のんびりと古代史

自分なりに「削偽定実」を試みる。

倭国と日本国

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蘇我氏の専横化

八佾(やつら)の舞と双墓の造成】
皇極紀元年是歳条は蘇我氏の天皇をも顧みないおごり高ぶった振る舞いを列挙している。
八佾の舞
蘇我大臣蝦夷が祖廟を葛城の高宮に建てて八佾の舞を行った。
祖廟とは祖先の霊を祀るおたまやのこと、八佾の舞の「八佾」は八列の意味で八佾舞は六十四人の方形の群舞で、これを行うのは天子の特権であることが『論語』に出ているという。祖廟も八佾の舞も中国風の習俗であることが日本書紀岩波版の注に記されている。
漢和辞典(『新漢和辞典』、大修館)によると、「佾は周代の舞楽の制で、舞人の列をいう。一佾は舞人八人の一列。天子は八佾(六十四人)の、諸侯は六佾(三十六人)の、大夫は四佾(十六人)の舞人を用いた。
したがって蘇我大臣蝦夷は天子にしか許されない八佾の舞を行ったことになる。
●部民を大量に集めて親子(蝦夷自身と入鹿)の墓を造成
多くの部民を動員して連接した二つの大きな円墳を造り、大陵を大臣の墓に小陵を入鹿臣の墓にした。このありさまを見て上宮大娘姫王が、「蘇我臣が国政をほしいままにして無礼なふるまいをしている」と怒り嘆いたという。
上宮大娘姫王」について、岩波版は聖徳太子の娘春米女王のことかと記しているが、春米女王は山背大兄の妻で聖徳太子の娘とする出典はなんだろうか。いずれにしても、上宮大娘姫王=春米女王は根拠のない推測にすぎない。

【広姫立后は史実か】
敏達紀四年正月九日条に、「立息長眞手王女廣、爲皇后。(息長眞手王の女子廣を立てて、皇后となす。)」とあり、同年十一月廣薨去後の五年三月七日条には、「詔立豐御食炊屋尊、爲皇后。(豐御食炊屋尊=推古天皇を立てて、皇后となす。)」とあり、敏達天皇は先ず息長氏出身の広姫を皇后にし、すぐに亡くなってしまったのでその後豊御食炊屋尊(蘇我稲目の女子堅塩媛が母、父は欽明天皇)を皇后にしたと記している。息長氏出身の広姫が皇女の豊御食炊屋尊より先に皇后に立てられている。(聖武天皇が臣下出身の皇后として仁徳皇后の磐之媛をあげただけで、広姫についてはふれていないのも不審である。)
河内洋輔は『古代政治史における天皇制の論理』(吉川弘文館、46頁)の中で、敏達の皇后として日本書紀に記される広姫と推古について次のように矛盾点を指摘している。
「敏達の妻に関して、『日本書紀』に記述には注目すべき矛盾がある。敏達紀においては、敏達四年に広姫(息長真手王女子)を皇后に立てたところ、その年内に広姫は死去し、翌五年になって推古を皇后に立てた、と記述されている。しかるに推古即位前紀においては、推古は十八歳のとき敏達の皇后に立てられた、とされているのである。推古は推古三十六(628)年に75歳で死去したとあるから、十八歳は欽明三十二年にあたり、これは欽明死没の年であった。よって推古紀によれば、推古は敏達の即位と同時に皇后に立てられたことになる。これに随えば、広姫が皇后に立つ余地はありそうにない。この敏達紀と推古紀の齟齬をいかに考えるべきであろうか。」
河内は舒明即位を前提と考えると推古紀の記事が誤っていると考えたようであるが、息長氏が後に修史事業を行ったと考えると広姫の立后は舒明即位を正当化するための作為と考えることもできるだろう。
 
【敏達の妃に関する古事記の記述】
敏達の妃について古事記は、豐御食炊屋比賣命(推古天皇)、伊勢大鹿首之女・小熊子郎女(皇極、孝徳両天皇の祖母)、息長眞手王之女・比呂比賣命(広姫)、春日中若子之女・老女子郎女の順で4人の名前が記されているが、広姫は三番目の妃となっている。
広姫を敏達の最初の皇后としたのは日本書紀の作為であることを裏付けている。

記・紀の天皇系譜

【記・紀の天皇系譜】
記・紀編纂の大きな目的の一つは天皇系譜を明らかにすることであろう。古事記が記した推古まで(正確には日子人太子の系譜に出ている舒明まで)の系譜は日本書紀もほとんど同様に記している。神武から日本書紀が記す文武までの系譜を俯瞰的に眺めてみるといくつかのことがわかる。

【神武から武烈までは父子継承→兄弟継承】
初代の神武から17代の履中までは仲哀を除いて父子継承が行われている。仲哀についても本来であるならば即位していたと考えることができるヤマトタケルの子供、早世したヤマトタケルに代わって成務が一代限りの皇位に就いたと解釈すれば筋は通る。履中以降推古までは兄弟による継承が行われ、主要な兄弟がいなくなると次の代に引き継がれている。
父子継承、兄弟継承の違いはあるものの、神武から武烈までは近親者(親子か兄弟)が皇位継承している。清寧の後の顕宗は、履中の嫡子市邊皇子が雄略に殺害されなければ即位していただろうということを前提に市邊の息子として即位している。仲哀即位と同様な考え方と言える。

