創価学会員ですが、何か?

批判と擁護と中立と、いろんな御意見、お聞かせ下さい! ただし、ある程度のレベルのものを。

他宗教について

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全1ページ

[1]

(前記事よりの続き)


 話を戻します。
 占領軍のトップだったマッカーサーは、昭和二十五年六月に起きた朝鮮戦争で、自ら共産軍と戦うことになった。この朝鮮戦争というのは、北朝鮮が中国とソ連の支援を得て、朝鮮半島統一をめざし韓国になだれ込んで来たもので、マッカーサーは辛うじてこれを押し返し、韓国防衛のため、満州にまで戦略を展開しようとしたのです。
 で、マッカーサーはこの戦いを通して、始めてわかったのです。明治維新以来ロシアの南下という脅威を受け続けていた日本と、自分が同じ立場になってみて、始めて「日本が国を守ろうとすればどうするであろうか」ということが、マッカーサー自身、身に沁みてわかったのです。

 そして昭和二十六年五月の米上院議会で「日本が戦争に突入した動機は、主として、自衛のためであった」という趣旨の証言をしたのであります。

 しかし自衛のためであっても、アメリカと日本では国力に差がありすぎた。開戦より三年九ヶ月、満身創痍(まんしんそうい)となって力尽きた日本は、ついにポツダム宣言を受諾した。敗戦したのです。その決め手となったのが、広島・長崎への原爆投下であった。

 終戦の詔勅で昭和天皇は「……敵は新たに残虐なる武器を使用して頻りに無事(罪なき民)を殺傷し、惨害の及ぶところ真に測るべからざるに至る。而も尚交戦を継続せんか、終に我が民族の滅亡を招来するのみならず、延て人類の文明をも破却すべし。……帝国臣民にして戦陣に死し職域に殉じ非命に斃(たお)れたる者、および其の遺族に想を致せば、五内(ごたい)《五臓》為に裂く……」と血を吐くような思いを述べておられる。

【ソ連の参戦】

 このような瀕死の日本に、ソ連が参戦して来たのです。
 日本とソ連との間では、昭和十六年(一九四一年)四月に日ソ不可侵条約が結ばれていた。にもかかわらず、スターリンは長崎に原爆が投下された昭和二十年八月九日、突如、満州・樺太・千島に一五〇万の大軍と戦車五千両を投大してなだれ込んで来たのです。
 この侵攻は、すでに息もたえだえの日本を見て、戦後の分け前を確保しようとの、スターリンの佼措な企みからなされたものです。

 さらにソ連軍は、終戦の十三日後に、択捉・国後・色丹・歯舞の北方四島を占領し、その不法占拠は現在にいたるまで続けられている。まさに火事場泥棒です。

 それだけではない。ソ連軍が満州になだれ込んだとき、一五五万人ともいわれた日本の居住民に対し、どれはどの残虐行為をしたか。
 そのさまは、あたかも飢えた狼が子羊の群れを襲うにも似ていた。日本人の民家に押し入ったソ連兵は、銃でおどして金品を強奪し、殺戮し、婦女子を凌辱し、暴虐の限りを尽くしたのです。
 このような残虐行為により、二十四万人以上の日本人一般市民が命を落したのであります。

 それだけではない。ソ連は武装解除した日本車兵士約七〇万人を不法に抑留し、これをシベリアの奥地に送り込んで強制労働に従事させた。
 この苛酷な労働と、飢えと、寒さにより、七〇万人のうち実に十万人が死に追いやられたのです。
 これが、スターリンのソ連が、敗戦時の日本に対して行なった残忍な仕打ちであったのであります。
 
【侵略戦争ではないが罰】

 以上、明治以来の四つの戦争を見てきました。
 これを大観すれば、前に述べたごとく、白人の東洋への植民地支配の中でただ一つ独立を保って来た日本が、自衛のため、祖国防衛のために戦った戦争であります。

 しかし日清・日露は辛じて勝てたが、日中戦争では泥沼に引きずり込まれ、日米戦争では刀折れ矢尽きたうえに原爆で止どめを剌され、さらにソ連によって領土を奪われた。まさに福運が尽きたのです。
 ただし東南アジア諸国は、日本のこの戦争によって、長きにわたる白人支配の植民地から、それぞれ独立できた。これは世界史的意義ともいうべきものであります。

 このように、明治維新以来の日本の戦争は、侵略戦争などというものではなく、まさしく祖国防衛戦争であった。
 しかし、これを仏法の眼で見れば、このような戦争に引きずり込まれたこと自体が、罰なのであります。
 すなわち日本国は七百年前、あろうことか日蓮大聖人の御頸(おんくび)を刎(は)ね奉るという大逆罪を犯しながら、未だに改悔(かいげ)なく背き続けている。ゆえに他国侵逼は歳を逐うて激しくなっているのであります。

