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【『古語拾遺』の証言】
壬申の乱と八色の姓の関係について明快で論理的な見解を述べた論考に
寡聞にして接したことがない。
『古語拾遺』に、
「至于淨御原朝 改天下萬姓 而分爲八等 唯序當年之勞 不本天降之績
(淨御原朝に至りて 天下萬姓を改めて 分かちて八等となす〈八色の姓〉
當年之勞〈壬申の乱の功績〉をのみで順序立てて
不本天降以来の実績に本づかず。)」
とあるように、
八色の姓が壬申の乱の功績を重視して定められた姓であることは
広く認識されていた。続いて、
「其二曰朝臣 以賜中臣氏 命以大刀 其三曰宿禰 以賜齋部氏 命以小刀
其四曰忌寸 以爲秦漢二氏及百濟文氏等之姓
(第二位は朝臣といい中臣氏に賜い、印として大刀が与えられた。
第三位は宿禰といい齋部氏に賜り印として小刀が与えられた。
第四位は忌寸といい秦氏と漢氏二氏及び百済渡来の文氏などの姓となった)」
とあり、
『古語拾遺』の著者の関心事が中臣氏と齋部氏の来歴にあるため、
他を切り離した表記になっている。
文脈を解釈すると前段の「唯序當年之勞」がさすのは第一位の「真人」で
壬申の乱の中心勢力が「真人」を賜姓された13氏であると述べている。
【朝臣52氏のうち23氏が武内宿禰の後裔氏族】
第二位の「朝臣」である。『古語拾遺』の著者は中臣氏だけを挙げているが、
日本書紀には大三輪君以下の52氏がラインアップされている。
52氏中を始祖系譜でグルーピングすると最も多いのが
「武内宿禰」系の氏族で23氏が含まれている。
23氏は蘇我氏と同祖と言われており、
そのうちの10氏は武内宿禰の第三子である蘇我石河宿禰を始祖としている。
乙巳の変で蝦夷・入鹿の本崇家が滅亡したにもかかわらず、
壬申の乱後の天武朝においても大きな勢力を維持していたと考えられる。
日本書紀で中大兄に協力した蘇我倉山田麻呂の関連氏族である。
天武帝の皇位を継承する持統帝が蘇我倉山田麻呂の娘であることも
蘇我氏が政変を乗り切った要因に違いない。
蘇我氏同祖の23氏は古事記孝元帝の段で武内宿禰の子を始祖としている。
波多八代宿禰(5氏):波多臣、林臣、波美臣、星川臣、道守臣
許勢小柄宿禰(3氏):許勢臣、雀部臣、輕部臣
蘇賀石河宿禰(10氏):石川臣、川邊臣、田中臣、高向臣、小治田臣、櫻井臣、
岸田臣、櫟井(いちゐ)臣、柿本臣、来目臣()()
平群都久宿禰(1氏):平群臣
木角宿禰者(3氏):木臣、都奴臣、坂本臣
葛城長江曾都毘古(1氏):玉手臣
To be continued
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壬申の乱と八色の姓
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