のんびりと古代史

自分なりに「削偽定実」を試みる。

遣新羅使(天平八年)の歌

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全6ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6]

[ 前のページ | 次のページ ]

遣新羅使たちは壱岐島で仲間(雪連宅満)の突然の死に直面したが、
埋葬を済ませて出港し、対馬浅茅浦まで到着した。
韓半島までもう一息という所まで来たことになる。
魏志倭人伝の里程では千里とある。
魏朝、西晋朝で使われていたといわれる
短里(1里=約75m)で計算すると、約75km。
一行はここでもまた進行方向への順風を得ることができずに、
5日間ほど停泊したという。
 
「対馬島の浅茅浦に到りて舶泊せし時、
順風を得ず経停(とど)まること五箇日なりき。
ここに物華を瞻望(み)て、各慟む心を陳べて作れる歌三首」
 
3697 百(もも)船の 泊(は)つる対馬の 浅茅山(あさぢやま)
                         時雨の雨に もみたひにけり
     (毛母布祢乃 波都流對馬能 安佐治山 志具礼能安米尓 毛美多比尓家里)
拙訳:多くの船が停泊している対馬の浅茅浦。浅茅山は時雨の雨の中に紅葉している。
 
3698 天離る 鄙にも月は 照れれども
                    妹ぞ遠くは 別れ来にける
     (安麻射可流 比奈尓毛月波 弖礼々杼母 伊毛曽等保久波 和可礼伎尓家流)
拙訳:この鄙びた対馬にも月は照っているけれど、妻が居る都からはずいぶん遠くへ来たものだ。
 
3699 秋されば 置く露霜に 堪へずして
                    京師の山は 色づきぬらむ
     ( 安伎左礼婆 於久都由之毛尓 安倍受之弖 京師乃山波 伊呂豆伎奴良牟)
拙訳:秋になり降る露や霜にさらされて奈良の都の山は色づき始めただろう。

六鯖の作れる挽歌三首

亡くなった雪連宅満を偲んで遣新羅使として同行している六鯖が挽歌を詠んだ。
 
「六鯖(むさば)の作れる挽歌」
 
3694 わたつみの かしこき道を 安けくも 無く悩み来て 今だにも
    喪なく行かむと 壱岐の海人の 上手(ほつて)の卜筮(うらへ)を
    かた灼(や)きて 行かむとするに 夢のごと 道の空路に わかれする君
     (和多都美能 下之故伎美知乎 也須家口母 奈久奈夜美伎弖 伊麻太尓母
     毛奈久由可牟登 由吉能安末能 保都手乃宇良敝乎
      可多夜伎弖 由加武土須流尓 伊米能其等 美知能蘇良治尓 和可礼須流伎美)
拙訳:(遣新羅使として)重要な任務を受けていく海路は安らかなこともなく苦しみ悩んでここまで来た。     今までは災いなく行こうと壱岐の海人の占いの名人に肩灼きで占ってもらい、
    さあ行こうという時にまるで夢のように天国への道へ別れて行ってしまった君よ。
 
3695 昔より いひける言の 韓国(からくに)の
                     辛くもここに 別れするかも
     (牟可之欲里 伊比都流許等乃 可良久尓能可良 久毛己許尓 和可礼須留可聞)
拙訳:昔から言うように「からくに」の名のように「から」くも(つらいことではあるが)
    ここでお別れしなければならない。
 
3696 新羅へか 家にか帰る 壱岐の島
                     行(ゆ)かむたどきも 思ひかねつも
     (新羅奇敝可 伊敝尓可加反流 由吉能之麻 由加牟多登伎毛 於毛比可祢都母)
拙訳:新羅へ行くのか奈良の家へ帰るのか、
    ここは「いき」のしまだがどちらに「いく」べきか思いつかない。

 


