|
中国漢代の書『論衡』(王充著)に、
「成王の時、越常雉を献じ、倭人暢草を貢す」
とある。
成王は周の第二代皇帝でBC1115年に生まれBC1079年に没している。
最近の時代区分で言うと、
縄文時代の末期から弥生時代の初めにかけての時期に当たる。
この頃に倭人は周王朝に暢草を貢じるために赴いている。
多くの古代史学者は、
「ここに書かれている倭人は日本列島の倭人ではなく江南にいた倭人」
と述べていたという。
『漢書』(班固著)には有名な
「楽浪海中、倭人有り」
というフレーズが記されている。
『論衡』の著者王充と『漢書』の著者班固は共に後漢の「太学」で学び、
王充の方が5歳年長だった。
『漢書』を書いた時、班固は『論衡』を当然読んでいただろう。
従って班固が倭人と書くとき、
王充が書いた倭人を意識しており、
同じ倭人のことを書いたと考えることができる。
もし江南にいた種族を指していたならば
、「江南の倭人」と書かなければならなかっただろう、
と古田武彦は指摘している。
炭素同位体比を使った年代測定法で、
弥生時代はBC1000年頃から始まったとされるようになった。
「論衡』の記述は、
中国と日本列島の往復がすでに行われていたことを示しており、
弥生時代の始まりが遡ったこととも合致する。
|
古代は輝いていた
[ リスト | 詳細 ]