【「大闘諍」はこれから】

 私は、日清戦争・日露戦争・日中戦争・日米戦争などは、まだ序分であると思っている。いよいよこれから、大聖人ご予言の「前代未聞の大闘諍 一閻浮提に起こるべし」が、事実になると確信しております。
 そのときこそ、日本が亡ぶ時、そして同時に、広宣流布・国立戒壇建立の時なのであります。
 見てごらんなさい。
 地球上では、いまアメリカと中国が、共に人類を絶滅し得るほどの核兵器を持って睨(にら)みあっている。もし戦ったら人類を亡ぼす、いや地球すら壊わすことができる。これこそまさに最終戦争であり、「前代未聞の大闘諍」であります。
 そして共産党独裁の中国の核戦力は、いまや米国のそれを凌駕(りょうが)しつつある。すでに米国本土の各都市を核攻撃できるだけの力を中国は持つに至っている。

 それだけではない。平松茂雄氏によれば、有人宇宙船「神舟(しんしゅう)」に成功した中国は、米国のミサイル防衛システムをも破壊する「宇宙軍」を二〇一〇年までに作り、米防衛システムを無力化せんとしているという。
 もうアメリカの「核の傘」が日本を守ってくれるという時代は終わったのです。大きな地殻変動が起きているのです。

 この圧倒的な軍事力を持つ中国が、日本に侵略の鉾先を向けるとき、日本はどうなるか。仏法の道理の指すところ、この恐るべき他国侵逼は必ず起こる。
 日本の誰人も、これが日蓮大聖人に背くゆえの大罰とは知らない。だから他国侵逼か起こるとき、政治家も自衛隊も怖じ恐れ、右往左往するだけで、ただ亡国を待つのみとなる。

【忠誠貫く大集団必ず出現】

 だがこのとき、大聖人様のお力により、一国を諌める捨身の仏弟子の大集団が出現する――それが顕正会であります。
 御在世には戒壇の大御本尊御建立のとき、熱原の法華講衆が出現して大事な御奉公をされたが、これも仏様のお力による。国立戒壇建立のとき、どうして命かけて御本仏に忠誠を貫く仏弟子の大集団が出ぬ道理がありましょうか。
 ゆえにいま顕正会員として馳せ参じている者は、ことごとく地涌の菩薩の流類、一人として使命のない者はないのであります。

【日本に残された時間は少ない。】

中国の日本への侵攻は、早ければ二〇一〇年代、遅くとも二〇二〇年代、まさしく「あと十有余年」であります。
 大聖人様は、大蒙古の侵略に怯える幕府に対し、こう仰せられた。
  一豈(あに)聖人を用いずして、徒(いたずら)に他国の逼(せ)めを憂えんや」と。
 久遠元初の御本仏この国にまします。しかるに鎌倉幕府はこの大聖人を怨み、流罪・死罪に処した。このゆえに日本は諸天の責めを受けたのである。ここに大聖人様は「なぜ聖人の言葉を用いずして、いたずらに他国の逼めを憂えるのか」と諌め給うたのであります。
 今も同じです。真の天の責めであるならば、いかなる軍事力で守らんとしても及ぶところではない。ただ日蓮大聖人の仏法を立てて諸天の守護を得る以外には断じてない。
 ここに、大聖人様に捨身の忠誠を責く三百万の仏弟子と、その先陣たる男子精鋭十万があるならば、日本は必ず救える。そしてこの十万は、三万の結集が成ればもう眼前ではないか。
 さあ、三年後の男子部大会を一点に見つめ、男子部は本日より、大地ゆるがす猛進を開始してほしい。しっかり頼む。(ハイッ) (大拍手)

(終わり)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

以上であるが、これを読んで、どんなことを感じただろうか?


率直なところを聞かせていただけると、ありがたい。

(前記事よりの続き)


【西安事件】

 この指令を受けて、中国共産党の周忌来は西安へ飛んだ。この西安には、実は蒋介石が中国共産党に対する最後の総攻撃を打ち合わせるために来ていたのです。
 ここで、盧溝橋事件の伏線となる西安事件が起こる。
 なんと蒋介石が部下の張学良の罠にはまって、逮捕・監禁されてしまったのです。
 ところが、二週間後に蒋介石は釈放され、首都南京に戻っている。

 すると蒋介石は、それまで中国共産党と戦って「あと一歩」というところまで追いつめていたのに、突如、それまでの支那統一方針を一転させ、中国共産党への攻撃を中止して対日攻撃の戦争準備に入った。この方針転換は、西安で監禁されていたとき、中国共産党の周忌来と協議して合意したものだという。

 そして蒋介石のこの方針転換を確認するや、ソ連は蒋介石に対し、極秘に三億ドルにものぼる莫大な軍事援助を開始しているのです。
 この経過を見れば、西安事件こそまさに盧溝橋事件の伏線であり、ソ連のスターリンが蔭(かげ)で糸を引いていたことは明白です。