葛井連子老の挽歌3首

壱岐の島で帰らぬ人となった雪連宅満へ、
遣新羅使のひとり葛井連子老(ふじゐのむらじこおゆ)の作った挽歌3首。
 
3691 天地と 共にもがもと 思ひつつ ありけむものを はしけやし
   家を離れて 波の上ゆ なづさひ来にて あらたまの
   月日も来(き)経ぬ 雁がねも 続ぎて来鳴けば たらちねの 母も妻らも
   朝露に 裳の裾ひづち 夕霧に 衣手ぬれて 幸(さき)くしも
   あるらむごとく 出で見つつ 待つらむものを 世の中の 人の嘆きは       相思はぬ 君にあれやも 秋萩の 散らへる野辺の 初尾花(はつをばな)
   仮廬(かりほ)に葺きて 雲離れ 遠き国べの 露霜の
   寒き山べに やどりせるらむ
    (天地等 登毛尓母我毛等 於毛比都々 安里家牟毛能乎 波之家也思
    伊敝乎波奈礼弖 奈美能宇倍由 奈豆佐比伎尓弖 安良多麻能
    月日毛伎倍奴 可里我祢母 都藝弖伎奈氣婆 多良知祢能 波々母都末良母
    安左都由尓 毛能須蘇比都知 由布疑里尓 己呂毛弖奴礼弖 左伎久之毛
    安流良牟其登久 伊弖見都追 麻都良牟母能乎 世間能 比登能奈氣伎婆
    安比於毛波奴 君尓安礼也母 安伎波疑能 知良敝流野邊乃 波都乎花
    可里保尓布疑弖 久毛婆奈礼 等保伎久尓敝能 都由之毛能
    佐武伎山邊尓 夜杼里世流良牟)
拙訳:いつまでも一緒に居られたらいいなと思っていたのに、嗚呼、家を離れて波の上を漂い来て
    月日はもうずいぶん経ってしまった。雁たちも次から次に飛んできて鳴いている。
    家に残した母や妻は朝露に着物の裾を濡らし、夕霧に袖を濡らして
    あなたは恙なくしていると思って外に出てあなたの帰ってくる方を見て待っているのに、
    世の中の人の悲しみは思いもよらないものだ。君にあってもそうなのだろうか。
    萩の花が散り乱れる野原の初ススキとなって
    旅の途中に遠い国の露霜の降りる寒い山辺に永眠してしまった。
3692 はしけやし 妻も子どもも 高々(たかだか)に
                        待つらむ君や島隠れぬる
     (波之家也思 都麻毛古杼毛母 多可多加尓 麻都良牟伎美也 之麻我久礼奴流)
拙訳:嗚呼、奥さんも息子さんも帰りを首を長くして待っているのに、
    君はこの壱岐島で死んでしまったのか。
 
3693 もみち葉の 散りなむ山に 宿りぬる
                        君を待つらむ 人し悲しも
     (毛美知葉能 知里奈牟山尓 夜杼里奴流 君乎麻都良牟 比等之可奈之母)
拙訳:紅葉が散っている山に永眠してしまった君を待っている人はさぞや悲しむことだろう。
 
荒天に悩まされてなかなか外海に出られなかった遣新羅使船は
ようやく壱岐島に到着した。
しかしここまでの航海のダメージが影響したためか
一員の雪連宅満(ゆきのむらじやかまろ)が罹病し
急逝するという悲劇が起こった。
雪連は壱岐連であり、姓に因んだ場所で臨終を迎えたことになる。
遣新羅使の歌で、
3644 大君の 命かしこみ 大船の
                 行きのまにまに やどりするかも
は雪宅麻呂(=雪連宅満)作。 
壱岐島には石田町に「雪連宅満の墓」があり、
       石田町万葉公園に歌碑(3689歌が掲出)がある。
 
「壹岐島に到りて、雪連宅満の忽に鬼病に遇ひて死去りし時作れる歌一首幷に短歌」
 
3688 天皇の 遠の朝廷と 韓国に 渡る我が背は 家人の 斎ひ待たねか
     正身かも 過ちしけむ 秋去らば 帰りまさむと たらちねの
     母に申して 時も過ぎ 月も経ぬれば 今日か来む 明日かも来むと
     家人は 待ち恋ふらむに 遠の国 いまだも着かず 大和をも
     遠く離りて 岩が根の 荒き島根に 宿りする君
      (須賣呂伎能 等保能朝庭等 可良國尓 和多流和我世波 伊敝妣等能 伊波比麻多祢可
       多太<未>可母 安夜麻知之家牟 安吉佐良婆 可敝里麻左牟等 多良知祢能
       波々尓麻乎之弖 等伎毛須疑 都奇母倍奴礼婆 今日可許牟 明日可蒙許武登
       伊敝<妣>等波 麻知故布良牟尓 等保能久尓 伊麻太毛都可受 也麻等乎毛
       登保久左可里弖 伊波我祢乃 安良伎之麻祢尓 夜杼理須流君)
拙訳:遣新羅使として遠い韓国に向かって渡っていくあなたは家人が無事を祈って待っていなかったか    らだろうか、本人が過失を犯したからだろうか(そんなことはないのに)。
    秋がくれば帰ってくると母に言ってきたので時が過ぎ月が経てば、
    今日帰ってくるのか明日帰ってくるのかと家人は待ち焦がれていただろう。
    遠い国の新羅にはまだ着いてもいない。
    大和からも遠く離れて岩のごつごつした荒い波が押し寄せる島の根もとに
    永遠の眠りについてしまった君よ。
 
