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バンクーバー五輪、二つのメダルに湧いているが、競技ではなく、服装と態度での変な盛り上がりも、いまだに収まっていない。
ネット上でも、國母選手に対しては相変わらず厳しい意見が多いようだ。
確かに、あの服装と態度には不愉快な思いを禁じ得ないし、非難されて然るべきだと思う。
けれども、世間はいささか過剰に反応し過ぎではないだろうか?
自分には、なせ多くの人がこれほどの反応をするのかが正直分からない。
世間知らずな子供が、ちょっと生意気だったというだけのことではないのか?
それを、こうまでバッシングし、やれ、「日本の恥だ、強制送還だ」、やれ、「あんなを税金使って行かせることはない、代表としてのプライドはないのか?」と言うのには、全体主義に通じる何か危険なものを感じる。
オリンピックは、ある意味の国威発揚、ナショナリズムを喚起させ、メダルへのその期待は大きくなる。
しかし、その行き過ぎで自殺までしてしまった選手が過去にいたことを思うと、過度の期待はどうなのかと考えてしまう。
何十年前の日本と今の日本は変わっていない。これは良いことなのか、悪いことなのかと。
いったいオリンピックとは何なのか?
日の丸を背負って戦うことに、どんな価値があると言うのか?
その価値を知るのは、実際に日の丸を背負って戦った人だけで、外野である自分たちが云々するものではない気がする。
自分たちの多くは、ただ無責任な期待を寄せるだけでしかないではないか。それを、「日の丸を背負って」などと責任を押し付けて、なんだか勝手な話だ。
単にスポーツの祭典、直接的な利害が無い自分たちは、競技を楽しめるだけで充分で、ちょっと常識を弁えない生意気な子供が出たことで、「同じ日本人として恥ずかしい」などと思う必要はなく、恥ずかしさを感じるならば、もっと他のことで感じるべきだろう。
やれ制服が大事だ、服装の乱れは心の乱れだとか言うが、自分たちが中高生の頃を思い返せ。
國母選手、技はオリンピック級でも、心はまだ高校生。高校生がものを知らないことに腹を立ててバッシングするよりも、まずは競技をきちんとさせて、その後に注意するという方が、自分は健全な日本だと思うのだが、どうなのだろう?
オリンピックについてと、日本人としての愛国心。それによって見えてくるものと、見えなくなってしまうもの。それを、もう一度見直してみても良いのではないだろうか?
自分にとっては、見えなくなってしまうものの方が怖いような気がする。
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過剰な反応と言うよりは 自分たちの価値観と異なる対象を排斥しているだけでしょう 多様なあり方を認めようとしない狭量なものです
たしかに全体主義的な発想でしょう
2010/2/16(火) 午後 8:55 [ ☆林檎 ]
亀田兄弟、朝青龍と、世の中がこうあるべきだと考えているものを否定すれば、それはバッシングされるのは良く分かるけれど、あれは根っからの反骨精神とかいうものではなく、単なるファッションでしょう、精神的な。
あまり関係ないけれど、矢沢永吉が紅白に出ることを、内田裕也が、「紅白だけには出て欲しくなかたった」と言ったの思いだしました。
rock 'n' rollとは反骨だみたいにやってきた内田からすれば、紅白出場とは反骨精神を無くした世の中への迎合に見えた。
國母選手も大人になれば、自然と丸くなっていくでしょうに。
例えそうはならなくても、それはそれで本物として認めればいいし、不愉快に感じるならば、放っておけばいいだけだと思うのですがね。
なんでか、腹が立つ。
2010/2/17(水) 午後 10:41 [ revo2009 ]