理系白書ブログ

毎日新聞「理系白書」の記者がつくるブログです

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人生初体験

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元村です。たいへん、たいへん、ごぶさたしておりました。

無精した理由は入院。
入院の理由は骨折。
骨折の理由は転倒。
転倒の理由は不注意。
というわけで、10月は骨折、入院、手術という人生初の3連発に翻弄されていた。

学ぶことがたくさんあった。簡潔に述べると、

1)不慮の事故というのは突然やってくる。
転ぶ瞬間まで、自分がこのような運命に巻き込まれるとはつゆ思っていなかった。
転んだ後もねんざだと思い込み、翌朝近くの医院にいってX線で写真を撮ったら、とても分かりやすく骨が折れていた。
それを知ってもなお「午後から会社に行ってもいいですか」とお医者さんに聞いたりした。
往生際が悪いというよりも、降って湧いた新しい事態を飲み込めていなかったのである。

2)家の中は危険がいっぱい。
転んだのは屋外だが、松葉杖で帰宅してみると、なんじゃこりゃというぐらい段差の嵐であった。
そもそも松葉杖に慣れていない上に、玄関、敷居、風呂場、ベランダ、風呂桶など段差が無数にあって途方にくれた。
両方松葉杖だと、お茶を入れた茶碗も運べないのである。もちろん調理もできなければ、買い物にも行けない。二次災害を防ぐため、早々と入院を決心。

3)一人で入院するのは大変。
独り暮らしの人は「入院セット」を、非常要持ち出し袋と同様に準備しておいた方がいいと思う。
不自由な体では、スーツケース出すだけでも大変なのだ。
足りないものの買い出しや荷造りを、同僚が手伝ってくれて助かった。
当日はタクシーを呼んだが、タクシーまで荷物を運べない。管理人さんに運んでもらった。助かった。

4)看護師さんは天使。
朝夕の検温&血圧測定、三度の食事と服薬指導、術後のケアから車いすまで、看護師さんにお世話になった。
手術のあと、麻酔が覚めて右足が焼けるように痛み、寝返りも打てず悶々として深夜、ナースコールを押した。「どうしました〜痛いなら我慢しないでね〜」とテキパキ対応してくれた看護師さん、ほんとに天使に見えた。
抜糸までの10日間、お風呂には入れないのだが、介護の専門職の人が髪を洗ってくれた。これも生き返るような気がした。

5)使わない機能は衰える。
手術翌日から足を動かすリハビリを始めたが、すでに右足首の可動域が狭まっていた。負傷から4,5日固定していたためだ。2週間、右足に体重をかけない生活を送っただけで、見た目にもふくらはぎがやせてきた。あまりの分かりやすさに笑える。

患部には、チタン合金のプレートが、9本のボルトで留められている。
今後は骨を育てつつ、リハビリで機能の衰えを取り戻し、徐々に体重をかけられるようにして、松葉杖から卒業することが目標。
この間、キャンセルした予定多数。みなさまご迷惑おかけしました。埋め合わせは元気になってから。

写真は病院の食事(おいしくて毎食完食)の一例。ベッドから見た秋の空。そして「ウチで飲むなら」とアルコールを解禁されたので、昨夜来てくれた友人との快気祝いの一こま。

ジャポニウム?

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元村です。またまたごぶさた。
朝刊デスク番が終わって一段落したところです。

きょう、自民党総裁選で安倍晋三氏が総裁に選ばれた。
次の総選挙で自民党が政権を取ったら、彼が総理になる。二度目である。
きょうの話題は、安倍氏一色の紙面で一服の清涼剤となった化学のニュース。

「113番元素 発見を確定」
理研のチームが、2004年の発見から続けてきた113番元素の追試を終えて論文を発表した。
これから先は、国際的な作業部会が検討する。認定されれば、理研チームに命名権が与えられる。
実は同じ元素を、ロシアと米国のチームが別々の方法で追いかけていて、ちょっとしたレースになっているので、結果は大いに気になるところ。
日本が命名できれば、周期表にその名が刻まれる。もちろん日本初、アジアでも初だそうだ。

で、どんな名前をつけるのだろう。
2004年の発見の時から、密かに楽しみにしてきた。
100年前、「幻の新元素発見」と言われた出来事があって、そのときには「ニッポニウム」と名付けられたそうだ。
今度は「ジャポニウム」との噂が高い。もっとも命名権がもらえるまで、楽しみながら決めたらよいと思うけれど。

