立花裕人のFREEWAY

フリーキャスターで、作詞家としても活動する立花裕人のブログです!

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しばらくして、私は会社の再建を誓った男性に案内されて、女川の港を見て回った。小さい町だが、港湾関連の施設は充実していて、水産加工場もいくつもあった。

 その昔、水揚げされた鰹を加工した鰹節が名物だったことから、女川の水産加工品は鮭の切り身など、全国に出荷されるようになり、地元に人にとっての貴重な労働の場にもなった。

 ところが、それらの施設は津波で大きな被害を受け、素人の私が見ても以前の女川に戻るためにどれだけの時間と費用が必要になるのか、見当が全くつかない。

 港での取材を終えて避難所に戻ってくると、夕食の時間になっていた。日本人にとっては夕食時の香りでお馴染み、カレーがメニューで、ほのかな匂いがあたりには漂っていた。

 「みんなが食材を持ってきてくれてね。やっとカレーが食べられるのよ」

私にもそれは今まで避難所で見た中でも最高のご馳走だった。

 夕食のお邪魔をしてはいけないのでお暇しようとしていると、ある女性が「立花さんもカレー食べっていって」と勧めてくれた。

 貴重な食材を私が減らすことは出来ないと何度も固辞したのだが、先ほど港を案内してくれた男性が「食べていって。私達の気持ちだから」と優しい眼差しで言う。

 私は有り難い気持ちでご飯茶わんに大盛りになったカレーをいただいた。

 これは大げさではなく、人生で食べたカレーの中でもっとも美味しく感じられた。

 男性は私に「スタッフもみんな連れてきてカレー食べてもらって」とさらに勧めてくださった。

 カメラマンは正座しながらカレーを食べ、残ったカレーを指ですくい、茶わんをキレイにして返した。

 誰もが優しく謙虚な気持ちになれた夕食だった

 私はお腹よりも心がいっぱいになり、皆さんにお礼を言って避難所を後にした

 

 ふとカレンダーに目をやると、震災の発生から2週間が経っていた。

 この期間の経験は私の人生観を大きく変えた。

 

 被災地のあまりにも凄惨で、コトバに出来ない状況を目の当たりにして、自然の脅威と人間の無力さを痛感したこと。私達がいくら頑張って、人生の礎を築いてきても、天災によってそれはゼロになってしまう。頭では分かったつもりではあったが、自分自身がもう一度、自分の頭に叩き込み、その時に自分なら何が出来るかを考えるようになった。

 

 そして、一番大きい経験は被災者のみなさんの心、いや魂に触れ、取材している私がパワーをもらったことだ。

 人は絶望のどん底に突き落とされてしまった時に何を感じ、何を考えるのか。

 将来を悲観し、自分の運命を呪ってもおかしくはない。

 しかし、私が話をお聞きした人の多くから、希望のコトバが返ってきた。

 

 「何とかしなきゃ」

 「前を向かないと歩いていけないから」

 「コトバも前向きに使わないとね」

 

 それらの声は暗闇を照らすコトバの懐中電灯のように私には思えた。

 人は本当に絶望のどん底に突き落とされると、少しでも前を向こうとして、少しでも明るいコトバを使おうとする生物なのではないか。

 人間は素晴らしいと私自身が魂から実感したのも正直なところ、今回が初めてだったかもしれない。

 

 そして、もう一つ私が感じたこと。

真っ暗な避難所の中で、私には人の心の一つ一つがろうそくのともし火に見えた。

人が隣にいれば、人は何とかして生きていける。

そして、温かなコトバが間違いなく、そのともし火をより輝かせていたのだ。

 これらのともし火を消えさせてはならない。

 

 私達の生活は電気によってではない。魂のともし火によって支えられているのだから。(終)

 

 

 

 

 

 翌日のスタジオが終わると、私は再び女川に行くことになった。現地の漁業が受けた被害を具体的に取材するためだった。

 羽田空港に着くと、私の頭の中に昨日取材で出てきたコトバが浮かんだ。「歯ブラシ、お菓子」。あっ、そうだ。女川に着いたら、昨日の避難所に行き、皆さんに渡そう。そう決めた。

