のんびりと古代史

自分なりに「削偽定実」を試みる。

古代史のイロハ

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イザナミ神の死

【記紀で異なるイザナミ神の死】
イザナミ神は古事記では、火之迦具土神を産むときに火傷を負って死ぬ。
日本書紀本文はイザナミ神の死に触れていない。

【イザナミ神の死の有無と天照大神】
イザナミ神の死の有無によって何が変わってくるのだろうか。
最高神である天照大神の出自である。
古事記では、黄泉国から戻り海中で禊を済ましたイザナギ神が
左目を洗うときに天照大神は誕生する。
したがって天照大神はイザナミ神との関係はないことになる。
日本書紀本文はイザナギ神とイザナミ神で、
「共に日の神を生みまつります。」ということになっており、
イザナミ神は天照大神の母という位置づけである。

【神の死に関する古田武彦説】
古田武彦氏は、
・「『神が死んだ』という観念自体、記紀神話の世界では、
必ずしも一般的ではない。」
・「『神の墓』(黄泉の国)という概念も、同じく異質である。」
・「『死せる神を祀る』という考え方は必ずしも奇矯ではない。
かえって本来の神のまつり方であったのかもしれぬ。」
以上三点から古田氏はイザナミ神話には、
「記紀神話の常識以前の古型が宿されている可能性がある、
いいかえれば、記紀神話は古型の改変型なのだ。」
と指摘している。
古田氏は
「弥生筑紫の『新作神話』は、
出雲神話などの古型神話の「改作」の上に築かれていた。」
と考えている。
つまり、古型神話⇒筑紫神話⇒記紀神話という流れで
記紀神話は成立したということだろう。
【イザナギ・イザナミ説話】
古事記に描かれた、イザナギ神とイザナミ神の説話から、
いくつかの歴史的背景を読み取ることができる。

【国土の修理固成】
二神は天浮橋から天沼矛で海水をこおろこおろとかきまわして引き上げると、
矛の先から垂れ落ちた塩が累積して島(オノゴロ島)ができた。
この説話からは弥生文明の象徴のひとつである「矛」を使って
国土を造成する様子が描かれている。

【二神の結婚】
二神は二人がそれぞれ男女の姿であることに気づく。
オノゴロ島に立てた天之御柱のまわりを
イザナミ神は右回り、イザナギ神は左回りで回り出会ったところで、
イザナミ神が先に「まあ、いい男だこと!」と言い、
次にイザナミ神が「おお、いい女だ!」といった後で、
イザナギ神は「女が先に言うのは良くないよ。」とたしなめたが、
生まれた子は「水蛭子(ひるこ)」だったので、葦船に入れて流した。
次にできた淡島も数の内に入れなかった。
古田武彦氏はこの説話について、
「天照大神が中枢を占めていた『国譲り』『天孫降臨』のあと、
男性中心の時代になった段階に、
この神話が新作され、追加されたことをしめしている。」
と述べている。さらに、
「同時に『出雲の偉大な女神』であった伊邪那美大神を、
夫の伊邪那岐命〈筑紫の主神〉への従属者として描くことに、
一つのポイントがあろう。」
とも分析している。
この後、もう一度天之御柱を回りなおして今度はイザナミ神から声をかけ、
「大八島国の生成」「神々の生成」を行うことになる。

To be continued

大国主命について

【記紀に詳述される大国主命】
記紀には大国主命の記述が多く記されている。
大国主命は高天原からの使者に国譲りを行う役回りである。
記紀は高天原から天孫が降臨し、
その子孫の神武帝が東征して大和を征服し支配を続ける経緯を記しているが、
大国主命は天孫が降臨する以前の日本列島の支配者である。
記紀は天照大神以降歴代の天皇が同じ血筋でつながっていることを描いているが、大国主命は血縁がない存在であり、詳述されていることは異例である。

【高天原との関係は記紀の造作か】
天照大神の弟とされる須佐之男命の子とされているので、
血縁がないとは言えないとの意見も聞こえてきそうだが、
国譲り説話との違和感が生じてしまう。
日本書紀岩波版の補注(一・九七)には、
「おそらく出雲神話は、最初出雲の独立政権で伝承され、
皇室に帰服する際、皇室の神話体系の内に組み入れられ、
大己貴神の父素戔嗚尊を皇祖神の弟とするというような
皇室神話と接続させるための変容を加えられた上で、
記紀の内に残されたのであろう。」と記されている。

【古田武彦氏の大国主命論】
古田武彦氏は大国主命は、「大国」の「主」であると言う。
「大国」とはどこか。
古田氏によると「大国」は、
「出雲国ではなく、西隣の石見国の邇摩郡(島根県)にある。
この周辺には、大田市、大原川、大平、大屋、大国、大森、大浦、大崎ヶ鼻
といった形で、『大』の氾濫だ。このような地名分布から見ると、
『大国』の発祥地はここではないかと思われる。」
この地域には石見銀山があり、
「大国主神がこの鉱脈(銀山は銅などの鉱質をふくむという)と
関連があったかどうか。未知の課題である。」
と結論を保留している。

