|
東日本大震災がおきてから3週間以上が経ちました。
私は発生の日から約2週間、岩手と宮城で取材にあたりました。東京に戻ってからすぐに、この場で 私が見聞きしたことを書きたかったのですが、取材時の私が感じた衝撃があまりにも大きく、 落ち着くまでに時間を要しました。 震災直後の被災地はとにかくコトバにするのが困難なほどの状況でした。不謹慎かもしれませんが、 私はこれは映画の巨大なセットなのでは、と自問したほどです。 昭和36年生まれで戦争を経験したことの無い私の脳のメモリーでは、そこで見た光景を現実として 認識すること自体が難しかったのでしょう。 そして、壊滅してしまった多数の街や集落の中に人々の生活があったと想像するだけで、私の頭の 中は真っ白になり、再びコトバを失いました。 生活を一瞬にして失った皆さんがいる避難所にも伺いました。 災害の取材で避難所に行くと、「お前ら、何しに来た!」と罵声を浴びせられることもあります。 私が被災者の立場であれば、同じ行動を取るかもしれません。 ところが、この震災の取材では私はまったくそのようなことを体験しませんでした。 避難所の入口であった中年の女性は、「東京から?まぁ、遠くから来てくれてぇ。ご苦労さまだねぇ」 とお辞儀までしてくださいました。 避難所の中は当初は電気のないところが多く、、石油ストーブの灯りに浮かびあがる住民の 顔には一瞬にして苦悩と憔悴を見てとれました。 私もストーブの前に座らせていただくと、皆さんが自分自身のことをぽつりぽつりと語ってくれます。 「父ちゃんがまだ見つからなくてね。」 「何もかも無くなっちゃったからねぇ。」 「漁にも出られねぇし、どうやって生きていったらええかね?」 私にもちろん適切なコトバなど浮かぶはずもなく、私はただうなずき、皆さんのコトバを受け止める ことが精一杯の出来ることでした。 人生をかけて築いてきたものが一瞬にして失われた時、自分ならどうするだろうか? これも私の脳のメモリーにはもちろんありません。 その答えと思われるものは被災者の皆さんから発せられました。 「父ちゃんがいなくなって、一人でここ(避難所)に来て、最初は泣いてばかりだったんだ。 でも、失ったものは返ってこねえから。前を向かなきゃと思うようになって。」
「ずっと一人で泣いてたんだけど、みんな同じだから。絶望のどん底だけど、何とか前向きの
コトバを使わなくちゃね」
暗い避難所でもなぜか、みなさんは明るいコトバであいさつを交わしていました。
「おはよう」 「元気ださなきゃな」
そのコトバがふと相手の表情を和ませていたのです。
絶望の中にいながら、何とか明日を見つめようとするみなさんのお手伝いは出来ないだろうか、
私はそのためにはみなさんが私に教えてくれたことをコトバにして伝えていき、さらには
みなさんにより大きな希望を与えられるメッセージを発したいと心に誓いました。
寄り添う人の心の温かさが、暗い避難所を照らすろうそくのともし火のように見えたのも
私には初めてのことでした。
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用


