着物あれこれ

もっと着物を楽しみましょう!

私どものサイト「きものの出張着付け」を始めて、今年でちょうど 10 年になります。 現実には、次第に縁遠くなる '着物' ですが、まだまだ興味を持っていただく方々もいらっしゃるようで、これまで通り不定期の更新ではありますが、'着物のあれこれ' を書き綴ります。 目に留めていただければ幸いです。

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小学校の卒業式に袴姿の卒業生が目に付くようになった話題は既に取り上げていますが、入学式に新一年生全員が和装で出席する小学校があります。 それも 1970 年代には始まっていたとのことですから、もう伝統になっていると言ってもいいでしょう。

そこは、岩手県、三陸海岸の大船渡市立綾里小学校とのことですが、市の中心部から釜石寄りに一駅行った、リアス湾沿いにある集落の、新一年生 15 名の小さな小学校です。 ただ、あの 2011 年、入学式予定日の 20 日ほど前に襲われた大震災の時だけは、さすがに中断したことが、震災関連記事の中に見られました。

三陸海岸は、ここから北方に向けて入り組んだいくつものリアス湾が続き、それぞれの湾内には大小の集落が存在します。 震災以前のことでしたが、筆者は車で何度か行き来したことがあります。 湾を見下ろす丘陵地に道が伸び、その沿道に居住地がありました。 やはり、この地方では常に津波が念頭にあることを思い知らされた次第です。

それでも、2 万人近くにも及ぶ犠牲者を出したのは、いずこも漁業、水産加工業が生業の中心となっており、自ずと港周辺部の低地が活動の中心地になっていたからなのでしょう。 その上、想定以上の津波で、設定されていた避難場所が、実際には避難場所にならなかったとの忌まわしい現実がありました。

この地震が起きた後、直ぐに思い出されたのは、幼少時代を過ごした屋久島で代々言い伝えられている「(潮が引いて)海底が見えたら、とにかく山に登れ」との言葉でした。 大津波が来る前には、海底が見えるほと潮が引くようで、これを大津波の前兆としていたようです。

屋久島は海岸のすぐ後ろはどこもすぐ山ですから、とにかくより高い場所、有無を言わせず山に這い登れということなのでしょう。 おそらく、19 世紀半ばの安政南海地震で壊滅的な被害を受けた経験から、途切れることなく言い伝えられていたものと思われます。

さて、着物の話題に戻りますと、小学校の入学式に卒業式、さらには七五三と、小さな頃から、和装を身近に感じて貰えるのはとてもいいことだと思っています。 それでも、成人年齢が、20 歳から 18 歳に下がって、着物が売れないと泣き言を吐いておられる方もいらっしゃるようです。

しかし、筆者には、おそらく高校の卒業式や卒業パーティーに着物販売の商機が巡ってくるように思えてなりません。 業界の関係者は、ぜひ一度、米国のハイスクールの卒業パーティーを見学されてみてはいかがでしょうか? 女の子は、いろどり鮮やかなドレス、そして、男の子は、みなブラックスーツに身を固めています。 まだまだ初々しさの残る、社会人デビューなのです。

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「着物警察」って?

イメージ 1着物姿を楽しんでいる若い女性が街中で遭遇するという恐ろしい「着物警察」? 着物や帯の着付け方、はたまたメーク、さらには体型にまで口を出すむちゃぶり、アドバイスの範囲を大きく逸脱して、もう全くのいじめ、パワハラのレベルです。

お家では我慢して、なかなかお嫁さんに口出しできない分、表で見ず知らずの若い方に日ごろの憤懣を発散されているのでは、などと想像してしまいます。 せめてその方も着物を着ておられるのであれば、良かれ悪しかれ、得ることがあるのかもしれませんが …。 かような方の箪笥の中には、きっと着られることのない素晴らしい着物が眠っていることでしょう。