 すなわちスターリンは、中国共産党を使って張学良に反乱を起こさせ、捕われの身となった蒋介石に命の保証と引き替えに方針転換を迫り、その見返りとして莫大な軍事支援を与えるという交渉を、周恩来にやらせた――というわけです。
 そして、この西安事件の半年後に、盧溝橋事件が起き、日本軍と蒋介石の国民党軍が戦闘状態に入ったのです。
 このように背後の真相まで見れば、日中戦争を起こした真犯人は、まさしくソ連のスターーリンだったのであります。

【通州事件】

盧溝橋の事件後、日本側は戦闘が拡大しないようにと必死に努力し、ひとまず現地協定も成立させて隠忍自重(いんにんじちょう)を重ねて来たが、中国軍は次々と日本軍を挑発するような事件を起こした。

 たとえば「通州(つうしゅう)事件」。
 これは日本軍守備隊と日本人居留民(きょりゅうみん)の老若男女約五百人が、三千人の蒋介石軍によって、およそ人間とは思えぬような方法で惨殺された事件です。これほど惨(むご)い、これはどの辱(はずかし)めが人間としてできるのかというような、口にするのも忌(いま)わしい殺戮であった。この「通州事件」は日中戦争拡大の契機となった重大事件なのに、戦後の日本の教科書には全く載ってない。これも、中国に対し腰の引けた自虐史観のゆえであります。

 さらに「上海事件」というテロ事件など、中国軍は次々と事件を起こしては、日本軍を大陸の泥沼に、土竜(もぐら)叩きのように誘い込んでいったのです。
 まさに日本は中国共産党の罠に嵌められ、引きずり込まれていったというのが、日中戦争の真相であります。

【漁夫の利】

 かくて国民党軍が日本と戦っている間に、毛沢東の中共軍は勢力を盛り返し、日本が敗戦したのちには国民党軍を潰滅(かいめつ)させ、蒋介石を台湾に逃亡せしめた。そして一九四九年に「中華人民共和国」すなわち現在の中国が建国されたのであります。

 だからこんな話がある。中国を訪れた日本社会党の佐々木更三委員長が毛沢東と会談したとき、委員長が「日本は中国を侵略して本当に悪いことをしました」と詫びた。すると毛沢東は
 「何をおっしゃる。日本が国民党と戦ってくれたおかげで、われわれは天下を取れた」と答えたという。これが日中戦争の真実の姿であります。

 その中国がいま「歴史認識、歴史認識」といって騒いでいるのは、まさにこれ、日本を屈従させ、やがて属国にするための謀略なのであります。

【日米戦争】

 最後に、日米戦争。
 日本は米国となぜ戦わねばならなかったのか――。当時、昭和天皇をはじめ東条首相も国民も、誰一人として日米戦争を望むものはいなかった。にもかかわらず、開戦となってしまったのです。

 その原因を一口でいえば、アメリカの日本に対する人種差別と石油の輸入禁止であります。
 戦前のアメリカは、今からは想像もできないほど人種差別の強い国だった。だからこそ、アフリカから黒人を捕まえてきて奴隷にすることもできたわけです。そのアメリカが、日露戦争に勝った日本を見て、ある種の恐怖心を懐いたのです。

 当時、「日本には連合艦隊という凄いのがある。しかしアメリカには艦隊がない」あるいは「太平洋を挟んで、もしかしたら日本がアメリカに攻めてくるのではないか」などという記事が、まことしやかにアメリカの新聞に載っていたほどです。
 またアメリカは中国大陸に進出する野心を懐いていた。ほかの西欧諸国は東洋に次々と植民地を作ったが、アメリカは出遅れたのです。西部へ西部へとインディアンを征服し、次にハワイそしてフィリピンにまで手を伸ばしたが、西欧各国に比べれば出遅れていた。そこで何とかして中国人陸に進出したいという野心を懐いていた。
 ところが日露戦争の結果として、日本は満州に権益(けんえき)を得た。この日本をアメリカは邪魔に思い、疎ましく思うようになっていたのです。

【排日移民法】

 この心理が「排日(はいにち)運動」すなわち日本人を排斥する運動となって、ついに大正十三年に「排日移民法」というのが成立した。
 これはどのような法律かと言うと、「黄色人種の日本人は帰化不能外国人であり、帰化権はない」としたもので、これを、それまでの各州の法律ではなく、連邦法として定めたというものです。

 この人種差別法の成立は、それまで米国に好意的であった日本の人々の対米感情まで一変させた。たとえば渋沢栄一などは親米そして温厚な勝れた実業家であったが、その渋沢栄一さえ「米国は何というひどいことをするのか」といって憤慨(ふんがい)したという。

【石油禁輸と「ハル・ノート」】

 さらにアメリカは盧溝橋事件以後、日本に対して「ABCD包囲陣」というのを作った。
 Aというのはアメリカ、BはBritainでイギリス、CはChina、ただし中国共産党ではなく蒋介石のチャイナ、DはDutchでオランダ。すなわちアメリカを中心とするこの四ケ国で、日本を包囲して「日本には石油を一滴も入れない」と決めたのです。

