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【師走祭り概要】
師走祭りについて宮崎県のホームページには次のように紹介されている。
「西暦660年、朝鮮半島で滅んだ百済から逃れた王族が亡命したとされる南郷区。伝説では、父親の禎嘉王(ていかおう)は美郷町南郷区に、
息子の福智王(ふくちおう)は木城町に住んだとされています。
亡くなったのち、それぞれが神として祀られるようになり、
約90km離れた父王を祀る神門神社と、木城町の比木神社の間で、
親子の対面をする行事が続けられてきました。
昭和初期頃までは、全行程を9泊10日かけて巡行していましたが、 その後、2泊3日に短縮されています。」
【行程】
祭りは「フクロガミ(袋神)」と呼ばれるご神体を、
比木神社(児湯郡木城町比木)から
神門神社(みかどじんじゃ、東臼杵郡美郷町南郷神門69-2)まで、
片道約90kmを往復させる。
往路を「のぼりまし」、復路を「さがりまし」という。
木城町の比木神社を出て高鍋町で海岸線に出る。
国道10号線を北上川南町、都農町、日向市まで行く。
日向市には禎嘉王漂着の地とされている金ヶ浜海岸がある。
一行は金ヶ浜海岸でみそぎ神事を行ったあと、
神門神社がある美郷町の神門神社へ向かう。
【大年神社(高鍋町持田)の「大年下り」】
大年神社には、禎嘉王の妃之伎野(しぎの)が祀られており、
師走祭りに先立って比木神社の福智王が之伎野を訪ねる
「大年下り」や「お里まいり」の祭礼がある。
比木神社のご神体「御袋神」の浜下りの神事である。
【伊佐賀神社(東郷町中水流)】
伊佐賀の地では王族と追討軍の戦いが行われ、
福地王の弟である華智王が戦死したという。
華智王を祀る伊佐賀神社で、
福智王を祀る比木神社と父親の禎嘉王を祀る神門神社が合流する。
【塚の原古墳(南郷区下名木)】
一行は禎嘉王の墓所とされる塚ノ原古墳に向かい、
父子対面の儀式が行われ墓前で神楽が奉納される。
【衣渕(南郷区石田)】
禎嘉王が衣を清めるためにこの場所で洗濯をした「衣渕」(小丸川)で、
一行は再度みそぎをする。
神門神社の見えるこの位置から神社を遥拝する。
【笠取塚(南郷区南郷中グラウンド内)】
父王を祀る神門の社に入る前に比木神社の御神体の笠取りの儀式が行われる。
ここから神門神社へ向かう。
神門神社に到着後本殿にご神体を納めて一日目は終了する。
【ドンタロさん】
「ドンタロさん」は禎嘉王を助けた地元豪族のことである。
神門神社の背後に「ドンタロ塚」と呼ばれる小高い山があり、
「将軍神楽」が奉納される。
【夜神楽】
二日目の最後に「高鍋神楽」と呼ばれる夜神楽が奉納される。
かつては三十三番だったが、現在は十八番の神楽が舞われる。
【「オサラバー」】
三日目の朝、別れの食事が終わった後、
出発準備のひとつとして悲しみを隠すためにヘグロを塗ったといわれる。
昔は鍋釜のそこについたヘグロを塗りあったという。
帰りの路傍の悪鬼を寄せ付けないためとも言われる。
神門神社への拝礼を済ませた後、「くだりまし」へと出発する。
その時にいっせいに「オサラバー」の声が上がる。
古代韓国語で、「生きて、また逢おう」という意味だという。
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百済王亡命伝説
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