着物あれこれ

もっと着物を楽しみましょう!

私どものサイト「きものの出張着付け」を始めて、今年でちょうど 10 年になります。 現実には、次第に縁遠くなる '着物' ですが、まだまだ興味を持っていただく方々もいらっしゃるようで、これまで通り不定期の更新ではありますが、'着物のあれこれ' を書き綴ります。 目に留めていただければ幸いです。

イメージ 1中国在住の広岡今日子さんが、旗袍(いわゆる「チャイナドレス」)を追いかけて、そこに秘められた中国人女性たちが紡ぎだした物語を再現されようとしておられます。 おそらく、当時外国人がオーナーであった上海バンドで育まれ、あのおぞましい文革で終わる、わずか 30 - 40 年の命のファッションでした。

中国が、日本を含む世界列強に侵食されていた混沌の時代の中で、身体の露出は少ないながらも全身タイトなシルエットは、固陋な家の束縛からの解放、そして独立した女性であることを主張、表現する手段であったのかもしれません。

でも実際には、「上海バンスキング」の映像が頭に浮かび、上海・南京東路に面したダンスホールに出入りする中国人女性(時には、日本人女性)を想像してしまうのは、筆者だけではないでしょう。 でも中国人でしたら、そう屈託なく受け入れられないかもしれません。

そして、1960 年代、当時のファーストレディが公式訪問で着た旗袍が「外国に媚びた服装」として糾弾され、一旦、表舞台から姿を消します。 それでも、中流家庭以上の家では、豪華な旗袍は大切に隠し持たれていたと想像しています。

筆者個人的には、芝・増上寺前にあった、中華料理の名店「留園」のオーナーが長衫を纏い、客のテーブルを回って挨拶されていた姿を思い出します。 並びにあったフランス料理店「クレッセント(麻生太郎氏の母上が経営)」と共に、今はもう営業していません。

広岡さんには、ぜひ、旗袍の誕生から衰退までの歴史を紐解いてもらえることを期待しています。 ただ、過去の歴史を徹底的に破壊してしまった文革で、中国本土では思うように資料は集まらないと思われます。 むしろ、当時滞在していた外国人が遺した資料から多くを得られるのかもしれません。

このブログでも既に何度が書いている通り、この旗袍は漢民族の衣装の伝統を汲むものではありません。 文字通り、旗(= 北方民族)の衣装と、彼ら自身も心得ているようですし、それでも、王族の着るずん胴の衣装(ガウン)とは明らかに一線を画しています。

中国からの旅行客は増え続けているようですが、やはり京都への日程は外せないでしょう。 他の国の観光客と違って、遣唐使がもたらした中国文化が、建築物、構造物として現存すること、そして漢服が源流の日本の着物を見ること、それを試着することに特別の思い入れがあることは十分に理解できます。

一年前、このブログでも紹介した、上海の着物コレクターの女性も、着物を自ら仕立て、それを着て楽しんでおられるようですが、やはり旗袍には殆ど興味を示されていないようです。

中国では、政治・文化の中心が、中原から北方の北京に移り、唐代のように中国人でも懐かしむ古き良き時代の中国が、具体的に京都や奈良で蘇るのです。 日本でも、火災で何度も消失しているのですが、愚直に原型通りに建て直され大切に保存されてきたことは、何とも誇らしく感じます。

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日本の精神とは?

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「TOKYO FM」が 8 月 8 日に放送した番組のようですが、「日本の精神とは何だと思いますか?」とのテーマで、街中で収録したいろいろな意見や思いが、ネット上にも公表されていました。

平成が終わり新しい時代を迎える、そして二度目のオリンピックが開催されるとなると、誰でも一度は立ち止まり、考えてみるテーマではあります。 番組でもいろいろな声が紹介されていますが、その考えや思想のルーツをたどると、意外と外国にあることに驚かされてしまいます。

その一つに、「着物にも表れる '削ぎ落された美'」がありましたが、着物からして、その源は中国南部と考えてよいと思います。 ただ、中国自体は、北方民族が権力を奪取したことなどにより廃れてしまい、日本だけが、より高度な技能を付加して「着物文化」を作りあげました。