既にお話ししている通り、着物を着るのが普通だった世代と、ファッションの一つとして純粋に着物を着ることを楽しんでおられる今の世代の間には、日本の伝統を古いものとして、できるだけ着物などに距離を置いてきた世代が存在します。 殆ど、着物を着ることがなかったのに、「着物とはこういうものだ」との思考回路をお持ちの方がいらっしゃるようです。

着物のお着付けは、他のお稽古ごととは違い別に流派があるわけでもなく、長い歴史の中で、着やすく、着崩れにくく、そして見栄え良く、一人一人が工夫して出来上がり、それを代々に伝えていっただけに過ぎません。 前合わせの着物を紐で締めることだけが、昔も今も変わっていないのです。

だからと言って、着物は決してユニフォームではありません。 それぞれ背丈も違えば、体型も違います。 十人十色、それぞれに合った着付け方を見つけだす他ないのです。 ところが、20 世紀初頭には廃れてしまったヨーロッパの補正法を参考にされたのか、なぜか 50 年ほど前に身体に補正を施すことが拡がってしまいました。

着物はユニフォームであるとの固定観念から、細いウェストにグルグルと巻き付けて皆同じようにずん胴にすることから始まったようです。 おかげで紐がぴっちりと閉まらず着崩れやすくなってしまいます。 かような理屈は直ぐに分かったはずなのに、なぜかかように変則的な着付けが独り歩きしてしまいました。

さて、今回、参考にさせていただいた記事の中に出ていた、「着物警察」さんのお言葉のいくつかに、筆者なりの回答をさせていただきましょう。

「いきなり襟や袖を引っ張って呼び止められ、"裄が足りてない、だらしがないねえ" と説教をされた。」

少々裄が足りなくとも、「着物警察」さんの目を惑わす程度のことでしたら着付けの工夫で可能です。 どうしても解決できなかったら、経験豊富な方に教えて貰ってください。 確かに親譲りの着物やリサイクルの着物で起こる悩ましい問題です。 裄だけでなく、おはしょりを確保しようとすると丈も短くなってしまいます。 その上、襦袢のサイズと合わせるのも大変です。

「背後に回られたかと思ったら帯の形を整えられた。 その上、"キチンとしなさいよ、みっともない!" と言われた。」

今の若い方の帯結びはバラエティー豊か! 着物姿の方に合うたび、失礼ながら、あまり気づかれないように、後ろに回って帯結びを拝見させていただくのを楽しみにしています。 着物の着付けは、紐数本できちんと出来上がっていますので、帯はアクセサリーの一つと考えるべきでしょう。

普段に着物を着ておられた中年女性の帯結びは、せいぜいペタッと「貝の口(吉弥)」、面倒くさい時は、ぐるぐる巻きつけて挟み込む程度だったのです。 かようなことをなさっている方が、上のような言葉を発せられるわけありません。

「羽織が着物の柄に合っていない。 帯の色が着物に合っていない。」

どなたも着物に合う羽織や帯を一つ一つ揃えられるわけありません。 とりわけ、既成の羽織など無難な柄のものが多く、若い方にはとても我慢できないのは当然でしょう。 江戸時代の男性の場合ですが、金こま刺繍あり、一面の柄の上に、大きく 4 文字程度の漢字まで染め抜かれたりした羽織がありました。

かようなものを羽織っている人を "かぶきもの" と呼ばれてもてはやされていたようです。 洋服の場合も、現在のファッションが世紀を遡れば男性のファッションだったことが多々あるのをみても、派手な羽織が女性の平成ファッションであっても決しておかしくはないのです。

「その生地、ポリエステルでしょ、安っぽいわね。 私はもっといいものを持っている。」

洋服の下は、上も下もしっかりとヒートテックの下着で防寒されている方に、誰も、上のような言葉を掛けて欲しくありません。 いいものをお持ちであれば、ぜひ表で着ていただきたいものです。 突然天候が急変して、ポリエステルで助かることもあるのです。

絹織物は、やはり雨は大敵です。 着物をすっぽりと覆う雨コートをぜひ用意しておいてください。 店頭では見たことありませんが、京都の芸妓さんなど、袖も裾も、すぼまるようになっているコートを召されているようです。

