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震災半年

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元村です。

震災から半年が経った。2時46分にテレビをつけ、画面に映っている人たちと一緒に黙祷をした。
私は、2万人近い犠牲者の人たちのために祈りつつ、科学・技術の非力について考えた。

今回露呈したのは、地震学の限界。
たくさんのお金をかけて、たくさんの地震学者たちが日本海溝沿いの巨大地震について予測を立てたけれど、あんなに広い範囲の海底が動くとは誰も思わず、思ったとしても真剣に考慮せず、したがって、あんなに巨大な津波が押し寄せることも予測していなかった。

「万一」に備えた防災(減災)対策も、結局は無力だった。

予測は科学的データに裏付けられた、客観的なものであるほどいいと思うけれど、その予測が却って「それ以上悪い事態は考えなくていい」という心理につながったとしたら、皮肉なことだ。

「釜石の奇跡」を思い返している。
地震のあと、まっさきに高台に駆け出したのは、日頃から避難訓練をしていた中学生。
その姿を見て、小学生も後を追った。
大人たちも、それをみて「ただごとではない」と直感し、避難を始めた。
結果として、学校にいた子どもたちの大半が助かったという。

子どもたちは日頃から「想定を信じるな」と教えられていた。
「地震が起きたら、つべこべ考えず逃げろ」と訓練されていた。
「他人にかまうより、自分がまず生き残れ。みんながそうすれば、みんな生き残れる」とも教えられていた。
客観性も、利他の精神もここではお呼びでないのだが、それが幸いした。

震災から間もないころ、どこかの新聞で武田鉄矢さんがインタビューに答えて、
「頭のいい人たちが作った社会は、弱いですね」
と言っていた。

科学・技術はもはや不要か、といったらそうではない。
これを痛烈な教訓としてほしい。
客観性に溺れて自己満足に終わるのではなく、それらを社会技術として根付かせる努力をこれから始めてほしいと思う。

ヤス君が書いていた「今年の漢字」、災も難もぴったりだけど、私は「絆」だと思う。
知らない人のために真剣に祈ったことなど、震災前はそれほどなかった。
私と、まったく知らない誰かとの間に、絆ができた。
この絆を大切にしていこうと思う。

写真は月曜日の夕、都内某所から見たスカイツリーと月。きれい。


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