 日本には石油資源がない。もし石油が入って来なければ、軍艦の一隻、航空機の一機も飛ばせない。工場もすべて止まる。国家は存続できなくなるのです。

 さらに追い討ちをかけるようにアメリカは、日本がとうてい受け入れることのできない要求、これを実行したら国家が解体するというような要求ばかりを書き連ねた、いわゆる「ハル・ノート」を、最後通牒として日本に突きつけてきた。これが昭和十六年十一月二十六日です。
 まさに石油禁輸で喉首を締め上げたうえ、「ハル・ノーート」の七首(あいくち)を日本の脇腹に突きつけてきたというわけです。

【スターリンの謀略】

 それにしても、なぜアメリカは、手の平を返したように無理な要求を突きつけてきたのか。実は日米交渉は、ぎりぎりまとまるかもしれないという空気もあったのです。
 ところが、「開戦やむなし」と決断せざるを得ない「最後通牒」が、いきなり突きつけられた。
 実はここにも、コミンテルンの謀略の手が伸びていたのです。近年公開されたアメリカの「ヴェノナ文書」という史料によって、驚くべき事実が明らかになった。

 それによると、ルーズベルト大統領のもとで財務次官を務めていたハリー・ホワイトという人物が、「ソ連のスパイ」だったのです。そして「ハル・ノート」は、このホワイトが書いたものであった。

 日米交渉に当っていたハル国務長官本人が作ったものは、もっと穏やかな内容だったのです。ところが、ソ連のスパイが、日本が激昂(げきこう)するような案を作り、これを巧みに大統領に採用させ、「ハル・ノート」として日本に突きつけたのです。
 このようにスターリンは、アメリカ政府の中枢にまで、米人ソ連スパイを多数送り込んでいたのです。
 ついでに言えば日本に対してもスターリンは、ゾルゲや尾崎秀実(はつみ)らをスパイとして暗躍させている。尾崎秀実などは巧みに近衛内閣のブレーンとして日本の国策決定に参与し、日中戦争を拡大させたり、日本を対米戦争へと追い込んでいく謀略活動をしていたのです。

 では、なぜスターリンは、日米を戦わせようとしたのか。
 それは、当時のソ連がドイツに攻め込まれ、首都モスクワまでも陥落寸前の状態になっていた。もしドイツと同盟関係にある日本が、東から攻めて来たらソ連が危うくなる。何としても日本の矛先をアメリカに向わせなければいけない。かくてスパイのハリー・ホワイトに、日本が絶対に呑めない「ハル・ノート」を作らせたというわけです。

 ここにおよんで日本は、「坐して死を待つよりは・・・」ということで、やむなく開戦に踏み切った。昭和十六年十二月八日のことです。
 これが侵略戦争であるわけがない。まさに国家の存立のため、自衛のため、やむなく戦争に突入したのであります。
 このことは私がいうのではない、あのマッカーサーがアメリカ議会で証言しているのです。

【マッカーサーの議会証言】

 マッカーサーという人物は日本と戦ったアメリカの総司令官ですよ。そして占領軍のトップとして敗戦直後の日本に赴任し、占領政策の一環として現憲法を日本に押しつけ、さらに極東軍事裁判いわゆる「東京裁判」を開いて、日本の戦争犯罪なるものをでっちあげ、宣伝した敵の大将ですよ。
 このマッカーサーが、昭和二十六年五月三日、米上院軍事外交合同委員会に召喚され、戦争に突入した日本について、証言をしたのです。

 ついでに言っておきますが、日本国内の自虐史観というのは、前述のごとく、マッカーサーが「東京裁判」に基づき日本の戦争犯罪なるものを宣伝したところに始まった。しかしアメリカはまもなくこれを言わなくなったのです。
 するとこんどは、中国・ソ進が動き出し、その手先のようになっていた日本国内の左翼政党、マスコミ、進歩的文化人、日教組などが、「日本は侵略戦争をした悪い国だ」と自虐史観をしきりと強調するようになった。そして日本人自らが日本を貶す自虐史観の教科書を作り、それを生徒に教えたのです。かくて日本人は、国に誇りを持たず、国家を忘れ、自己中心・欲望肥大の自堕落・亡国的な民となっていったのであります。


(続く)

(前記事よりの続き)


【朝鮮半島は日本の生命線】

その日本が、もっとも恐れていたのが、領土野心に燃えるロシアの南下であった。
 当時のロシアは不凍港(ふとうこう)を求めて、朝鮮半島を狙っていたのです。ロシアは領土は広大であったが、冬になるとすべての港が凍ってしまう。そこで不凍港を求めて朝鮮半島に南下して来たのです。