一反の織物から、端切れを出すことなく仕立てられる着物、常に '削ぎ落された美しさ' が求められますので、何も加えず何も引かない着付けでなければいけないのです。 これは又、着崩れしない着付けにもつながっています。

「削ぎ落された美」と言えば、「着物」だけではなく、やはり茶道の「お点前」にも見ることができます。 筆者のインドの友人にホテルの庭園で開かれていた立礼を案内した時、じっと見ていた彼の最初の言葉は、「禅」でした。 ひと時も無駄の無い動きは正しく禅の思想だと言い切ったのです。

何せ、デリー大学哲学科出の方ですから、「六義園」に案内すると、'六義' とは何なのか知っているかと逆に質問されてしまいます。 無知な筆者に笑いながら、六義を一つ一つ英語で説明してくれました。 結局は、これも、中国、インドに始まるようです。

又、「敬意を払い、相手を重んじる」との回答もあったようですが、確かに日本を旅する外国人が '日本人の親切さや街中の清潔さ' を口にしておられるのは、SNS などでよく見かけますし、とても誇りに思います。

でも、筆者は、その '奉仕と実践' はアメリカで学んだ気がします。 車椅子の方が段差で困っておられるのを最初に目にしながら動けなかった筆者、気付いた周りの人々が走り寄り手助けする様子を見るばかりでした。 確かに、彼らは学校に上がる前から、それを教会で学んでいるのです。

さらに、「八百万の神が生み出した多様性」というのもありました。 何とも言いえて妙、ではないでしょうか!

緩い宗教感もさることながら、先人たちが、基本的には権力におもねることなく、まして、そのルーツが外国にあることなど気にすることもなく、慎重に取捨選択して後世に伝え続ける努力を重ねてこられたからこそ、今の日本があるような気がします。

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博多帯

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博多帯と言えば、この季節、シックな浴衣に涼し気な色目の博多の半幅帯をキリリと締めておられる粋な姿が浮かびます。 帯一本で、どうしてこうも違うのかと、改めて博多帯の魅力を強く印象付けられてしまいます。

着物のお着付けの場合、襦袢を締める伊達〆でも、未だに博多織に勝る品は他にありません。 お着付けを習い始めておられる方でしたら、モスリン製の紐と絹織りの伊達〆をぜひお使いください。 着物の下のベースをしっかりと作り上げることが肝要です。

今年は、中国の宋から織の新技術が博多にもたらされて、ちょうど 777 年目に当たるとのことで、関係者がパーティーを催されたとのニュースが目に留まりました。 時代は宋から明に変わっても、更なる技術の習得が続き、博多織の名が一挙に高まっていったようです。

細かい経糸を密にして、その経糸で柄が生まれます。 絹糸がしっかりと織り込まれると、例えば男子のネクタイを結ぶ時のように、キュキュッと軽やかな音を発します。 そう、博多帯も締める時、この音が生まれます。 まるで '待ってました' との歓びの声に聞こえるようです。

ジャガード織機もトビー織機も無い時代、手織りで高い技術を培ってきた博多織は、先ず福岡・黒田藩から幕府への第一の献上品となります。 そこで、博多織独特の織り柄が、一般に '献上柄' と呼ばれるようになりました。

一般庶民への普及は、やはり歌舞伎役者が着用したのがきっかけでしょう。 それが粋で鯔背な辰巳芸者に採り入れられ、町の呉服商にに届くのに、それほど時間は掛からなかったのではないでしょうか。

幸いにして、東京には織元岡野さんの直営店 'awai' が六本木にあります。 ぜひ一度、ご自身の目で博多織の魅力を確かめてください。

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イメージ 1ウェブサイト上で、最近しばしば、着物をきれいに着付けられたアニメキャラを目にします。 いずれも魅力的で可愛く、このようなアニメから着物の袖を通してみたいと思っていただく方もきっと多いのではないかと、心ひそかに願っています。

