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1971年古田武彦は、「邪馬台国はなかった:解読された倭人伝の謎」(朝日新聞社刊)で、古代史学界への鮮烈なデビューを飾った。
「邪馬台国はなかった」の発刊が、明治時代以来、東大・京大間で争われていた邪馬台国の所在地をめぐる九州説、大和説の争いに一石を投じたことは間違いない。
「邪馬台国」という言葉も概念も日本国内には何一つ残されていたものはなく、記紀にも全く出てこない)
中国の歴史書である「三国志・魏志・東夷伝・倭人条」(以下、「魏志倭人伝」あるいは「倭人伝」)など外国の史料に登場するだけ。したがって魏志倭人伝などに現されている漢文の解釈をめぐって論争が行われてきた。
読みようによっては邪馬台国の所在地は太平洋のはるか沖になってしまったりするので、誇大な距離表示が行われているとか、中国では東を南と書くことがよくあるとか、自論に有利なように原文を解釈して我田引水的な論争をしている観があった。
古田武彦はまず、倭人伝の原文には「邪馬台国」ではなく全て「邪馬壹国」と書かれていることに注目した。邪馬台国は「やまと」と読むために意図的に原文を改定したものだと批判した。「邪馬壹国」の「壹」は「臺」の誤りで、「臺」は「台」なので「邪馬台国」となるという原文改定が江戸時代に行われてそれをそのまま学会が受け継いできたものだと主張した。
諸橋の新漢和辞典によると、「台は後世、臺の俗字として用いられるようになった。」とあり、倭人伝が著された3〜4世紀の時代を考えると、臺=台を前提として読もうとすることには無理があると言わざるを得ない。また、「臺」を「と」と読むことはないので、「邪馬臺」のままでは、「やまと」と読むことはできない。そのために慣用的に「邪馬臺」を「邪馬台」としてあたかも「やまと」と関連があるように見せかけた。
「邪馬台国」と一般的に表示されていることが正しい解釈を妨げになっているとの主張が著書のタイトル(「邪馬台国はなかった」)になったのだろう。
古田は、「三国志」(紹煕本)を全て調べて、「壹」86個、「臺」58個が一つも誤記されていないことを確認している。三国志の中に「壹」→「臺」の書き間違いはなかった。「邪馬台国」という呼び名は書き間違いを前提としていた。「邪馬壹国」→「邪馬臺国」の書き間違いはありえないし、「邪馬臺国」→「邪馬台国」の略字表記は時代的に成立しない。二重に「邪馬壹国」→「邪馬台国」は不可とせざるをえない。
(「後漢書」には邪馬臺国と出てくるが邪馬台国と表記されているものはどこにもない。)
古田武彦は根拠のない原文改定を否定して魏志倭人伝の解釈を試みた。
(To be continued)
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邪馬壹国
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