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【神話をどう解釈するか】
東西を問わず古代史を研究するに際しては、
伝承されている神話をどう解釈するかということが重要な要素になる。
昔話が人々が実生活で経験したことを元にして子供にも分かりやすく、
教訓的に構成されているように、
神話も史実に基づいてわかりやすく伝承されるように脚色を加えられて、
作り直されている可能性がある。
【トロイ神話とシュリーマン】
西洋において有名な話が「トロイ神話」である。
ドイツの考古学者シュリーマンは、
少年時代からホメロスの「イーリアス」の世界に夢中になっていた。
シュリーマンはホメロスの創作として実在が疑問視されていたトロイ神話が
史実であると信じ、生涯をかけてトロイ遺跡の発掘に成功した。
シュリーマンの事績を単なる功名心にすぎなかったという批判もあるが、
ここでは触れないことにする。
【神話解釈、明治以降の変遷】
日本における神話は明治維新以降政治に翻弄されてしまった。
明治維新政府は記紀神話を、
「天皇の神聖なる権力と権威の淵源」として活用した。
これに対して、戦後維新政府の呪縛から解放された後、
津田左右吉氏は「神話・説話造作説」を基本の立場として一切史実から排除した。
【古田武彦氏の立場】
古田武彦氏は第3の立場を主張している。
「風土記にいた卑弥呼」の中で、
「神話や説話は貴重な史料である。史実の解明に不可避の価値をもつ。
それは、一方では記紀に記された神話や説話であり、
他方ではわたしたちの社会、神社や習俗に遺存した神話や説話伝承だ。
両者ともに、わが日本列島内の古来からの精神の伝統を実証する、
無比の史料なのである。」と述べている。
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古代史のイロハ
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【魏志倭人伝の「裸國・黒歯國」】
縄文中期に意図的か偶然か判然とはしないが、
縄文土器の技術者が南米エクアドルまで到達していた可能性を考えた。
古田武彦氏はそのことを魏志倭人伝の難解な記述の解明に結び付けている。
「女王國の東、海を渡る千余里、また國あり、皆倭種なり。
また侏儒國あり、その南にあり。人の長三、四尺、女王を去る四千余里。
また裸國・黒歯國あり、またその東南にあり。船行一年にして至るべし。」
「裸國・黒歯國」は女王国の東南方向に
船で一年かかっていった場所にがあるという。
魏の使いは女王国を訪問した時にその情報を得たのだろう。
縄文中期から卑弥呼の時代まで2〜3000年の間、
南米エクアドル=「裸国」、「黒歯国」の情報は伝承されたのだろうか。
あるいは定期的に(一年なのか十年なのか百年なのかわからないが)
交流があったのか。
【「文選」所収の『海賦』】
古田武彦氏は中国の史料に類似の記述を見つけている。
「文選」所収の『海賦』(魏、木華撰)に
「是に於いて、舟人・漁子、南に徂き、東に極る。」とあり、
「或いは裸人之国に掣掣洩洩(せいせいえいえい:風に任せてすすむさま)し、
或いは黒歯之邦に汎汎悠悠(はんはんゆうゆう:流れにしたがうさま)す。」
この文章の前段では倭国のことを述べているので、
魏志倭人伝の文章とつながると述べている。
【倭人はエクアドルを往復した】
3世紀の女王国の人が語った「裸国」と「黒歯国」が、
縄文人が渡ったエクアドルと同じだとすると、
片道だけではなく、帰ってきた人がいなくてはならないだろう。
遭難した人が偶然エクアドルに辿り着き、
帰りも又偶然日本列島に辿り着くということは考えられない。
エクアドルを目指して行き、日本列島を目指して帰ってきたことになる。
女王国の人々は日が出るところを探求して極めていたと考えられるだろう。
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【エストラダ・エバンス学説】
我々の常識ではにわかに信じられない報告がある。
日本の学界では荒唐無稽のこととして扱われ葬られているようだが、
古田武彦氏はその著書で繰り返し紹介している。
【古田武彦著「風土記にいた卑弥呼」】
古田武彦著「風土記にいた卑弥呼:第二章日本人はどこへ行ったか」
の冒頭部分を引用する。
「エストラダ・エバンス学説:1965年、南米のエクアドルの考古学者、
エミリオ・エストラダ氏とアメリカの人類学・考古学者、エバンス夫妻による
重要な報告が出された。南米エクアドルのバルディビア遺跡から、
日本の縄文土器と酷似した土器群が発掘されたというのである。
しかもそれは、わが日本列島の縄文中期、九州の有明海沿岸部の土器群と
共通する文様をもっているという。
博士夫妻は次の諸点に注意をうながしている。
第一に、その相似点は一ポイントや二ポイントではなく、
各種のタイプの複合した共通性をもっている。
つまりこれを偶然の一致とみなすことはできない。
第二に、日本列島には縄文中期に至るまで何千年もの、
長い土器文明の伝統がある。いいかえれば縄文中期の土器群は、
その、気の遠くなるような長年月の土器技術の蓄積の結果である。
しかるに、南米エクアドルの場合、そのような伝統が見出せない。
突如、バルディビアの土器文明が開始しているように見える。
日本列島で何千年もかかってなしとげた文明を、それとはまったく無関係に、