私の家のトイレには「一家に一枚周期表」があり、毎朝眺めているうちに、けっこう覚えてきた。
名前の由来も載っているのがおもしろい。
110番台はまだ、名前がついてないのが多くて(つまり追試中)、それが埋まっていくと同時に、名無しの新元素も増えていくのだろう。
人間のあくなき探求心、好奇心に幸あれ。

写真は隅田川沿いのビルの壁に映ったスカイツリー。ふもとから見上げた東京タワー。残暑の寄居で食べた天然の鮎。夏の思い出。

学ぶ秋

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元村です。ほんと大変なごぶさたで・・・すみません。
精神的夏バテにより、書き込み滞っておりました。

さて、気候はいっこうに秋にならないまま8月は去っていった。
先週末は横浜、そして隠岐の島へ。

横浜では、新聞博物館で開催中の企画展「宇宙開発と新聞報道」のイベントに参加した。
前半は日本の宇宙開発の「語り部」、JAXAの的川泰宣さんの講演、後半は私が「聞き手」となって、的川先生と「宇宙報道」について語り合うトークセッションだった。

的川先生とは、取材でも、取材以外の場でもちょくちょくお会いするが、ご自身のことをじっくり伺ったことはなかった。
講演では、なぜ自分が宇宙に関心を持つようになったかを、いくつかの思い出・経験とともに話された。

エピソードの一つに、瀬戸内海での釣りを通した「不思議発見」がある。
海は青いのに、釣った魚を入れるバケツの水は透明だ。同じ水なのになぜ色が違うの?と疑問を持った的川少年は、白い板におもりをつけて沈め、色の変化を調べるという「実験」を試みる。
確かに、深くなるほど青くなったけれど、「なぜか」は分からない。
考えるうちに、「板は白いままだから、青くなったのではなく青く見えるようになるということだ」と気づく。
さらに考えるうちに、「見えるってなんだろう?」と考え始める。
謎は解決しないまま広がり、高校生の時、「原子とか分子のレベルから理解しないと解決しない」と思い定めて、大学で宇宙を学ぶようになった。

おもしろいでしょ。今の少年少女だったらスマホをすいすいーとやってなんとか質問箱に答えを聞くだろうね。

そんな話に刺激を受け、隠岐へ。東京からだと、伊丹で飛行機を乗り継いで正味3時間の旅である。
(フェリーだと、松江からでも3時間近くかかるそうだ)
こちらは、県立隠岐高校の理科のタナカ先生からのお誘い。とても平たく言うと「理科嫌いが科学ジャーナリストになれた理由」について、進路に悩む生徒たちに話してほしい、という趣旨だった。

初めて訪れる隠岐島はあいにくの小雨だったけれど、空港で待ち構えていたタナカ先生と、隠岐ジオパーク推進協議会のヒラタさんが、島内を車で案内してくれた。
いや驚いたね。確認された中で日本最古の石壁とか、昔むかしの火山活動でできた山から落ちてくる溶岩の「滝」だとか、手つかず(本当に手つかずです)の自然が至る所に残っている。
夏だと、透明度の高い海でのシュノーケリングやダイビング、晴れていればロウソク岩その他奇岩をめぐる船ツアーなどが経験できる。
今月21日、ジオパークになれるかどうかの発表がポルトガルであるそうだ。
また機会を見つけて詳しくご報告しましょう。

石や草木もさることながら、潮の香りや昔ながらの漁港の町並み、日本海の眺め、豊かな海の幸、東京では敬遠される甘い「刺身醤油」など、海水浴と言えば山陰だった少女時代が、五感からよみがえってくる旅であった。どうもお世話になりました。

写真は横浜中華街で食べたあさりそば、隠岐へ向かうプロペラ機、船着き場で出会った鬼太郎&目玉おやじ、そして出発前、港の食堂で食べたうに丼。美味でした。

大地の芸術祭

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元村です。

連日、暑い中にも少しずつ秋の気配。
南と北の窓を開け放しておくと、風が吹き抜けていく。
それでもやはり「端居」がよろしいようで。
朝、あるいは夜、椅子をベランダに出して、朝なら朝食とコーヒー、夜はハイボールといくつかのアテなどを用意し、新聞や本を読む。リラックスするひととき。
こういう時にはなぜか、PCを開こうという気持ちにならない。
以上、書き込みが滞った釈明でした。

先週末は新潟に出かけてきた。
十日町を中心とした越後妻有(えちごつまり)という地域で、3年に一度開かれる「大地の芸術祭」を見るためである。
3年に一度だからして、今年を逃すと3年後まで見られない。

