出てこない。つまり書紀に記されるような事績がなく授位記事だけが記載されている。鎌子は乙巳の変で中大兄の協力者として有名だが、ここでは孝徳天皇との関係が特筆されていることに違和感がある。文武が宣命の中で特筆しているにもかかわらず、鎌子が孝徳天皇に貢献した記事がなぜ日本書紀にないのだろうか。
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