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震災の取材後、私の人生観は大きく変わりました。そして、私なりに復興支援のために何が出来るだろうかと、真剣に考えました。
私は学生時代から音楽が好きで、音楽関連のプロデュースは一つの夢でした。エフエム東京のパーソナリティをつとめるきっかけも音楽に深く関わりたいということからでした。
その夢はここ数年で少しずつ叶い始め、沖縄の「しゃかり」や韓国の「シンヘソン」に詞を提供し、さらに数組のアーティストのプロデュースやコーディネートも今年になって本格的にスタートさせています。
震災の取材後、久々に会うことになったのがジャズピアニストのアキコ・グレースさんでした。グレースさんは東京芸大、バークリー音大を卒業した素晴らしい才能を持つミュージシャンです。
グレースさんとは何か復興支援のために音楽で貢献出来ないだろうかという話で盛り上がり、彼女がすでにリリースしている「ひまわりのワルツ」と「EARTH」に私が詞をつけることになりました。
「ひまわりのワルツ」は空の上で踊っているひまわりをイメージした、とても可愛らしく、奥が深い名曲です。
私はその曲に、「ひまわりは今は咲いていないけれど、いつかは咲かせ、私達もひまわりのように太陽に向かって伸びていこう」という趣旨の詞をつけました。
私達はこの曲を被災地のみならず、日本全国に広め、日本全体を元気にしたいという想いを込め、さらにライブ活動の募金で集まったお金を被災地に「色」を届けるために使うことに決めました。
色はひまわりに代表される花もそうですし、被災地の子供たちのための絵の具や色鉛筆などを考えています。
津波によって生活の色彩を無くしてしまった地域に、少しでも色を届けるお手伝いが出来ればとの気持ちです。
すでにグレースさんの東京と栃木の足利のライブには私も出演させていただき、今回のプロジェクトについての説明をし、皆さんからの賛同をいただいています。
7月中には実力あるソプラノ歌手を招いてのレコーディングも決定していて、近いうちに皆さんにも「ひまわりのワルツ」を聴いていただけると思います。
ぜひ応援してください!私達の生活が少しでも豊かになるように、これからも活動を続けていきます!
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韓国のシンガー、チェ・ドンハさんが自ら命を絶ってから、5日が過ぎようとしている。
5月27日は私も北とぴあでの東京公演を楽しみにしていただけに、突然の訃報には本当に驚いた。
私は電車で移動中に一報を知り、すぐに日本の事務所の社長に電話で確認をとったところ、
「自殺は事実のようです。残念でなりません」という悲痛な声が受話器から聞こえてきた。さらに
「コンサートに代わって、追悼セレモニーを行いますので、立花さんもツイッター等でファンの皆さんに
知らせていただけると助かります」とのことで、私はすぐにその旨をツイッターで告知した。
前の用事が早く終わったため、私が王子駅から近い北とぴあに着いたのは午後3時半頃だった。
会場では関係者が突然の事態に動揺は隠せず、沈痛な面持ちでセレモニーの準備を行っていた。
6時半から始まったセレモニーには社長以下スタッフが舞台上に整列し、今は亡きドンハさんの
思い出を社長が語った。
ドンハさんは本当に日本が好きで、6月からは日本に生活の基盤を移す準備をしていたという。
私が3月にインタビューした際にも、日本と日本人への想いをとても熱く語ってくれた。それだけに、
なぜ自ら命を絶ってしまったのか、とても残念でならない。同じ気持ちはファン全員が共有していて、
会場では嗚咽とともに「どうして?どうして?」という声が聞こえてきた。
ファンの話では、ドンハさんは決して体が丈夫なわけではなく、繊細な面があったという。
しかし、東京をまさに訪れようとする日になぜ死を選んだのか、彼の心の闇の真実は分からない。
今となってはとにかくドンハさんの魂が天国で安らかにあることを祈るばかりだ。
私は最近、日本と韓国を結んでの音楽プロデュースも始めているため、近い将来、ドンハさんと
仕事でご一緒出来ればとも強く願っていた。それは叶わなくなってしまったが、ドンハさんには
天国から今後の日韓の文化や音楽を通しての交流を温かく見守っていてほしい。
ドンハさんの足跡も日韓交流の長い道のりにはしっかりと刻まれているのだから。
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チェ・ドンハさんという韓国のシンガーをご存知だろうか?
