のんびりと古代史

自分なりに「削偽定実」を試みる。

県犬養橘宿禰三千代

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全5ページ

[1] [2] [3] [4] [5]

[ 前のページ ]

奈良時代の勝者たち

【奈良時代の勝者となったのは誰か】
歴史を作るのは勝者である。
7世紀後半から8世紀にかけて展開した歴史の中で、
奈良時代以降勝者となったのは誰か?
このことは7世紀後半以降の史実を見極めるためには
非常に重要な観点ではないかと考えている。

【勝者たち】
壬申の乱を経て権力の座に就いたのは天武帝
天武帝の崩御後、大津皇子を殺害して皇位に就いた持統帝
持統帝から譲位された文武天皇
文武天皇は701年大宝律令を発布して本格的な律令政治を開始する。
文武天皇早逝後即位したのは母元明天皇
元明天皇は娘の元正天皇に譲位。
元正天皇即位後の720年に日本書紀が完成し、
見届けた藤原不比等は同年死去している。
贈正一位太政大臣、死後最高の位を贈られている。
文武天皇に嫁いだ藤原不比等の娘宮子は聖武天皇の母である。
また不比等の妻となった県犬養三千代所生の娘安宿媛(あすかべひめ)は
聖武天皇の光明皇后になる。
藤原不比等の息子が聖武天皇、娘が光明皇后である。
県犬養三千代は不比等の死後の養老5年(721)、正三位に叙せられる。
天平5年(733)、死去した後には従一位を追贈され、
さらに天平宝字4年(760)、正一位と大夫人の称号を追贈されている。

【隠れた勝者】
さらにもうひとり奈良時代の勝者に数えなければならない人がいる。
光仁天皇の父施基皇子である。
施基皇子は天智帝の皇子で、
息子光仁天皇の后 高野新笠所生の山部親王が
宝亀4年(773年)皇太子に立てられ後に桓武天皇となる。
結果的に天智帝の血を天皇家に残すこととなる施基皇子は、
なぜか天武8年5月の「吉野の盟約」に参加した6人の皇子のひとりに加えられたり、
朱鳥元年8月の皇子たちに対して行われた増封でも、
序列が上の川嶋皇子・忍壁皇子の倍の200戸の増封が与えられている。
日本書紀が完成した720年ごろに施基皇子の評価が高まっていたのか、
光仁天皇即位後の写本における作為か不明であるが、
天武紀の施基皇子に関する記事には唐突感が否めない。
施基皇子については後日のテーマとなると思うがここではこれ以上ふれない。

【勝者が作成した日本書紀】
このように奈良時代に勝者となった人物が日本書紀にどう描かれているか、
どう関係づけられているかという観点が、
日本書紀の史料批判には必要であると考えられる。

全5ページ

[1] [2] [3] [4] [5]

[ 前のページ ]


.
記紀いっぱつ
記紀いっぱつ
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事