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僕が日本に戻って七週後 先生はヘヴン・バウンド747の片道チケットを搭乗カウンターに通して旅に
でた・・・ジェット機の楕円形の窓から 再会した左の腕と疲れのとれた軽やかな右の腕を曲げて顔の
横に両掌を持ってきて「バイバイ」と振ってる・・・「健康に気をつけるのよ」という決め台詞とともに
・・・♪ロンリー アイム ミスタ ロンリー♪・・・ジェット・ストリームが鳴りつづけている・・・
「モンマルトルの丘に集う恋人たちは・・・」でも「サンタンジェロ城の船上パーティの賑やかさに誘われて・・・」でもない「安息の光と時に満たされたテンゴク・・・」・・・城達也さん語ってくれよ
お通夜となる
ここからは記憶が断片化する 僕は何処かの家の二階ですし詰めの人たちと居る
「○△君、電話よー」僕の名を誰かが呼んだ
階段の下に電話があり受話器がはずしておいてある 応答する
「朝日新聞社の◇○といいます、先生のことを聞かせてくれるかな」
「どうぞ・・・」
「先生が亡くなってどう思いましたか?」
ほら来たぞ 抜き打ちのテストだよ・・・「・・・・・・」
「○△君?どうかな・・・」
「先生の教えに反するかもしれないし 家族の人には申し訳ないけど・・・」
ぼくの解答を述べた
「早く楽にしてあげてください・・・早く楽になりなよ・・・と思った」
新聞の活字になってしまう事は覚悟のうえで そのように云いきった
答えはどうなのか 僕は知らないし他の人たちが君は間違ってるぞ!と怒るならばどうぞ
僕はあの人が 十分に沢山の人たちを励まし勇気づけてきた事を知っている
自分自身が生きているだけで人々に希望を持って生きてもらえるならばと 頑張ってたことを知ってる
「死んじゃダメだ! 残されたみんなはどうなるの」などと励ましめいた言葉 死んでも吐かないのさ
果たして 翌日の新聞にはしっかりと僕のコメントが載りました
出棺の時・・・東京の大学に進んだ女子生徒が「先生いやー」とお棺にしがみ付き泣き叫ぶ光景を見る・・・そしてそういえば・・・いまのいままで僕は泣いていない事に気づく僕ばかりか仲間たちも
・・・誰も泣けてなかった・・・
そればかりかお経の間足が痺れては 狂気の爆笑に見舞われる
お坊さんが木魚を叩く姿を見ては また発狂の笑いが襲ってくる・・・
先生とのお別れは悲しみの爆笑で幕を閉じたのだ
その後も人生の先輩方は質問をしてきた
毎日放送はドキュメンタリー番組を作った 僕らは誰かの家でインタヴューを受けた
ナントカ新聞という地方誌にも「二十歳の○△◇・・・」みたいな見出しで成人の日記念みたく・・・
「何を学びましたか?」と明け透けな質問を受けた
そんなん文字や言葉にできないよ 目を瞑れば見えて来るんだよ・・・あの姿が・・・それでは
ダメかい? みなさん・・・そんな答えじゃダメなのかい?
最終的に二時間ドラマが取り上げる
丘みつ子さんという女優が先生を演じたようだった・・・ここまでいけばもうリアリティのかけらも
無く・・・どうかウソはつかないでと思ってました
そして成人式には市民会館の館長にお願いして「ピノキオの手」を玄関前で売らせてもらったりして
おかげで式典には入らずじまいだった・・・けっこう皆買ってくれた・・・ありがとう!
これで僕と僕たちと先生の話はお仕舞いです
先生の手術・入院の年月日、回数その他 手元に資料がなく事実とかけ離れているところも多々有ると
思います。ですのでこの物語はあくまでも僕の当時の回想の記録としてお考えください
読んでくださったかたたちは「誰にも言いませんよ」カードにミトメ印を押してください
大切に保管します・・・
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