3689 石田野に 宿する君 家人の
                   いづらと吾を 問はばいかにいはむ
     (伊波多野尓 夜杼里巣流伎美 伊敞妣等乃 伊豆良等和礼乎 等波婆伊可尓伊波牟)
拙訳:壱岐島の石田の野に安眠する君よ家で待つ人がどこにいるのと問われたら、
    どう答えたらよいのだろうか。
 
3690 世の中は 常かくのみと 別れぬる 
                   君にやもとな 吾が恋ひ行かむ
     (与能奈可波 都祢可久能未等 和可礼奴流 君尓也毛登奈 安我孤悲由加牟)
拙訳:世の中はいつもこんなもんだといって別れていった君だったが私はこれからも慕っていきましょう。
     
糸島半島の西側引津湾を出港した遣新羅使船は
今度もまた荒波に押し戻されたようだ。
余程天候が安定しない年だったのだろう。
松浦港に泊まることになる。
松浦港は三国志魏志倭人伝の使者が到着したと思われる場所。
紆余曲折の末この遣新羅使船は
魏の使者が来たコースを逆行するように
朝鮮半島へ渡ることになるのだろう。
 
「肥前国松浦郡狛島亭に舶泊せし夜、
遙に海の浪を望みて各旅の心を慟みて作れる歌七首」
 
3681 帰り来て 見むと思ひし わが宿の
                 秋萩薄(すすき) ちりにけむかも  (秦 田麻呂)
     (可敝里伎弖 見牟等於毛比之 和我夜度能 安伎波疑須々伎 知里尓家武可聞)
拙訳:新羅から無事帰ってきてこの宿の秋萩の花やススキをまた見てみたいものだが、
    その頃には散ってしまっているかもしれない。
 
3682 天地(あまつち)の 神を祈(こ)ひつつ 吾待たむ
                   早来ませ君 待たば苦しも  (娘子:をとめ)
     (安米都知能 可未乎許比都々 安礼麻多武 波夜伎万世伎美 麻多婆久流思母)
拙訳:天神、地神に祈って私は待っています。早く帰ってきてください、待つのはとてもつらいので。
 
3683 君を思ひ 吾が恋ひまくは あらたまの
                   立つ月ごとに 避(よ)くる日もあらじ
     (伎美乎於毛比 安我古非万久波 安良多麻乃 多都追奇其等尓 与久流日毛安良自)
拙訳:君を待つ私の恋心は忌避する日のように月ごとに避けることは絶対にありません。
 
3684 秋の夜を 長みにかあらむ 何ぞここば
                   寝(ゐ)の寝(ぬ)らえぬも 獨寝(ね)ればか
     ( 秋夜乎 奈我美尓可安良武 奈曽許々波 伊能祢良要奴毛 比等里奴礼婆可)
拙訳:秋の夜がここでは一層長く感じられる。寝付くことができないのもひとり寝のためだろうか。
 
3685 足(たらし)姫(ひめ) 御船(みふね)泊(は)てけむ 松浦の海(うみ)
                   妹が待つべき 月は経(へ)につつ
     (多良思比賣 御舶波弖家牟 松浦乃宇美 伊母我麻都敝伎 月者倍尓都々)
拙訳:神功皇后の御船が泊まったという松浦の海に、今私はいる。
    妻が待つ期間は月が過ぎてだんだん長くなっていく。
   ※参考:神功皇后摂政前紀(仲哀九年)四月、皇后は松浦県の玉島川で新羅攻撃の成否を占うた         めに鮎釣りを行ったことが日本書紀に出ている。
 
3686 旅なれば 思ひ絶(た)えても ありつれど
                   家にある妹し 思ひ悲しも
     (多婢奈礼婆 於毛比多要弖毛 安里都礼杼 伊敝尓安流伊毛之 於母比我奈思母)
拙訳:旅に出ているのであきらめもつくけれど、家で待っている妻は心悲しく思っているだろう。
 
3687 あしひきの 山飛び越ゆる 雁がねは
                   都に行かば 妹にあひて来(こ)ね
     (安思必奇能 山等妣古田留 可里我祢波 美也故尓由加波 伊毛尓安比弖許祢)
拙訳:山を飛び越えていくことができる雁たちよ都に行ったら妻に会ってきておくれ。


全6ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6]

[ 前のページ | 次のページ ]


.
記紀いっぱつ
記紀いっぱつ
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事