のんびりと古代史

自分なりに「削偽定実」を試みる。

日本書紀の中の百済

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百済本記 ⑦ 内官家と屯倉

今回は明らかに百済本記ではない記録に基づいていると思われる記述を、日本書紀の流れを優先してそのまま「百済本記」の項目の中で取り扱う。
 
継体二十三年夏四月、任那の小国の王である己能末多干岐(このまたかんき、阿利斯等のこと)が来朝し、大伴大連金村に訴えた
※日本書紀岩波版の注に「干岐」は小国の王号であるが、百済本記では「旱岐」の字を用いているので、ここは加羅関係の記録が使われたらしい、とある。
「胎中天皇が任那に内官家(うちつみやけ、皇室直轄領)を置いた時から、元の国王にそのままその土地を委任統治せしめられたのはまことに道理のあることです。
それなのに新羅はたびたび境界を越えて侵略してきます。
どうか天皇に奏上して我が国を救ってくださるようお願いいたします。」
大伴大連は訴えをそのまま天皇に伝えた。
 
ここで言う「内官家」は「みやけ」と訓じられているが、国内で使う「屯倉(みやけ)」とは全く違った意味でつかわれている。
日本書紀岩波版の解説を参考に学習した。
「屯倉」は、大化前代における朝廷直轄の農業経営地あるいは直轄領。
六世紀に入ると地方豪族が何らかの目的で朝廷に領地を献上した結果成立した「屯倉」が多くあらわれる。
それに対して「内官家」は、百済や任那諸国それ自体を指しており、朝廷に対する貢納国の意味に使われている、ということらしい。
日本書紀では、「内官家」の設置は神功皇后の新羅遠征時のことで、誉田別尊の誕生前の出来事となっている。
加羅の記録に基づいたと思われる継体紀の記述によると、「胎中天皇が内官家を置いた。」とあり、若干食い違いが見られる。
神功皇后の実在性、あるいは記紀に書かれた皇后の事跡を疑ってみる必要がありそうだ。
 
●「神功皇后が内官家を置いた」という認識が加羅にはなかった。
●「胎中天皇」とは、誉田別尊、あるいは応神天皇と同一人物なのか?
 
記述に不一致な点が現れると、周辺のことが悉く疑わしくなってしまう。
記紀をたよりに日本古代史を勉強する時の宿命かもしれない。
 
(To be continued)

百済本記 ⑥ 南加羅問題

「磐井の乱」は継体紀では次のような経緯で起こったことになっている。
継体二十一年夏六月、新羅に奪われた南加羅などを奪還して任那領に戻すために、近江毛野臣に6万人の兵をつけて派遣しようとした。
その時筑紫造磐井は新羅からの要請(賄賂も)を受けて、近江毛野臣の渡航を妨げた。
怒った天皇は物部大連麁鹿火に磐井討伐を命じた。
日本書紀では天皇家の任那救済の行動を、筑紫造磐井が新羅からの要請を受けて
邪魔をしたから攻撃したと記述している。
 
「磐井の乱」を制した後、継体二十三年春三月に、改めて近江毛野臣を任那の一国である安羅に派遣した。
安羅に百済、新羅の代表を呼んで天皇の詔勅を伝えようとした。
百済は数名の将軍を派遣してきた。
新羅は南加羅を侵略したことを追及されることを恐れて、高官ではなく下級官吏を使者とした。
安羅では新たに高堂をたてて、勅使近江毛野臣を案内した。
安羅国王は後ろから随った。
その他には安羅の1、2名の高官が高堂に昇り、百済の将軍たちは堂の下に残された。
将軍たちはこのやり方にはらわたの煮える思いを感じた。
こうした仕切りの不手際もあって、どうやら近江毛野臣の調停は不調に終わったようだ。
 
この南加羅事件については、たまたま同時に「ワタツミさん」のブログでも展開されていますので、ご参照ください。
 
(To be continued)

百済本記 ⑤ 二郡割譲の別バージョン

継体紀はこれでも「日本書紀」かと疑いたくなるほど、百済や任那の朝鮮半島関係の記事が多い。
百済本記を用いて構成したものを中心にしているのだろう。
百済本記だけでなく任那、加羅などの史書も当時は残っていたのかもしれない。
それにしても倭国の国内史料はあまりなかったのだろうか。
「磐井の乱」が多少出てくるだけで、ほとんど朝鮮半島の出来事に終始している。
 