 もし朝鮮半島がロシアの手に落ちれば、次は日本が侵される。ゆえに朝鮮半島こそ日本の生命線であった。そこで日本は、ひたすら朝鮮の自主独立を望んだのです。

【日清戦争】

 当時の朝鮮は、中国大陸の「清(しん)」という国の属国になっていた。この清は大国ではあったが、自国の領土保全もままならぬ老廃国たった。だからもしこの清に朝鮮を任せて放置すれば、必ず朝鮮半島はロシアに領有されてしまう。

 そこで日本は、何とか朝鮮が独立を保(たも)ったしっかりした国になってくれるようにと、明治九年に「日朝修好条約」を結んだのです。その条約の第一条にはこうあった。
 「朝鮮は自主独立の国であり、日本と平等の権利を有する」と。

 この修好条約が結ばれたことにより、日本と朝鮮の双方に喜ぶべき状況が生まれたのです。
 ところが、日本を小国と蔑(あなず)っていた清国は、あくまでも朝鮮を属国にしようとして、口実をもうけて朝鮮に出兵してきた。そこで日清戦争が始まったのです。

 どちらが正義であるかは一目瞭然でしょ。日本は「朝鮮を独立させたい、何とかしっかりした国になってもらいたい」との目的しかない。清国は「属国になれ」ということですよ。どちらに正義があるかは明らかであります。
 当時、清国は老廃国ではあったが、世界からは「眠れる獅子」といわれ、小さな日本と比べればたいへんな強国だった。そこで勝つことは難しいと思われていたのです。

 だが、日本が勝った。そして日本はその講和条約において、清国にはっきりと、朝鮮を独立国として認めさせた。日清戦争の目的はここに達成されたのです。これが明治二十八年のことであります。

【日露戦争】

 そしてこの九年後に、日露戦争が始まる。
 清国が朝鮮半島から手を引いたあと、こんどは最も恐ろしいロシアが、朝鮮半島に南下して来たのです。

 ロシアは対馬の正面に位置する巨済島にまで要塞を築こうとした。日本はこれを何とか中止させようと、必死の抗議を重ねた。しかし日本を軽視していたロシアは抗議を全く無視した。
 もし巨済島に要塞が設けられたら、日本は存立の危機に陥る。ここに、自衛のためやむなくロシアと戦わざるを得なくなったのであります。

 当時のロシアは、世界最強の大国だった。とうてい勝ち目はない。だからこの宣戦布告を決する御前会議で、明治天皇は落涙されている。「勝つ見込みのない戦争だが、戦わなければ日本は亡びる。もし負けたら皇祖・皇宗に対し、そして国民に対し・・・」――この悲痛な思いが、涙となったのでありましょう。世界各国も、日本は必ず負けると思っていた。

【小国日本が勝った】

 だが、日本の陸軍は奉天の会戦で、あのコザック騎兵で有名な世界最強のロシア陸軍を打ち破ったのです。日本の司令長官は大山巌元帥であった。
 また海軍は日本海海戦において、これも世界無敵といわれたロシアのバルチック艦隊を潰滅させた。日本海軍連合艦隊の東郷平八郎司令長官は、戦闘開始に当って旗艦「三笠」のマストに、Z旗の信号を挙げた。
 「皇国の興廃この一戦に在り、各員いっそう奮励努力せよ」と。
 まさにこの一戦こそ、日本の命運を賭した一大海戦だったのです。
 当時の日本は明治天皇のもと、政治家も、官僚も、軍人も、国民も、みな「お国のためなら」と命を投げ出していた。いまの腐敗堕落、魂のぬけたような日本とは天地雲泥であった。

 この日本の勝利は、全世界を驚嘆させた。何しろ、アジアの有色人種の小国が、世界最強の白人国家・ロシアを打ち破ったのだから、まさに驚天動地だったのです。

 これが世界にどんな影響を与えたかというと、日露戦争以降、白人の植民地は世界で一つも増えていない。まさしく白人による世界植民地争奪戦は、コロンブス以降四百年にして、ここに完全に挫折したのであります。

【日中戦争】

 次に、いま中国がもっとも重視している日中戦争について述べます。

 中国は「日本が侵略した、侵略した」と盛んに宣伝して、日本人の心に自虐史観を刷り込んだが、この戦争はどうして起きたのであろうか。
 その発端が「盧溝橋(ろこうきょう)事件」であったとすることは、日中両国の共通認識です。
 だから中国は、盧溝橋のすぐ傍に広大な「中国人民抗日戦争記念館」を建て、日本軍の残虐ぶりを写真や人形で示し、この日本兵と戦って中国人民を守ったという中国共産党軍の「雄姿」なるものを宣伝しております。しかし実際は、日本軍は蒋介石の率いる国民党軍とは戦ったが、中国共産党軍とは戦っていないのです。つまりこの展示は、中国人民に日本への敵意を懐かせることを目的にした捏造なのです。