韓国を代表するボーカルグループの一つであるSG WANNABEの元リーダーで、現在はソロで
活躍している。
ドンハさんの日本での事務所が決まったこともあり、3月の中旬に記者会見を開くため、
彼は来日した。
その直前におきたのが東日本大震災で、来日後に記者会見も中止が決まった。
中止決定直後に韓国へ戻る決断をすることも出来たが、なるべく長く日本にいてファンを慰めたい
との気持ちから、日本滞在を希望し、私もインタビューすることが出来た。
ホテルの一室に現れたドンハさんは帽子もきまっていて、オシャレな雰囲気だ。
しかし、話をしだすと、真面目な性格がじわじわと伝わってくる。
私が「帽子がオシャレですね」と言うと、「普段はかぶっていないですよ。インタビューだからです」と、
率直な答が笑いながら返ってきた。その飾らない雰囲気にとても好感を持った。
SG WANNABEを離れて一人で活動していることについて聞くと、「一人で決断して音楽性を貫いていく
ことは大変だけれど、自分はみんなが聴きたがっているバラードをしっかりと歌っていきたい」とのことだ。
迷いながらも芯がぶれないミュージシャンとお見受けした。
私がツイッターでドンハさんに聞きたいことをファンから募り、その質問もしてみた。
一番素の表情を見せたのが、愛犬に関する質問だった。
ドンハさんはメスのトイプードルを飼い始めたのだそうで、小さいプードルと聞いていたのに、
思いのほか大きく成長したのでびっくりしているそうだ。
家の中をすごい勢いで走り回り、しつけには失敗しましたかね、と話していた。
しかし、とても嬉しそうに愛犬のことを話しているので
「ヨジャ チング(恋人)のような存在ですか」と聞くと、一言「アニエヨ(いいえ)」とのことだった。
実はインタビューの途中で余震があったのだが、ドンハさんはまったく動じず、落ち着いていた。
しかし、収録後に話を聞いてみると韓国には地震がないため、東京での地震には少なからず
驚いているとのことだった。
不安を包み隠しながらも日本のファンのためにという思いがひしひしと伝わってくる。
インタビューが終わってしばらくすると、Tシャツにジーパン姿のドンハさんが現れた。
ナチュラルな雰囲気で、ホテルの上空を飛ぶヘリコプターを見ながら、「震災の影響ですか?」
と心配そうな表情だった。
日本での活動でたくさんの人に元気と癒しを与え続けていってほしい。
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東日本大震災がおきてから3週間以上が経ちました。
私は発生の日から約2週間、岩手と宮城で取材にあたりました。東京に戻ってからすぐに、この場で 私が見聞きしたことを書きたかったのですが、取材時の私が感じた衝撃があまりにも大きく、 落ち着くまでに時間を要しました。 震災直後の被災地はとにかくコトバにするのが困難なほどの状況でした。不謹慎かもしれませんが、 私はこれは映画の巨大なセットなのでは、と自問したほどです。 昭和36年生まれで戦争を経験したことの無い私の脳のメモリーでは、そこで見た光景を現実として 認識すること自体が難しかったのでしょう。 そして、壊滅してしまった多数の街や集落の中に人々の生活があったと想像するだけで、私の頭の 中は真っ白になり、再びコトバを失いました。 生活を一瞬にして失った皆さんがいる避難所にも伺いました。 災害の取材で避難所に行くと、「お前ら、何しに来た!」と罵声を浴びせられることもあります。 私が被災者の立場であれば、同じ行動を取るかもしれません。 ところが、この震災の取材では私はまったくそのようなことを体験しませんでした。 避難所の入口であった中年の女性は、「東京から?まぁ、遠くから来てくれてぇ。ご苦労さまだねぇ」 とお辞儀までしてくださいました。 避難所の中は当初は電気のないところが多く、、石油ストーブの灯りに浮かびあがる住民の 顔には一瞬にして苦悩と憔悴を見てとれました。 