もう、「着物を着るのが怖い」なんて言わないでください。

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素敵なあの人の大人服

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初の 60 代ファッション誌「素敵なあの人の大人服」が発売されたのは、昨年の 12 月半ばでしたが、今年の 1 月 22 日には出版元の宝島社から、重版のお知らせが出ていました。 TV Tokyo の「WBS」のレポーターの言葉を借りれば、「とにかく凄いことになっている」そうです。

服を作ること(テーラーメード)が殆ど無くなった今、店頭か EC サイトで自分の好みのものを探し出す他ありません。 ただ、歳を重ねていくに従って、一挙に選択巾が縮まってしまうのが現実です。 現状にとても我慢できない 60 代以上の方がいらっしゃるのは当然で、この雑誌がそれを着る側だけでなく、作る側への刺激にもなっているように思います。

さて、いささか着物に関係する筆者としては、この世代に着物をもっと着てほしいと願っています。 ただ、この世代は和装から次第に遠ざかっていった時代を過ごされていますので、着物はおろか浴衣一枚お持ちでない方もいらっしゃることでしょう。 又、着物はユニフォームで変化に乏しい、と感じられている方もいらっしゃるかもしれません。

その上、着付け教室などで「着物はこう着るものだ」と頭から教え込まれてしまえば、ますます引いてしまわれかねません。 でも、夏になると若い世代では見よう見まねで浴衣を着ておられます。 ご自分で着付けられたのはすぐ分かりますが、見た目にはチョッと着付けがおかしくとも、お一人で奮闘されている姿を思い描くと、むしろ微笑ましく感じます。

確かに、「着崩れさせない」といった最低限の基本はしっかり身に付けて欲しいのですが、洋服と違って、着物や帯、さらには小物(アクセサリー)を選ぶことに加え、それを着付けることで完成するファッションなのです。 たとえ同じ着物でも、着る人が違えば、それぞれに違ったテイストが生まれます。
 
どの着物も決まったサイズの 1 本の反物から出来上がっています。 即ち、フリーサイズ、ですから体に合わせて自由に仕上げる、それが大変だと捉えられるのか、とてもクリエイティブで楽しい時間を過ごせるはずだと考えていただくのか、ぜひ、後者に軍配を上げていだくよう念じています。

宝島社の案内 (1-22-18)
TV Tokyo WBS (3-2-18)

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大島紬

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'日本製' にこだわる「衣料 EC サイト」を運営する 'ファクトリエ' の代表、山田敏夫さんが「大島紬」の現状について報告しておられるサイトがありました。 最盛期に比べると、あまりにもかけ離れた今があるのでしょうが、'ファクトリエ' の方に見ていただければ、何か仕掛けてもらえるのではないかと、筆者ならずとも大いに期待してしまいます。

着物が売れなくなると、それまで培われてきた技術や伝承が全て失われてしまうのは不幸ですし損失です。 世界に誇る真の財産を守りぬくためにも、何とか活用できる方法を生み出して欲しいと切に願っています。

さて、大島紬が他の紬織と違う点は、節糸ではなく均一な絹糸を使い、非常に緻密な織物に仕上げられていることでしょう。 言い換えれば、大変丈夫な素材であることから、日常に着物を着ている人がまだまだ多かった時代まで重宝されておりました。

さすがに、式事などフォーマルな席には無理ですが、お出かけなどの時、服装選びに迷ったら「大島紬」ということが、しばしばあったのではないかと思います。 何せ、基本が泥染めですから、ぐっと渋め! 他の方がスーツを着ておられても、一人浮いてしまうことなどありえません。 男性にとっても、又、女性にとっても、安心して出かけられる着物であったはずです。

先染め糸で柄を織り出すのは、結城紬など他の紬織と変わりませんが、大島紬の特徴は、繊細で大ぶりな絣(かすり)柄が多いことでしょう。 経(タテ)糸1,240 本に対して 5、7、9 マルキ(絣糸がその 3 分の 1 から半分を超える)の絣糸で柄が織り出されているのです。