 しかし、訪中する日本の政治家のほとんどはここを訪れる。いや訪れさせられるのです。歴代総理の多くもここを訪れ記帳しては、謝罪の意を表わしております。
では、この盧溝橋事件というのはどういうものかというと――昭和十二年七月七日の夜、廬溝橋付近において、条約に基づく国際平和部隊の一部として駐屯していた日本軍の一箇中隊に対し、何者かが発砲したという事件であります。
 そして中国は、この事件を、日本が侵略戦争を開始するために自ら仕組んだもの、これが侵略の始まりだといっているのです。

【盧溝橋事件の真相】

 だが近年になって、重大な事実が明らかになってきた。それはこの事件が、実は中国共産党が仕組んだ罠であったということです。

 当時の中国は、蒋介石(しょうかいせき)が率いる中国国民党と、毛沢東(もうたくとう)の率いる中国共産党の二大勢力が中国大陸で激しく争っていた。そして毛沢東の中共軍は蒋介石の国民党軍に完膚なきまでに叩き潰され、十万の兵力がわずか六千にまで減り、命からがら延安(えんあん)まで逃げのびたのです。

 この逃避行が中国共産党でいうところの「大長征(だいちょうせい)」です。
「大長征」といえば格好いいが、実のところは命からがら逃げのびたのです。
 この中国共産党が勢力挽回・起死回生の策として考え出したのが、国民党軍と日本軍とを戦わせて漁夫の利を得ようとするものだった。―その謀略こそが、盧溝橋事件だったのであります。

 謀略はこのように実行された。中国共産党のスパイが国民党軍の中に入り込み、まず日本軍に発砲した。さらに国民党軍に対しても発砲した。
双方とも相手が攻撃したと思い込み、やがてこれが全面戦争にまで発展していったのです。
 このことは、中国共産党の教科書といわれる「戦士政治課」の中に、「劉少奇(りゅうしょうき)指揮のもとに抗日救国青年隊が、中共の指令に基づいて実行した」と記されているし、
 また日本側でも、事件の直後、中共軍司令部に向けて「成功せり」という緊急電報が打たれたのを傍受したという証言が出ている。まさに日本軍は盧溝橋事件に「巻き込まれた」のであります。

【コミンテルンの謀略】

だが、盧溝橋事件には、その背後にさらに大きな謀略が潜んでいた。それがコミンテルンの指令、すなわちソ連首相・スターリンの謀略であります。
 コミンテルンとは、ソ連が結成した国際共産主義の組織です。
 ソ連という国は、日ロ戦争に敗れた帝政ロシアにおいて、レーニン等が共産革命を起こして作った国ですが、レーニン等は、共産主義の革命団体を世界中に作り出し、そのすべてをモスクワの指令によって動かし、各国の内部を混乱に陥れて共産革命を世界に広げることを企てていた。かくて結成されたのがコミンテルンです。そしてこのコミンテルンの指令は、各国の共産主義団体に対し、絶対の権威を持っていたのです。
 
 コミンテルンはロシア革命の立役者・レー・ニンによって一九一九年に結成され、その後、スターリンがこれを引き継いだ。
 スターリンは共産主義の水門を大きく世界におし広げ、結果、三つの大陸に十三の共産主義国家を誕生させ、人類の三分の一以上を共産化することに成功したという政治的天才であり、謀略と残忍性を兼ね備えた、史上稀に見る奸物(かんぶつ)であります。

 彼は冷酷無比な血の粛清、その犠牲者は数百万人にもおよぶが、その粛清でソ連国内を震え上がらせると共に、ソ連の国益を求めて国際的な謀略を駆使したのです。
 当時のソ連は、ドイツのヒトラーとの戦争に備えていた。この戦争を有利に進めるには、ソ連の東部国境の満蒙に配置されている日本の精鋭・関東軍を無力化する必要があった。そのため、日本軍と蒋介石が率いる国民党を戦わせることを、スターリンは謀ったのです。
 この戦略が成功すれば、国民党軍に追われて延安まで逃げ、全滅に近い状態になっている毛沢束の中国共産党をも救うことになる。そこでコミンテルンは中国共産党に、「国民党と妥協し、日本軍と戦え」との指令を発した。


(続く)

池田名誉会長の講演を一つも聞いたことがないのに、さも、池田名誉会長のことが良く分かっているかのように批判をする人がいる。

それに対して自分たちは、「少なくとも、池田名誉会長のものを何か一つでも読んでから批判しろ!」と思うはずだ。

ならば自分たちは、顕正会の会長の浅井昭衛氏のものを、何一つ読まずしてそれを批判することは控えるべきだと思う。

そこで、読んでみた。

以下は、

星界の道
http://plaza.rakuten.co.jp/sanmon77/
というサイトからの転記である。

少し長いものだが、お読み頂きたい。

*読み易いように、改行だけは付け加えた。

*また、この記事についての、批判のための批判となるコメントは受け付けない。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

浅井昭衛先生講演特集

男子部臨時幹部会(平成18年9月21日)