 空港の売店で東京のお土産のお菓子を買った。空港の売店には歯ブラシが無かったので、それらは山形で調達することにした。山形に到着すると近くのドラッグストアに行き、80本近い歯ブラシと歯磨き粉、さらには除菌ティッシュも買った。私が店員さんに「すみません。このお店の歯ブラシを買い占めてしまって」と言うと、被災地に向かうのが分かったらしく、「ご苦労さまです。気をつけて」と笑顔で送り出してくれた。

 

 そして、私は再び女川高校の武道場の中へと入っていった。手にはいっぱいの歯ブラシとお菓子を抱えて。

 前日、「歯ブラシ」と答えた小学生の姉弟が私を見つけて声をあげた。「あっ!」

 いったんは東京に帰ったはずの私が次の朝、再び避難所に来ていることの不思議さとともに、視線は手元の袋に向いた。

 「持ってきてくれたんですね」姉弟の母親が会釈してくれ、私は歯ブラシを見せた。

「すごい、やったね」子供達もとても喜んでくれた。そして、その場にいた何人かが私に大きな拍手を送ってくれた。

 さらに、昼食の準備をしていた、昨日、「お菓子が食べたい」と答えたご年配の女性にお菓子を持っていくと、「本当にありがとうございます」と何度も私の手を握った。

 私の行為は、はたから見ると偽善のように映ったかもしれないが、被災地で取材し、何も出来ない大きな無力感にとらわれていた私にとって、やっと自分が出来ることが目の前にあったのでやっただけだった。このような純粋な気持ちになれたのも、人生の大きな悲劇と直面している被災者の皆さんの苦悩に接し、私の中に自分自身の人生を考え直さなければならない、という気持ちが大きくなっていたからだ。

 

 歯ブラシとお菓子は私と被災者の皆さんの心の距離を少し縮めたようで、その後は打ち解けて話が出来るようになった。お菓子を私にリクエストした女性は故郷である女川のことを話してくれた。「本当にここはいいところでね。お魚が美味しいのよ。最高だね。立花さんはメロード知ってる?」

 

 メロードって何だろうと思っていると、隣にいた女性が「このぐらいの大きさかな」と指で示しながら、「あたたかいご飯と食べると本当に美味しいのよ」と教えてくれた。女川の地元の皆さんに愛されている魚だった。

 「家にいるでしょ。ポンポンポンて船の音が聞こえてきてね。海鳥の鳴く声もしてね。海の香りも漂ってきてね。何だか落ち着いてね」昔を振り返る彼女の顔は十代の少女のように見えた。

 「もしかして、文学少女だったのではないですか」私は聞いた。

 「何言ってるの。そんないいもんじゃないから。ただ、それだけ女川がいいとこだってことよ」女性は少し恥ずかしそうに胸を張った。

 「でも、全部流されちゃったからね。あの女川に戻るのに、どれだけ時間がかかるのかね」また、彼女の顔が寂しくなった。

 すると、また別の女性が通りがかりに声をかけた。

 「悩んでたって変わらないんだから。前を見なきゃ。」

 さらに、話を聞いていた水産加工の仕事をしていた男性が力強く宣言した。

 「あの女川を取り戻すために会社のみんなと話してるんだ。もう一度頑張ろうとね」

 前向きな沈黙が一瞬訪れた。

 

 「そういえば、女川は中村雅俊さんの出身地でしたよね」私は少し雰囲気を変えるために聞いた。

 「そうそう。雅俊君の家はすぐ近くだったよ。カッコよくてね。学生時代はギターを家で弾いてたけど、とにかく足が長くてね」

 私達はいろいろな女川の話に花を咲かせた。そして、いつの間にか、私の周りには何人かの住民が集まっていた。

 すると、一人の女性がこう言った。

 「オモシロイ・・立花さんはオモシロイね。」

 避難所でお話を聞いたわけで、私は大きな声はなるべく出さないようにしていたし、特にジョークを言ったわけでもない。ただ、皆さんの話が興味深くて、熱心に話を聞いていただけだ

 そのことを「オモシロイ」と評価してくださったのだろうか。私はとても嬉しくなった。(続く)

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