昨年、「日本のミケランジェロ」こと石川雲蝶の彫刻を見に彼の地を訪れ、このトリエンナーレを知った。
2009年に開かれた時の作品群が、里山の風景のそこここに残っており、興味を持った。
東京23区より広い地域に、300を越す現代美術の作品が、周囲の環境と溶け込むように設置されている。1カ月近くかけて回る人も多いというが、そうだろう。
希望者は「パスポート」を購入し、お目当ての作品を訪ね歩く。スタンプラリーを兼ねた楽しみ方もできる。

今回は1泊2日(実質の活動時間は10時間ほど)だったので、車で回った作品は30足らず。でも十分楽しめた。
正直言って「なんで新潟でこんなに素敵で刺激的なイベントができるの?」と思った。
例えば、原っぱに突然現れた「窓」。正確には、窓枠とカーテン。併設された階段を上って、窓の外を眺めると、ゆったり流れるせせらぎと山々、そして青空が枠の中に「絵」のように見える。
棚田の中に、農作業をする人や動物のオブジェ。そして農作業の大変さと喜びを表現した詩が目の前に広がる。
どれも、美しい自然があるからこそ成り立つ作品だ。
新潟の豊かな自然を借景として、海外のアーティストたちが自由に発想した作品たちは、五感を刺激してくれる。
そしてあちこちに、地元の人たちが設営した「お休み処」があり、熱中症気味の来場者たちにお茶や手作りの漬け物を振る舞ってくれる。彼らが製作に参加した作品もある。
本当の意味で地元に溶け込んだイベントなのだと思い、最初の疑問は氷解した。

最後の方は、普通に建っている物置小屋とか、うち捨てられた車、廃屋なんかも「これって芸術か?」と見えてしまうから面白い。
会期は9月17日まで。ぜひ体験を。個人的には、8月の暴力的な炎天下より9月の方が、体には優しいと思う。
http://www.echigo-tsumari.jp/

写真は作品のいくつか。
それとある朝の朝食。マフィンにはチーズとハチミツゴマペーストを。ヨーグルトにはブルーベリー。

アルプス1万尺

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元村です。ちょっとごぶさたでした。なでしこ銀、おめでとう!

今週は夏休み。例年、地道に里帰りが定番だったが、今年は両親と日程が合わない事が分かり、思い切って旅に出た。
もちろん、炎暑の東京を抜け出す「避暑」および、メールを一切見ない「デジタルデトックス」が目的である。

行き先は富山。
私は富山大学で集中講義を担当していて、年に4回ほど富山に行くのだが、気がついてみたら、空港と大学を往復するだけである。
私を大学に誘ってくださったK教授が「夏の立山は涼しいですよ〜」というのに、にわか山ガール(ガールじゃないけど)の山っけが騒ぎ、人生初の3000m級挑戦となった。目指すは北アルプス立山連峰の「雄山」。なんでも、地元の小学生の通過儀礼になっている山らしい。

拠点となる室堂のホテル(標高2450m)に前泊し、翌日の早朝から頂上を目指す。森林限界を超えた高地なので、林のたぐいはいっさいなく、ホテルからルートも頂上も見えるというのが、低山とは違うところ。ハイマツや高山植物の緑、岩のグレー、そして残雪の白が絶妙なコントラストを青空に描いている。
いまだ残る雪渓を数カ所超えて、中継点の「一の越」へ。ここから、巨大な岩の集まりを這い上る急踏。
と、一の越の山荘から子どもが出てくる出てくる。どうやらこの日は通過儀礼の集中日らしく、推定200人ほどの小学生が、時間差を置いて頂上を目指すらしい。
ほぼ唯一のルートはしばしば渋滞したが、おかげで息が上がらずに頂上に達した。

頂上の三角点の標高は2990m。3000mを極めるには、頂上のさらにピークである「雄山神社」に参拝しなくてはならない。参拝料500円を投資し3003mで記念撮影。おはらいを受け、御神酒をいただき(お代わりは我慢)、無事下山した。

出発前から心配した天気は、小雨も降るが、私たちが登る時には青空になるという幸運に恵まれ、360度の絶景を堪能できた。
避暑気分なおさめやらず、翌日から世界遺産・五箇山と白川郷へ。合掌造りの民宿に泊まり、山菜や飛騨牛、地元特産の豆腐、イワナに悶絶。
東京に帰ってきて、山のようなメールの処理に2時間。とはいえ、俗世を離れ、人間本来の五感が研ぎ澄まされるような貴重な休暇となった。体重も2.4キロ増(笑)
写真は涼しさのお裾分け。室堂のみくりが池、高山植物、雄山頂上、白川郷の風景などなど。


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