【自虐史観を捨て仏法史観に立て】

 きょうの臨時幹部会は、男子部らしい気随に満ちた、まことに素晴らしい集会であります。平日の夜、しかも急遽(きょ)の開催にもかかわらず、よくぞ全国から勇んで馳せ参じてくれました。この心意気この情熱、心から嬉しく思います。

 昨年九月、あの歴史的な男子部幹部大会を開催いたしましたが、それよりちょうど一年ですね。あの日、白ワイシャツに身を包んだ一万三千の男子精鋭が横浜アリーナの大会場を埋め尽くした光景は、今なお私の眼に焼き付いております。

 男子部はあの幹部大会より一段と逞(たくま)しさを増し、人材も続々と集いつつある。この姿は、大聖人様のお待ちあそばす大法戦場にひたひたと馳せ参ずる、若き地涌(じゆ)の流類を感じさせるものであります。

【三万人の男子部大会を】

さてきょうは、この臨時幹部会で、大事なことを決めたいと思っております。

昨年の幹部大会で、私はこう言った。
 「他国侵逼まであと十有余年、その時までに男子精鋭十万を結集して、大聖人様に応え奉ろう。日本を救おう」と。

 それより一年、いよいよ具体的に十万結集を進めなくてはなりません。その第一段階として、まず三万人の結集を三年後に成し遂げたい。

 三年後の平成二十一年は、大聖人様が立正安国論の諌暁をあそばされてより七五〇年に当る大節。また北京オリンピックの翌年であり、中国が動き出すであろう二○一○年代の、まさに入り口に当っております。

 この年に三万人の男子部大会を開き、いよいよ十万結集を確実にしたい。こう私は思っておりますが、男子部諸君、どうだろうか。(大拍手)

【今こそ「末法濁悪」】

 すでに広宣流布は、いま大詰めを迎えております。大聖人様が広宣流布・国立戒壇建立の時と御予言された「末法濁悪の未来」とは、まさしく今であります。

 その「末法濁悪の未来」とはどういう時代かといえば、特徴は二つある。

 一には、人の心が著しく崩れる時代。二には「前代未聞の大闘諍」が世界的規模で起こり、日本がまさに亡びんとする時代であります。
 いまの日本を見てごらんなさい。人の心は崩れて、獣のようになってきている。息子や娘が平然と親を殺す。親はわが子を虐待して殺す。こんな荒んだ世の中が、曽ての日本にあったでしょうか。物質的に恵まれているにもかかわらず、人の心は獣のようになってしまった。これが末法濁悪の特徴の第一です。

 また、今や中国の核は世界を制覇しようとしている。これこそ「前代未聞の大闘諍」の兆であり、日本は風前の灯火になっている。
 この日本の危機をもたらした最大の原因は、正系門家の仏法違背であります。池田大作は「選挙に不利だ」として、国立戒壇建立の御遺命を抛った。宗門はこれに諂い協力した。ここに御本仏一期の御遺命はまさに破壊されんとしたのです。どうして国が保つでありましょうか。

 そして不思議なことに、この御遺命破壊の池田大作が、他国侵逼の道を開けたのです。彼は当時中国首相だった周恩来の術策に乗せられて日中国交回復の先導役を務め、日本からODA等の巨額のカネが流れるようにした。そのカネがいま中国の核ミサイルとなって、日本にその標準が合わされているのであります。

【確固たる歴史認識を持て】

 そしてこの中国はいま、日本に対してしきりに「日本は侵略国家だ」「悪いことをした国だ」「歴史を鏡として謝罪せよ」などと言っている。国家主席の胡錦濤も口を開けば「歴史認識、歴史認識」と繰り返しております。

 そこできょうは少しばかり、歴史認識について触れておきたい。男子部諸君は確固たる歴史認識をもって、現在がいかなる時であるかをよくよく見つめ、広宣流布を力強く進めてほしいのであります。

 歴史の見方にはいろいろある。あるいは皇国(こうこく)史観、あるいはマルクス・レーニン主義の階級闘争史観、さらに敗戦後は自虐史観などという、日本人自らが「日本は悪い国だ」などと決めつける、わけのわからぬものまである。

 これらを一言でいえば、皇国史観は国主の福徳の因果を未だ弁えぬ部分的歴史観、階級闘争史観は共産主義による修羅界の偏見にすぎない。

 そして問題の自虐史観ですが、これは、始めは戦勝国アメリカが占領政策の一環として、日本を弱体化するためにこれを利用した。そして後には、中国・ソ連(現在のロシア)・北朝鮮等がこれを利用して日本人に贖罪意識を植え付けたのです。

 この自虐史観によって、「日本は侵略戦争を起こした悪い国」とされ、中国に全く頭が上がらぬ国になってしまった。この自虐史観こそ、まさしく他国の謀略に踊らされている歴史の見方であります。

 正しい歴史の見方は、仏法の鏡に照らした仏法史観以外にはないのです。

 大聖人様は神国王御書にこう仰せられている。
 「我が面を見る事は明鏡によるべし。国土の盛衰を計ることは、仏鏡にはすぐべからず」と。
――自分の顔を見るには、よく磨かれた鏡を見ればよい。だが国家の興亡盛衰の原因を知るには、仏法の鏡による以外にはない――との仰せであります。

