のんびりと古代史

自分なりに「削偽定実」を試みる。

出雲

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東京国立博物館で古事記1300年、出雲大社大遷宮特別展
「出雲 ―聖地の至宝―」(10月10日〜11月25日)が開催されている。
昨日が初日。午前中にさっそく行ってきた。
昨年6月に山陰旅行に行った時、急用ができて予定をキャンセルして途中で戻ってしまったが、最終日に予定していた出雲大社、荒神谷遺跡、加茂岩倉遺跡関連の出展物が今回の特別展の中心となっており、十分楽しむことができた。
 
展示場に入る前に一回のロビーで、出雲の紹介VTRの上映をまず見ることにした。
4種類の作品が流されていた。
「神々が集う出雲神在祭」(10分)、
「神話を今に伝える青柴垣(ふしがき)神事と諸手船神事」(26分)、
「国引き神話」(2分28秒)、
「出雲の青銅器」(3分55秒)。
展示場に早く入りたい気持ちを抑えて各作品を観たが、皆それぞれよくできていて非常に参考になった。
特に青柴垣神事と諸手船神事を伝える作品は大作で、出雲の人々が誇りを持って古代からの伝統を今に伝える活動を地域を挙げて行っていることに感銘を受けた。
 
展示は2会場に分かれており、
第一会場が「1章:出雲大社の歴史と宝物」、
第二会場が「2章:島根の至宝」となっている。
第一会場には出雲大社関連の出展物が展示されており、皆興味深いものばかりだった。
メインは「出雲大社本殿復元模型」といえるだろう。
平安時代(10世紀頃)の本殿の10分の1復元模型で島根県立松江工業高校の生徒たちの製作とのこと。
鎌倉時代の本殿の柱材とされる三本一組の「宇豆柱」と並んで、当時の出雲大社のスケールの大きさを感じさせてくれた。
第二会場は何といっても荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡から出土した大量の青銅器類の展示が見どころだった。
荒神谷遺跡からは、
銅剣が42本(358本出土のうち)、
銅矛16本(16本出土)、
銅鐸は5個(6個出土のうち)が展示されていた。
銅剣は一括して出雲地域で製作したものと見られているが、銅矛と銅鐸には北九州地域や佐賀平野周辺からの出土物との共通性がみられるので、紀元前2世紀から紀元前1世紀の頃に出雲と北九州地域の交流があったことを示している。
 
今回の特別展では出雲大社、荒神谷遺跡、加茂岩倉遺跡などの出雲を代表する史跡の展示を同時に見学することができるので、古代史愛好者にとってはありがたい有意義な企画だと感じた。
 
なお、現在やはり古事記1300年を記念する企画として、ご当地出雲では「神話博しまね」が開催中です。
「神話博しまね」については、こちらの↓ブログで25回にわたって興味深く掲載されていますので是非ご覧になってください。
出雲の神宝とは何か。
今となっては余程幸運な遺跡の発掘でもない限りはっきりはしないだろう。
あるいは出雲大社の中に天皇家に内緒の古文書があってその中に書いてあったりするのかもしれない。
出雲の五種の神宝を明らかにしようとした藤田友治は、出雲風土記の分析から、五種の神宝とは、玉、弓矢、剣、矛、鏡であるとしている。
そして五種の神宝は大国主神の別名と一致しているという。
日本書紀神代上八段に、
「一書(第六)に曰はく、大国主神亦の名は大物主神、亦は①国作大己貴命と号す。亦は②葦原醜男と曰す。亦は③八千戈神と曰す。亦は④大国玉神と曰す。亦は⑤顕国玉神(うつしくにたまのかみ)と曰す。」
 
①の大己貴命は大穴牟遅神で出雲風土記の神崎条に、窟(いわや)の穴に弓矢を射る説話があるという。→弓矢。
②葦原醜男は「醜い男」ではなく、「頑丈で強い男」の意味。草薙の「クサ」は「臭し」で猛烈で手の付けられない性質を言い、「ナギ」は蛇の意味だという。葦原醜男は草薙と同じ意味を持つので剣を表す。
③八千戈神はそのまま戈。
④大国玉神は出雲で重要視された勾玉。
⑤顕国玉神(うつしくにたまのかみ)は玉(魂)を「写す」鏡をさす。
 