全く別の人間たちが突如開始できるはずはない。
第三に、日本列島から南米エクアドルまで、地球上屈指の大暖流が貫流している。
いわゆる黒潮、北太平洋海流、カリフォルニア海流などがこれである。
したがって日本の縄文人たちの舟が海流にのってこの地に辿り着くことは、
十分に可能性がある、と。」
【エミリオ・エストラダ氏とエバンス夫妻説の可能性】
エミリオ・エストラダ氏とエバンス夫妻は土器文明の蓄積がないエクアドルに
突然縄文土器と酷似した土器が出現したことの理由として、
日本列島の縄文土器の技術者が海を渡ってエクアドルまでやってきたに違いない、
と結論付けているのである。
ある時舟に乗って海に出た縄文土器技術者が黒潮に流されて漂流、
北太平洋海流、カリフォルニア海流にのってエクアドルに漂着し、
エクアドルの地で縄文土器を焼き上げたと想定したのである。
2011年の東日本大震災で津波で流されたものが
アメリカ大陸の海岸で発見されたというニュースは何度も耳にしたので、
海流の流れがエミリオ・エストラダ氏とエバンス夫妻の説通りであることは
疑う余地はない。
縄文中期というとBC3000年〜2000年の頃である。
この頃造られた船が果たしてエクアドルまでの漂流に耐えられたかどうか、
あるいは先進文明の船が日本列島にやって来て
縄文土器技術者をエクアドルまで運んだということがあったかどうか、
いずれにしても5000年前に日本列島の縄文土器の技術者が
エクアドルまで到達した可能性を真剣に考えなければならない。
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【藤尾慎一郎講演会】
昨年8月に行われた歴博の藤尾慎一郎講演会で、
藤尾教授は日本における水田稲作の始まりについて以下のように述べている。
「日本列島で最も古い稲の痕跡は、
BC11世紀に比定された島根県板屋Ⅲ遺跡のイネ籾痕土器。
だがここでは定型化したコメ作りの痕跡は見られないので、
外から持ち込まれたか縄文晩期農耕で作られたものと考えられる。
弥生稲作の開始はBC10世紀後半九州北部玄海灘沿岸地域。
その後BC8世紀末に中国・四国、
BC600年ころ徳島県や滋賀県の遺跡で水田が見つかっている。
BC4世紀には日本海回路を一気に北上して東北北部に達し、
その後仙台やいわきに南下。
BC3世紀には中部や関東南部でも水田ができている。」
現在までに発掘された水田遺跡から、
水田耕作はBC10世紀頃に北九州で始まったと考えられている。
【稲作の渡来ルート】
稲の渡来については二つの考え方がある。
一つは日本列島のイネ=ジャポニカが中国江南地方と同種であることから、
江南→日本列島という渡来ルートである。
他方、朝鮮半島と農耕器具の共通性が強いことに注目して、
朝鮮半島→九州のルートを考える説が考古学者の間では主力となっている。
【古田武彦説】
古田武彦氏は1984年に記した「風土記にいた卑弥呼」の中で、
周の時代に倭国朝貢などによって倭人は稲の存在を知っていたし、
米粒自体は伝わっていたとしても不思議はないと述べている。
この時点で古田氏は、
水田耕作の伝播は「周田」が箕氏などによって朝鮮半島にもたらされた後、
九州に伝わったケースと、
江南地方から直接九州へ伝わった2ルートを考えていたようだ。
(この時点では最古の水田跡とされる菜畑遺跡も板付遺跡も
BC500年頃を遡らないと考えられていた。
後に炭素年代測定でさらに500年ほど遡ることがわかった。)
古田氏は水田耕作の伝来について興味深い見識を述べている。
「楽浪郡などの中国人集団が渡来し、定住して、
あの菜畑水田や板付水田を創始した、と考えるのは、むずかしい。
なぜなら、そのさいは九州北岸に「楽浪文化」が発生し、
中国人や朝鮮半島人の生活土器が主を占める、
そういう形になっていなければならぬ。しかし、それはない。
それゆえ、”若干の技術者の渡来、受け入れ皿はやはり、倭人たちの社会”、
そのように理解せねばならぬだろう。」
古田氏は周が「倭人の朝貢」の見返りとして日本列島に水田技術者を派遣して、
水田耕作が伝播したと考えている。
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【縄文時代とは】
現時点では、縄文時代を以下のように規定することができる。
・年代:1万6千年前(BC145世紀)〜3千年前(BC10世紀)の約1万3千年間
・世界史の時代区分では中石器時代から新石器時代に当たる
・特徴:土器の出現、竪穴式住居、磨製石器の製造、定住化、貝塚など
・水田耕作を伴う弥生文化の登場で終焉を迎える
【縄文土器の起源(「古代史事典:ミネルヴァ書房」による)】
・日本列島内で生まれた。:加藤晋平、宮下健司
・大陸起源説:山内清男
・西アジア、東アジアなど起源多元説:芹沢長介
【日本列島は地球上屈指の土器文明草創の地】
古田武彦氏は、
「縄文時代の前期・中期に至る日本列島は、
輝かしき土器先進文明地帯だったことだ。
”たかが土器”と軽侮するなかれ。
金属器の発達した後代人たるわたしたちには、
”金属器なき時代”における「土器」のもつ、卓抜した意義について、
正統な評価の目が失われやすい。
それは人類による加工業の開始であった。
他の動物にとって「魔法」のような、人類固有の文明の樹立であった。」
と述べている。(「風土記にいた卑弥呼」)
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