私もストーブの前に座らせていただくと、皆さんが自分自身のことをぽつりぽつりと語ってくれます。 「父ちゃんがまだ見つからなくてね。」 「何もかも無くなっちゃったからねぇ。」 「漁にも出られねぇし、どうやって生きていったらええかね?」 私にもちろん適切なコトバなど浮かぶはずもなく、私はただうなずき、皆さんのコトバを受け止める ことが精一杯の出来ることでした。 人生をかけて築いてきたものが一瞬にして失われた時、自分ならどうするだろうか? これも私の脳のメモリーにはもちろんありません。 その答えと思われるものは被災者の皆さんから発せられました。 「父ちゃんがいなくなって、一人でここ(避難所)に来て、最初は泣いてばかりだったんだ。 でも、失ったものは返ってこねえから。前を向かなきゃと思うようになって。」
「ずっと一人で泣いてたんだけど、みんな同じだから。絶望のどん底だけど、何とか前向きの
コトバを使わなくちゃね」
暗い避難所でもなぜか、みなさんは明るいコトバであいさつを交わしていました。
「おはよう」 「元気ださなきゃな」
そのコトバがふと相手の表情を和ませていたのです。
絶望の中にいながら、何とか明日を見つめようとするみなさんのお手伝いは出来ないだろうか、
私はそのためにはみなさんが私に教えてくれたことをコトバにして伝えていき、さらには
みなさんにより大きな希望を与えられるメッセージを発したいと心に誓いました。
寄り添う人の心の温かさが、暗い避難所を照らすろうそくのともし火のように見えたのも
私には初めてのことでした。
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東日本大震災からまもなく3週間が過ぎようとしている。
震災直後に2週間に渡って現地で取材した私にとって、震災取材は人生観を大きく変えた。 この点についてはまたの機会に書き記していきたいと思っている。 私が今、力を入れていることの一つに日韓のミュージシャンやプロデューサーを結び、コンテンツを 共同で作成することがある。始めたきっかけは韓国のシンガー・シンヘソン氏への日本語詞の提供で、 この1年でさまざまな韓国のアーティストとの交流が生まれた。 日本では東方神起で高まったK-POPブームがKARAや少女時代といったガールズグループのヒットで、 まさに去年から今年にかけて大きなピークを迎えているところだった。 ところが、その最中に震災は起こった。韓国のメディアでは津波での被害の映像がリアルに放映され、 放射能に対する不安から、かなりの数の韓国人は母国に戻った。 私は先日、コリアンタウンとして賑わう新大久保を歩き、韓国人の店員さんに話を聞いたが、 半数近くの店が閉まり、中には日本にはもう戻らないと言っていた人も多いという。 寂しい気持ちも正直あるが、経験したことの無い放射能汚染に対する恐怖感は理解出来るし、反対の 立場だったら、放射能から家族を守りたいという思いから同様の行動を取るに違いない。 K-POP、韓流ファンにとってはSMタウンをはじめとしたライブやファンミが中止となり、楽しみを奪われた と嘆く人も多いのではないだろうか。 東京という日本の首都に海外のアーティストが来日出来ない状況が生まれているのだ。 しかし、その一方で韓国のアーティストの中には日本の復興支援のために何とか力を貸したいと思って いる人も多い。 私はこのような善意も結集し、東京でのライブの開催と、被災者の皆さんを少しでも元気づけられる ようなコンテンツを作成出来ればとの思いで日々奔走している。 せっかくここまで盛り上がってきた日韓親善・交流の流れを震災に断ち切られたくないのだ。 多くの方が亡くなり、家族を始めとする絆が失われた今回の震災、生きている者に課された大きな 使命は残された絆を死守し、さらに太いものにしていくことだと強く感じている。 |

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