ところで今年、大島紬に目を向けてもらえるのではないかと、筆者は心秘かに期待してます。 何せ、「西郷どん」 が後半生にまとう着物は、殆どが大島紬であったはずです。 流刑地奄美大島で、妻であった愛加那さん自身が織り上げた着物を一生手放さなかったと言われています。

明治政府の反逆者となった西郷どんの銅像は、ようやく死後 21 年目に皇居から離れた上野公園の一角に建てられますが、その除幕式に招待された、幼ななじみで三番目の妻となった糸さんが「こんな人ではなかった」と言って物議をかもしたことはよく知られています。

確かに、西郷どんは写真一枚残していませんからよく分かりませんが、顔や体つきが似ていなかったのかもしれません。 ただ、それ以上に糸さんとしては、礼装か軍服姿の凛々しい像を思い描いておられたのでしょう。 皇居を巡るように建立されている他の維新の英雄たちの像を見れば、それもよくわかります。

見上げれば、勤めを終えてリラックスしたいで立ち、その上に着物姿であれば、直ぐに、存命中の愛加那さんのことが頭をよぎったことでしょう。 とても、心穏やかだったとは思えません。

しかし、官を辞して一庶民に戻った姿と映ったからこそ、東京に住む誰もがこころよく受け入れたのではないでしょうか。 親しみを込めて、今も変わらず「西郷さん」と呼んでいます。

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着物の話題からは外れますが、8 日、「ハフポスト」が丁寧な取材で「区立泰明立小学校(銀座)がアルマーニデザインの標準服を導入」と報じていました。 この件、しばらくはあちこちで採りあげられると思いますので、筆者は気になった点を二つだけ述べてみたいと思います。

公立の学校には、基本的に自由な服装で登校できるはずですし、筆者もそうあるべきだと考えています。 確かに '標準服' と呼ばれているようですが、それを制定すれば、'制服' と何ら変わらなくなります。 もともと、小学校だけではなく、中学校も高校も自由な服装でとの流れが、いつの間にか変わってしまいました。

おそらく第一の動機は、保護者の経済的負担を軽減させる、ことなのでしょうが、言い換えれば、経済的格差を制服で覆う、ということにもなります。 又、同校の校長先生の言葉を借りるまでもなく、それぞれの学校独自のアイデンティティー育成のシンボルにはなるでしょう。

それでも、言及されている「服育」とは裏腹になることも、併せて考えて欲しいと思います。 同じ服装なので何も考えることはないし、周りを気にすることはない。 この流れが社会人になっても、スーツ、あるいは職場のユニフォームに変わっていくだけなのです。 とても、クリエイティブな生活・社会の形成とは言えなくなってしまいます。

どんなに最新のファッションであっても、それを皆が着ることになれば、正しくユニフォームになりますし、ファッションとしての使命は終わります。 即ち、学校のシンボルにはなりえても、それ以上の機能を持ち合わせているとは思えません。 やはり、アイデンティティーの本質はこれまでに培われた実績であり歴史ではないでしょうか。

今一つは、しっかりとした PTA の支援があっての標準服の導入なのだと、最初、筆者は勘違いしていました。 標準服の導入、それも価格提示が無い中でのアルマーニ …、かような一連の動きは、あまりにも唐突です。 現在、人事も含めた各学校の自由裁量は大幅に広げられていると聞いています。

それでも、上部機関の教育委員会、それに PTA の意向を無視しては、実際に何も決められないのが現実ではないでしょうか。 このブログでも既に述べていると思いますが、入学式の直前まで、当日は着物で出席したいと楽しみにしておられたお母さん、直前にお着付けをキャンセルされてしまいました。

「まわりのモンスターペアレントの冷たい目線は耐えられても、子どもの入学後、いじめを受けることにでもなれば、とても耐えられない」とのお話しでした。 それほど大きく厳しい勢力を相手にして、同小学校の校長先生は耐えられるのでしょうか?


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