三種の神器の起源

【定説のない三種の神器】
三種の神器については定まった考え方はないようだ。
「戦前の皇国史観では万世一系の証拠物のように喧伝された。これに対し、津田左右吉はこれを記紀成立期(6〜8世紀)の造作と見なした。」(古田武彦「風土記にいた卑弥呼」)

【三種の神器とは】
古事記によると、瓊瓊杵尊は天降る時に
「八尺の勾玉」、「八尺の鏡」、「草薙剣」を携えていたという。
「八尺の勾玉」、「八尺の鏡」は天照大神を岩屋戸から
招きだした時に使った勾玉と鏡で、
草薙剣は八岐大蛇から出てきた天叢雲剣のこと。

【魏志倭人伝では】
卑弥呼は難升米を魏に遣わして朝献したが、
魏王は返礼として卑弥呼に豪華な絹織物多数の他、
「五尺刀二口」、
「銅鏡百枚」、
「真珠・鉛丹各々五十斤」
を賜うと記述されている。
史実として魏王から女王卑弥呼に剣と鏡と玉が与えられた。
古事記の説話よりもこちらの方が
三種の神器の起源としてのリアリティがある。

【神野志隆光説】
神野志隆光氏は、
「記紀は神器の起源を語ることはない」
と言っている。
古事記では鏡・剣・玉が降臨するニニギに与えられたが、
それを天皇に伝えてきたとは書かれていない。
神武帝即位に際しても三種の神器についてなにもふれていない。
「最初の天皇の即位に役割をもたないものが『神器』でありえるでしょうか。」
と述べている。
日本書紀も、
「神武帝即位にあたって、鏡等になにもふれないことは、
『古事記』とおなじです。」
神野志氏は後に忌部氏が著した「古語拾遺」において、
践祚において鏡剣をたてまつる役を負って、
忌部氏が自らの立場を根拠づけるために
神器神話を作り上げたものが定着した、と論を展開する。

【古田武彦説】
古田武彦氏は、
「魏志倭人伝」で魏王から卑弥呼へ当てられたものの中に、
剣・鏡・玉の三種の神器が深まれていることに注目している。
それ以来、三種の神器は倭国王・日本国王のレガリアとして機能していた、
と考えているようだ。
邪馬台国の場所の比定においても氏は、
三種の神器と絹が出土することを条件として挙げており、
それに適応している場所は博多湾岸以外にないと主張している。

【参考:天之日槍の持ち込んだ神宝との関連は?】 
天日槍が持ち込んできた神宝は、
古事記と日本書紀では微妙に異なっている。
古事記では、
玉がふたつ、
領布が四枚、
鏡がふたつ、
合計で八種の神宝となっている。
日本書紀(本文)では、
玉みっつ、
剣(小刀1、桙1)二本、
鏡ひとつ、
熊神籬ひとつ、
合計七種。
日本書紀(「一に云はく」では、
玉がみっつ、
剣(刀子1、槍1、太刀1)三本、
鏡ひとつ、
熊神籬ひとつ、
合計で八種である。
古事記には剣が書かれていないが天日槍の名前が「槍」なので、
持ち込んできたことは間違いないだろう。
日本書紀は本文も「一に云はく」も領布にふれていない。
そのかわりに熊神籬がでてきている。
熊神籬は難解だといわれている。
「神籬(ヒモロキ)」とは台の上に榊と幣を立てたものらしいが、
天日槍が実用性のないものを運び込むことはないので、
日本書紀の創作の可能性が濃厚である。
領布を出したくなかったのかもしれない。
(絹の普及において九州が先進地域だったため、
天日槍の持ち込んだ神宝に絹を入れると、
天日槍が九州に上陸した史実につながることを恐れたのかもしれない。)
 いずれにしても、新羅王子が持ち込んできたものが
アイテムとして「三種の神器」に共通していることは意味のあることだろう。
 




【史実の順序を変えた創作神話】
天照大神が出雲大神のナンバーワンの臣下だったとした古田武彦氏は
さらに論を進めている。
記紀の神話は実際に起きた史実の順序を変えていると主張する。

【記紀神話の順序】
記紀神話では、
三貴神(天照大神、月読命、建速須佐之男命)誕生
→天の岩戸神話
→須佐之男命を出雲へ放逐
→「国譲り」
→「天孫降臨」
の順序である。

【史実の順序】
ところが古田氏は史実としての実際の順序は次のようでなかったかと述べている。縄文時代末期頃には出雲大神が支配する時代があった。
壱岐・対馬を本拠とする天照大神(の国)は臣下ナンバーワンであり、
須佐之男命はその頃の出雲の王だった。
その後、いち早く金属加工技術を取り入れて勢力を増した天照大神の国は
出雲国を凌ぐようになる。
国譲り、天孫降臨が行われた。
出雲から覇権を奪った天照大神は正当性を主張しなければならなかった。
天照大神神話の創作である。
「八百万の神々の中心が出雲の大神だった時代はすでに過去だ。
今や八百万の神々の中心は、太陽の最高神、天照大神だ。
この一事をP・Rすること、これがこの新作神話の眼目、
一番の狙い目だったのである。
だから、このあと、須佐之男神は、出雲へ放逐される。」
と古田氏は「風土記にいた卑弥呼」の中で述べている。

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