継体十七年(523年)百済王武寧薨せぬ。
継体十八年春正月、百済太子明(聖明王)即位。
 
特に倭国関連の出来事とはかかわりなく百済王の交替が記録されている。
この後「磐井の乱」の記述が続いた後、また百済関係の記事が出てくる。
 
継体二十三年春三月、ここでは七年条にあった己汶・滞沙の百済への割譲事件の別解釈が記載されている。
同じ事件が七年条と二十三年条に記述されていることになる。
百済王は下哆唎国守穂積押山臣に、「倭国への貢物を運ぶ時に、百済の海岸(朝鮮半島の西側)から回ると岬ごとに波をかぶって貢物が濡れて醜くなってしまいます。
(加羅領の)多沙津を百済領にしていただければよい状態で濡らさずに朝貢することができます。」
と言ったという。
押山臣はその申し出を受諾したようだ。
是の月に倭国は物部伊勢連父根等を遣わして、多沙津を百済王に賜った。
このことに対して加羅王は納得がいかずに、
「この港は加羅が朝貢に使用しています。何故簡単に百済に与えてしまうのですか。」
と強く抗議した。
使者の物部父根は返答に困り、大島まで退いてしまう。
代わりに部下を派遣して百済に賜ってしまった。
怒った加羅王は倭国を恨み新羅に接近した。
新羅王の娘を娶って子供を得た。
新羅は嫁がせるときに女従を百人従わせた。
女従たちは加羅の各県に配置されたが、新羅の冠衣を着用したままだった。
任那の小国の王阿利斯等は怒って女従を送り返した。
面目を失った新羅は王女を召還しようとした。
 
ストーリーは面白く興味深いが、なぜここまで詳細に他国の出来事を記さなければならないのか、日本書紀の編纂方針に疑問を抱かざるを得ないところではある。
 
(To be continued)

百済本記 ④ 二郡割譲

継体七年(514年)夏六月に、四県割譲の代償として倭国に貢上されることとなった五経博士を連れてきた2将軍が朝廷に訴え出た。
「伴跛国(はえのくに)が我が国の領土である己汶(こもん)を奪い取ってしまいました。何とか元の通りに返還するように働きかけてください。」
と述べた。
その年の冬十一月、倭国の朝庭に百済、新羅、安羅、伴跛の代表者を呼んで、己汶と滞沙(たさ)の両地域を百済領とする、と言い渡した。
すぐに伴跛国は使者を遣わして、倭国に珍宝を献上して己汶を戻してほしい、と頼み込んだが受け入れられなかった。
八年三月、伴跛国は要所に城を築いて倭国からの攻撃に備えた。
さらに新羅を攻撃し暴虐・略奪を恣にした。
百済はまた倭国に援軍を求めてきたので、物部某を船5百艘と共に派遣した。
四月に、滞沙港で物部軍は伴跛軍と戦ったが打ち破られて着の身着のままに退散した。
 
ここで日本書紀は文脈上筋の通らない展開となっている。
 
2年後の十年夏五月に、百済は地方官を派遣し物部某を己汶の地で労い、宝物を与えて感謝の意を表している。
秋九月に百済は将軍を倭国に遣わして、己汶の地を賜ったことを改めて感謝し、最初の五経博士の段楊爾に替えて、新五経博士漢高安茂(あやのかうあんも)を貢上した。
 
八年から十年の2年間に、倭国、あるいは百済が伴跛を説き伏せて己汶を百済領とすることに収まった経緯が省略されている。
日本書紀の編纂者は、この項のテーマである己汶の領有権よりも物部某のふがいなさ、だらしなさを記述することに関心を向けてしまったようだ。
 
己汶と滞沙の2郡割譲問題は、伴跛国を含めて倭国領とも考えられている任那問題と密接に関連している。
「百済本記」の四県二郡割譲問題は、朝鮮半島内部の領土問題に倭国が立ち会っただけなのに、あたかも倭国の任那領を割譲したように日本書紀が述作したという説もあるらしい。
そう考えるよりも、倭国の権限が強い連合国家の任那から四県二郡が百済の管理下へ移行し、対新羅、高句麗の戦略上倭国と百済の同盟関係が強化された、と考える方が無理がないように思える。
 
(To be continued)
 
 
 
 

百済本記 ③ 五経博士の貢上

長い目で見れば百済への「任那四県の割譲」は、倭国にとって有益であったかもしれない。
百済は領土拡大の代償として、「五経博士の倭国への貢上」を制度化する。
応神朝の王仁博士のように帰化するのではなく、交代制で来朝し倭国に百済文化を伝えることになる。
 
(継体)七年(514年)夏六月、百済は二人の将軍を派遣し、四県割譲の当事者である穂積臣押山と共に、五経博士段楊爾(だんやうに)を貢上してきた。
 
五経博士は元々漢の制度で、五経(易経・書経・詩経・春秋・礼記)を教える儒教の教官だったが、官吏の教育や科挙の制度としての大学制度に発展する。
五世紀の百済は南朝の梁から中国文化を吸収することに熱心だったので、五経博士は倭国に百済文化だけではなく、中国文化の伝道者にもなったと考えられる。

 
(To be continued)

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