以上のように藤田友治は、大国主命の五つの別名から出雲の五種の神宝を推測している。
崇神紀60年秋7月条の,「武日照命が天より将ち来れる神宝」をめぐる記載から出雲古代史についての理解を深めようとしてきた。
この神宝が大和朝廷の手に渡ったのか,渡らずに出雲に残ったままだったのか、あるいは書紀には大和朝廷の手に渡ったことになっているが、実は出雲振根を殺害したと書かれている吉備津彦の吉備国の管理下に置かれたのか。
そして現在は出雲大社にあるのか、熊野大社なのか、あるいは大和朝廷がどこかに保管したままどこかにあるのか、不明なことばかりだ。
所在はともかくとして、その神宝とはどんなものだったのだろうか。近畿天皇家の三種の神器は剣と鏡と玉だと言われている。
崇神紀に記載されて崇神帝が興味を抱いた出雲の宝とはなんだったのだろうか。
藤田友治は「出雲王朝の五種の神宝」で崇神紀や出雲風土記の記載から神宝の正体に迫ろうとしている。
藤田は崇神紀で出雲振根が殺害されて、出雲では恐れて出雲大神を祀らなくなった時に、丹波氷上の氷香戸辺(ひかとべ)が皇太子の活目命(後の垂仁帝)に報告したという息子が最近口ずさんでいる意味不明の言葉に注目している。
「玉菨鎮石。出雲の人の祭る、真種の甘美鏡。押し羽振る、甘美御神、底宝御宝主。山川の水泳る御魂。静挂かる甘美御神、底宝御宝主。」
藤田はこの中に出てくる、玉菨鎮石は石、真種の甘美鏡という鏡、山川の水泳る御魂の玉、ここには石と鏡と玉の三種の神宝が表されているという。
石については隠岐の島特産の黒曜石だという。
黒曜石はまだ金属がなかった縄文時代には鏃や石器につける刃先として、強力な武器になったという。
縄文期には剣に代わる神宝として崇められていたとしても不思議はない。
それが出雲の祭祀にはまだ残っていたという考え方である。
私は、氷香戸辺の子供の言葉から黒曜石の鏡があったのではないかと考えてみた。
調べてみると、BC6000年〜8000年のトルコ中部のチャタルホコック遺跡から
黒曜石の鏡が発掘されて、アンカラ・アナトリア博物館に収蔵されていることがわかった。
日本ではまだ黒曜石の鏡は発掘されていないが、今後出雲の遺跡から発掘されないとも限らないのではないかと期待を抱いている。
 