【継体以降は別の王朝】
武烈と継体は明らかに断絶がある。古事記が記す「品太天皇五世之王(応神天皇の五世孫)」は皇位が一つの血脈でつながっていることにしたいがための苦しい言い訳に過ぎない。神武から清寧までと継体以降は別の王朝と考えざるをえない。

【皇位継承理念がない舒明以降】
古事記は推古の巻で終わるが、日本書紀が描く舒明以降は皇女でない皇后の即位(皇極)、皇子でない弟への譲位(孝徳)、前例のない重祚(斉明)と皇位継承の考え方が定まらずやりたい放題で、天皇の権威づけに対する意識が全く感じられない。舒明は敏達の嫡子彦人大兄の息子としての即位なので、仲哀や顕宗と同様な考え方であろう。
日本書紀が最初に採用したと考えられる舒明から文武にかけての系譜は、推古までとは全く異なった皇位継承理念で作成されている。推古と舒明の皇位継承の不自然さを考えると、舒明以降は別の王朝の系譜を用いているのではないか。いくつかの系譜をモザイクのようにつなぎ合わせているのではないかと思われるほど巻ごとの接続が不自然に感じる。例えば孝徳紀は乙巳の変が終わった翌年にまるで律令制が始まったような詔が連発される。血で血を争う暗殺事件を準備していた勢力がいつ法律を作成する準備をしていたのであろうか。不審である。

【百済との関係が強い蘇我氏】
永井紀代子は『蘇我氏と息長氏の修史事業』の中で、古事記の成立は「息長氏の活躍より早い時代の蘇我氏の修史事業に息長氏が潤色をほどこしたのではないかという見当」と述べている。日本書紀の記述を見ると、百済と親密な関係を持つ倭国の中で宣化天皇の時代に突然大臣として登場する蘇我稲目が尾張連と尾張屯倉との関係で活躍を始める。蘇我稲目は欽明天皇の治世下で百済帰化民の王辰爾(船史の祖)の協力を得て事業を遂行する。馬子の代になってからも船史と共に荘園経営に成功していることが記されている。(敏達310月条)

【新羅との関係が強い息長氏】
古事記に記された系譜において新羅王子天日矛の子孫である葛城之高額比売命が息長宿禰王に嫁いで息長帯比売(神功皇后)を生んでいる。息長宿禰王は息長氏の祖先あることは言うまでもない。神功皇后は応神天皇を生み応神は五世孫の継体天皇を通じて8世紀の天皇家に直結しているというのが記・紀の考え方である。

【蘇我→息長→蘇我→(藤原)】
以上のことから蘇我氏は百済との関係が強い氏族で、息長氏は新羅との関係が強い氏族という印象が強い。単純に断定するのは危険であるが、蘇我氏―倭国―百済―天智と息長氏―(近江)―新羅―天武の組み合わせが対立概念として存在するのではないか。日本書紀は推古天皇の後継者争いで息長氏系の田村皇子(敏達皇后息長広姫の孫)が蘇我氏系の山背大兄を破り舒明天皇として即位したことを記している。しかし舒明から天智へのバトンタッチに20年以上の時間を要しており、その間の三代の皇位継承も不自然としか言いようがない。中大兄は本当に舒明の嫡子だったのだろうか。ようやく実権を握った天智も即位後わずか4年で崩御している。
天地崩御後、壬申の乱で一度は覇権を握った息長氏系(天武)は天武崩御後の天智の娘である持統(母は蘇我氏出身)のクーデターで後継者の大津皇子を殺害されて天智系の復権を許すことになる。8世紀になると、息長氏の覇権を持統と共に打破した藤原氏が実質的に権力を握っていくことになる。

【日本書紀が描く行き当たりばったりの皇位継承】
日本書紀には皇位継承に対する定見がない。古事記の天皇系譜をなぞった推古までは嫡男による継承とか、兄弟継承といった継承の考え方がある程度明確になっている。ところが古事記に記されていない舒明以降になると、突然皇女もない皇后が即位する(皇極)。さらに皇極は前例のない譲位を行う。後継は弟の軽皇子(孝徳)。「皇子」と記されているが天皇の子供ではない。前例のない即位が続く。孝徳が崩御すると前天皇の皇極が再度即位する(斉明)。これも前例がない。三代の異例の即位の後舒明の嫡子とされる中大兄がようやく即位する(天智)。

【主眼は天武以降の皇位継承の前例作り】
これらの即位が全て造作だとすると、説明がつくような気もする。皇極の即位は持統の、弟の即位は天武の、譲位は持統から文武への、前例作りだったと勘繰ることができる。皇極の重祚は孝謙の重祚の前例となるが、日本書紀完成後に書き換えられたとしなければならないのでこれは考えすぎ。
古事記の天皇系譜が正統性を意識して出来上がっているのに比べると、日本書紀が独自に編纂した系譜(舒明以降)にはほとんど正統性という意識が感じられないのである。

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