着物を着たアニメキャラで、最近の一押しは、やはり、フィギュアになった「レム」でしょうか? しばし見入ってしまうほどの高い完成度で、今にも動き出すのでは、と錯覚するほどです。

アニメーターも、ヌードボディーの上に、いろんな服を着せていかれるのでしょうが、確かに、ビキニ水着に比べると、着物は創りがいがある(時間が掛かる)ことでしょう。 でも、観察眼は鋭く、着付けする側から見ても、しっかりとポイントは押さえておられます。

確かに、体の大半を覆ってしまう着物ですが、それでも、より女性らしく、あるいは男性らしく感じるのは、やはり各所で現れるボディーラインの美しさが、限られた部分であるだけに、むしろ強調されるからなのかもしれません。

着付けする側からいうと、むしろ体をのっぺらぽうにした方がはるかに着付けやすいのは明らかです。 でも、易しいからといって、皆同じようにずん胴にしてしまったらただ鈍重になるだけで、とても着物を着たアニメキャラのような個性を生み出すことなどかないません。

洋服でしたら、服を選ぶことによって変化が生まれます。 それができない着物だからこそ、着付けが大きなポイントになります。 もちろん、繊細な織り柄や染柄のある素材も大きな魅力の一つであることは間違いありません。

着るものである限り「着崩れないこと」、「一日、楽に過ごせること」の 2 点は外せない基本ですが、後は、着る側(着せる側)の思い(願い)を表す工夫が必要なのです。 このブログでも繰り返しているように、着物だってクリエイティブなファッションなのです。

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着物は ECO - 2

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以前に書いた「着物は ECO」でも登場していただいた田中優子さんが、江戸時代の庶民が「リサイクルの着物」を愛用していたことと、今、若い世代では「メルカリ」が認知度を高めていることを対比されておられます。

当時は年中、着物を着ていたわけですから、一枚の着物が洗い張りされて、季節に合わせて縫い上げられていたこと、そして 2 着目、3 着目の着物は、古着屋で買い求められていたであろうことはよく分かります。

時代小説にもよく登場する「柳原土手(神田川の南岸、浅草橋から柳橋のあたり)」! 道の反対側はお屋敷が連なっていたはずですから、土手側で道に面して、簡単な作りの小屋が連なって、古着を商っていたのでしょう。

今では、もう殆ど面影は無いようですが、浅草の伝法院周辺に仮設小屋のような古着屋がずらりと並んでいたのを思い出します。 おそらく、そのような形態のお店が、両国の広小路など、江戸の街のあちこちに見られたことでしょう。

今一つ、江戸っ子は、品物のレンタルにも屈託が無かったように思われます。 いわゆる「損料屋」と言われていたようですが、普段着は古着屋で、そして特別な機会に着る着物はレンタルしていたのではないかと思われます。

東京では新しい高層ビルが建つ前の更地で、必ず地中の調査が行われます。 頻繁に掘り出されるのは人骨! 今の都心にお寺さんがいかに多かったかがよく分かります。 大火事に見舞われるたびに、お墓はそのままほっぽられ、お寺だけ強制的に街の外に追いやられていきます。

先日の NHK の番組でも見られましたが、ビル建築予定地で掘り起こされたのが裏長屋の焼け焦げた建材! 大火事を被った痕跡です。 ただ、とても薄っぺらな板材で、大火事になったら、延焼を食い止めるために簡単に取り壊されるのが前提であったように思います。

そう、江戸っ子は物欲を持たない(持てない)、モノに執着してはいけないことを自覚していたようです。 「宵ごしの金は持たない」などと口では言いながら、将来を考えると、お金だけはしっかりと蓄えて、床下の土中にしっかりと埋めておく、のが本音であったはずです。

即ち、モノはお金持ちの倉に安全に保管され、それが必要な時はレンタルする、用が済めば直ぐにお返しする。 これも自然な思考です。

ついには 'ふんどし' までレンタルされるようになった事実からみると、今以上に、レンタルは別に恥ずかしいことではなく、誰にとってもごく普通の行為だったのでしょう。 失業率ほぼ 0 の環境、とてもシンプルで暮らしやすい江戸の街が垣間見えます。

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