(To be continued)
北島国造家に伝わる「出雲国造古系図」を見ている。
①天穂日命→②武雛命から始まって㉒美許奈大臣→㉓叡屋臣(帯評督)まで。
一代約20年とすると、450年間ほどをカバーしているのだろうか。
崇神60年条の出雲の神宝記事と対比してみよう。
「武日照命一に云はく、武夷(ひな)鳥といふ。又云はく、天夷鳥といふ。の天より将(も)ち来れる神宝」
岩波版の注にも武日照命は天菩比の子とある。
系図の②武雛命とみてよかろう。
この神宝を崇神帝の時代(60年秋7月)に、出雲臣の遠祖出雲振根が管理していたという。
系図を見ると⑪阿多命→⑫伊幣根命→⑬鵜濡渟(うかづくぬ)命となっており、
鵜濡渟は神宝を朝廷に貢上した人物として書紀に登場している。
書紀では鵜濡渟は飯入根の弟で、飯入根は出雲振根の弟。
つまり出雲振根、飯入根、鵜濡渟は兄弟である。
その関係から比定しているのか、他に根拠があるのかわからないが、
⑪阿多命を出雲振根とする説が多いようだ。
⑫伊幣根命と飯入根は音が似ているのでよいのかもしれない。
出雲に神宝を持ち込んだ武日照命から出雲振根とされる⑪阿多命まで9代距てていることになる。
約180年の時が経過していた。
つまり国譲りの登場人物である天菩比命の約200年後の出来事ということになる。
もし国譲りを倭国大乱(2世紀後半)と関連付けて考えると崇神帝の時代は4世紀となりそうだ。
大雑把な計算なので前後50年位のズレはあるだろう。
この北島国造家の系図自体が日本書紀を見て修正していることも考えられるので決定的なことは言えない。
崇神紀に登場している⑬鵜濡渟(うかづくぬ)命の名前の前に「氏祖」と書いてあるのは注目に値する。
⑪阿多命が出雲振根だとすると吉備津彦に殺害されており、
⑫伊幣根命も飯入根だとすると兄の出雲振根に殺害されている。
出雲国造家は阿多命、伊幣根命の頃に政変につながる大事件があり、
その結果⑬鵜濡渟命を氏祖とせざるを得ない事情が生じたと考えることができるのではなかろうか。
古事記では、
素戔嗚尊の子八島士奴美神(やしまじぬみのかみ:母櫛名田比賣)から
大国主命の子孫遠津山岬多良斯神(とほつやまさきたらしのかみ)までを
十七世神と称す、として十五神の名前を挙げている。
素戔嗚尊は天照大神と「天の安の河の誓約」を行っているので同世代である。
天照大神は大国主命に対して国譲りを迫っているのでやはり同世代である。
したがって素戔嗚尊と大国主命は同世代である、
ことについて疑う余地はないのではないだろうか。
無理が通りやすい古代史の世界でも否定できないと思う。
ところが、古事記の世界ではそうではないらしい。
素戔嗚尊の6世孫に大国主命が入る系譜を堂々と入れている。
古田武彦氏は「盗まれた神話」の中で、
素戔嗚尊の出身母体である天国を出雲国より優位に持っていくために、
大国主命の系譜を素戔嗚尊の下に挿み込んだものであるとして
古事記編集者の作為を見抜いている。
その作為によって我々には願っても得られない貴重な史料が残されたことになる。古事記の言う「十七世神」の系譜である。
どこでどう数え間違いがあるのかわからないが、
実際には15名の名前が列挙されているのに、
「十七神」と書かれている。
(大国主命の子、阿遅鉏高日子根神と事代主神を加えたのかもしれない)
岩波版注にも「実数は十五世」と出ている。
あまり貴重なので、あらためてここ二十五名分転記することにする。
天国側の系譜は伊弉諾尊、伊弉冉尊まで一代しかさかのぼれないが、
出雲は八島士奴美神まで4〜5代さかのぼることができる。
出雲が天国より先に繁栄していたことの傍証になりそうだ。
 
①八島士奴美神
→②布波能母遅久奴須奴神(ふはのもぢくぬすのかみ)
→③深淵之水夜禮花神(ふかぶちのみづやれはなのかみ)
→④淤美豆奴神(おみづぬのかみ)
→⑤天之冬衣神(あめのふゆきぬのかみ)
→⑥大国主神→⑦鳥鳴海神(とりなるみのかみ)
→⑧国忍富神(くにおしとみのかみ)
→⑨速甕多氣佐波夜遅奴美神(はやみかたけさはやぢぬみのかみ)
→⑩甕主日子神(みかぬしひこのかみ)
→⑪多比理岐志麻流美神(たひりきしまるみのかみ)
→⑫美呂浪神(みろなみのかみ)
→⑬布忍富鳥鳴海神(ぬのおしとみとりなるみのかみ)
→⑭天日腹大科度美神(あめのひばらおおしなどみのかみ)
→⑮遠津山岬多良斯神(とほつやまさきたらしのかみ)
古事記には母の名前まで出ている。
今後何らかの金石文や木簡が出雲から発見された時に、
十五神の名前が見いだされたりすると面白いのだが、
と淡い望みを抱きながら書き出してみた。
 
出雲については今週から始まる
「神話博しまね」(7月21日〜11月11日)
興味深く紹介してくれているブログがあるのでご参照ください。
本日は大国主命について紹介されています。

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