【仏法の鏡に照らして見よ】

 では、この仏法の鏡に照らしたとき、日本が明治維新以来戦ってきた日清戦争・日露戦争・日中戦争・日米戦争等は、いったい何だったのか――。
 これを中国は侵略戦争だという。果して本当にそうなのか。結論から先に言います。

 これは侵略戦争ではない。日本が引きずり込まれた戦争であり、自衛のための戦争であった。しかし、このような戦争に引きずり込まれたこと自体が、日蓮大聖人に背き続けてきた日本の罰である――これが仏法の鏡に照らした実相であります。

 日興上人の申状を拝してごらんなさい。
 「所詮、末法に入っては、法華本門を建てられざるの間は、国土の災難日に随って増長し、自他の叛逆歳を逐うて蜂起せん」
 ――末法においては、日蓮大聖人の三大秘法に背き続ける間は、国土の災害は日とともに増大し、自界叛逆と他国侵逼は歳を逐って激しくなる――と。

 どうです、この仰せのとおりでしょう。大聖人御入滅後の日本の歴史を大観すれば、幕末までの五百数十年は、まさに戦国時代に象徴される内戦、自界叛逆の時代であった。そして明治維新以降は他国侵逼の時代に入り、その戦争も歳を逐うて大規模になりつつあるのであります。

【白人による植民地争奪】

 まず幕末の日本に、東洋に次々と植民地を求める白人たち、すなわち欧米の侵略が近づいて来たのです。この背景を知るには、歴史を五百年さかのぼって世界史を播かなければいけない。

 いいですか。いまから五百年前、コロンブスがアメリカ大陸を発見した。これから、いわゆる「大航海時代」が始まったのです。大航海時代なんていうと格好いいが、実は白人による植民地争奪の侵略戦争が、この時から始まったのです。

 白人は有色人種の国々を次々と「鉄砲と十字架」で侵略していった。これを最初に実行したのが、スペインとポルトガルですよ。この二国は、世界中の有色人種の国々を二分割するような勢いで先陣を争った。

 スペインが南米で、先住民を動物を殺すように征服していったその残虐ぶりは、歴史に残っている事実ですね。この大殺戮により、インカ帝国は滅亡してしまったのです。

 ついでオランダ、イギリス、フランスがこれに続き、十九世紀半ばになると、白人の世界侵略はア入リカ、中南米、さらにアジア太平洋地域のほとんどを獲り尽くしてしまった。

 アフリカの地図を見てごらんなさい。国々の国境は、定規で引かれたように直線になっているでしょう。これは白人がアフリカを分割した線引きの跡、植民地争奪の傷痕ですよ。
 彼らは土地を奪っただけではない。アフリカから黒人を数百万人捕えては奴隷にし、これを市場で売買して、動物のごとく鞭で打って使役をした。平和に暮していた先住民をこのように虐待した。これをこそ「侵略」というのであります。

【侵略、日本に迫る】

 そしてこの侵略が、十九世紀半ばには日本に迫ってきたのです。このとき、すでに日本周辺のアジア諸国はすべて侵略されて植民地になっており、日本だけが独立を保っていた。これが幕末におけるアジアの状況です。

 たとえばイギリスはインド、ビルマ、マレー半島を植民地にした。フランスは中国からベトナムを奪った。ですから、今でこそベトナムと呼んでいるが、当時は仏領インドシナと呼ばれていたのです。またオランダはインドネシアをぶん取り、アメリカは西へ進んでハワイ、フィリピンを獲った。ことに注目すべきは、ロシアが南下して沿海州を奪い、旅順や北朝鮮の港を占拠し、全朝鮮半島を支配する構えを見せていたことです。
 そのような状況の中で、極東の小国・日本だけが、不思議にも欧米列強の植民地になることを免れていたのです。だがその日本にも、幕末の嘉永(かえい)六年に、ペリーが黒船艦隊を率いて開国を迫ってきたのであります。

 この嘉永六年という年は、歴史の大きな分岐点ですね。この嘉永六年からの三年間に、大地の咆吼(ほうこう)のごとき巨大地震が四回も立て続けに起きている。この大地動乱こそ、日本がいよいよ他国侵逼を受ける時代に入ったことの前相だったのです。

 そして嘉永六年から十五年後に明治維新になる。これより日本はいよいよ他国との戦争に引きずり込まれていくのであります。
以下、その流れの、大要・概略を説明しておきます。

【明治維新以後の四つの戦争】

 思うに、明治の日本人は、日本の周囲が次々と侵略されていくのを見て、どれほど心細かったことか。明治の日本人は、国防を忘れたいまの俯抜けのような日本人とは違う。たいへんな危機意識を懐いていたのです。


(続く)

全1ページ

[1]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事