寂しいときには・・・

動きます。せめて気持ちだけは前へ一歩!!^^

想い出箱

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今日という日は

もう

19年前になる

19年前の今日、

私は

すべてを捨てるため

始発の電車に乗った

ボストンバックには僅か1日分の着替えと

独身時代に貯めた預金通帳一つ持って

駅まで歩いて行く途中、

隣のおばさんと出会ってしまい・・・

そのおばさんは聾唖者だったから

手振りでおはようと挨拶をし・・・

もう

二度と見る事もないだろうと思う町の風景を

歩きながら

目に焼き付けて・・・

始発だからまだ辺りは薄暗く

途中から陽が差し始めて来て

その日の朝日の美しさは

こうして何十年経ってしまった今でも忘れる事はない



今日と言う日は

だから

改めて

ここから始まった日なのかも知れない

でも、行く先は

私にしても家族にしても

今日という日は

塞がってるトンネルか

少しでも抜け穴があるトンネルか

どっちのトンネルの中に入ったのか

誰もわからない状態で突入してしまった


でも

こうして私がここに存在しているのだから

抜け穴のあったトンネルに入ったわけで^^。




まだ明け切らない空を

始発の電車の窓から見上げたとき

思わず

涙が零れ落ちた

ぬぐってもぬぐっても

次から次へとやってくる涙の粒・・・

涙で霞んだその景色が

私に

最後の警告を言い放す

私の心と共鳴するかのように

ほんとにいいのだね?と・・・

今更

引き返せない

書置き残して来たのだもの

ずっとずっと前から決めてきたことだもの

それでも

次から次へとやってくる涙の粒・・・

一度は途中の駅で降りかけた

何度も何度も・・・

(最終章は12月6日ということで)

朝焼け

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今朝の朝焼け。

今からほんの30分前にお勝手口の扉を開けて撮った写真。

朝、ブログ友達のブログ覗いたら

この写真よりも綺麗に撮れてる朝焼けの写真を見て

真似して撮ってみた。(笑)

この時間になるとすっかり明るくなっていて

今日も暑くなるような気配。

朝焼けっていえば

長女を産んだとき、

病室の窓から眺めた朝焼けが

とっても綺麗だったことを想い出した。

8年前の私。

これは1999年だから8年前になるんだろうか。

ある文芸誌に寄せた私のエッセー。

あまり過去の物を再び読み返す事はしないのだけど

昨日、押入れを整理してて出て来たので読んでみると

そこには相変わらずの私がいた。^^

その時の時代も少しは把握出来る。

直しもしないでそのままちょっと載せてみようと思う。

「東京見物」


本当は、娘がこの連休に帰って来る予定でしたが3日から用事が入ってしまったので

急遽、私が娘の所へ行く事に変更。

名目は娘の部屋の大掃除をしに。(大半は遊び目的です。バレバレですが^^)

 1日、朝7時。息子を学校に送り出し、急いで支度。

夫は29日から休みに入っているので、のんびりとまだフトンの中。

朝ごはんを早く食べて貰わないと片付かないので無理やり起こし

朝食をとってもらい、その間にチロにも朝食を。

夫は、2日、3日、4日とプロ並にゴルフの予定が入っているのでその服の支度・・・

今日の夕食のおかずを作り置き・・・・

出かける前からもう、くたくたです。でも、久しぶりに娘に会えると思うと思わずニンマリ・・。

「向こうへ行ってもまた疲れるんだわぁ」

と、たいして嬉しくない様なフリをしていざ出発。

 1日、午前11時。東京行きの新幹線の中、さすがに混み合っています。

3人掛けシートの通路側の席、何だか落ち着きません。

隣の席は必要以上に仲のいいカップルですもん。

名古屋出発から約40分くらい過ぎた頃、

前の席に座ってるおじさん二人、右の景色、左の景色、交互に見始め、とても落ち着きがありません。

(富士山が目的だな、こりゃ)

と思い、よっぽど

「まだ20分くらいしないと見えて来ませんよ」と

お節介したくなりましたがもし違ってたら赤面ものなのでやめました。

でも予想は的中。富士山が見えてくるまでの約20分間、せわしなく右に左に動いていた首も

富士山を十分堪能してからはピタっと止まり、後は熟睡に入っていかれました^^。

(イビキがクーカー聞こえて来ましたから。疲れちゃったんでしょうね)

 そんな人の観察してたりして1時間半があっという間に過ぎ、横浜に着いた途端、

携帯電話がピーっと鳴り、スカイメールが飛んできました。

まだ携帯を持ち始めて1週間。やっと留守番電話を聞く事、メモリーダイヤルで掛ける事、

マナーモードの設定の仕方を覚えたばかりで

メールを見ること、送ること、まだマスターしてありません。

たぶん、息子か娘かどちらかだと思いますが(夫はそんな気のきいたことサラサラ覚える気ないので)

ハテ、どうしたものか。。。早速、娘に電話。でも移動中で出られませんというアナウンス・・・

きっと待ち合わせの町田に向かってるんだろう。今度は息子に電話してみた。

そしたらやっぱり犯人は息子。

「お母さん、使い方分らなかったら携帯持ってる意味ないじゃん」と

憎らしい言葉が返って来ました。

家では義母以外、みんなが携帯をそれぞれ持っているんです。

息子と私はほんの2週間前にジェイホンを。夫は3年前からドコモを。娘は大学に入ってからIDDを。

連絡がつかないと不便な時があって。これも時代でしょうか。息子はパソコンに今、夢中で

すぐ部屋にひっこんでしまい、親子の会話が少なくなりました。

私はアパートの管理など、パソコンを覚えたら楽だろうなとは思うのですが、どうも覚える気が

湧いてきません。ワープロをやっと覚え、家賃の管理がようようスムーズに出来る様になった所です。

新しい事を覚えようとするスペースがまだありません。

でも、興味はあります。約、何もかもで50万円程投資したパソコンです。

息子だけの物にしておくには何だか少々悔しい気持ちがありますから^^。

 最近、やたらと覚えれば便利かしらないけど機械が生活の中に入り込んで来すぎです。

オバさん族に入ってきた私としては、どうもついていけません。

字を書くには手文字が一番。計算するにはそろばん。とまでは言わないですけど

せいぜい計算機一つ一つ確かめてからでないとどうも信用できません。

ワープロで一度にざっと総合計が出て来ても

また計算機で確かめている自分に最近はちょっと苦笑してます。

 話がとんでもない方向に飛んでしまいました。そうそう、スカイメールが飛んできたところまで

戻りましょう。

 結局、息子の飛ばしたメールを読まないまま、娘と待ち合わせをした町田へ。

12時頃着き、娘と合流。

軽く食事をして浅草へ連れて行って貰いました。

 浅草へは、1度、中学の修学旅行で来たかも知れませんがまるで記憶がありません。

普通の日曜日より混んでないとの事でしたが、それでも凄い人。

水上船で東京湾を観光した後、天丼がおいしいと評判の大黒屋という店に入り

エビ天丼1800円也を注文。

やっぱり美味しかったです。

もう、それで夜の7時くらいになってしまったので帰路に着きました。

 娘は相模大野駅に自転車が置いてあったので、それで帰宅。

私は一人、バスで娘の下宿へ行く事になったのですが、本当なら約30分後には娘のアパートに

着く予定でしたが、バスを降りて歩く間の15分で道に迷ってしまって

結局45分くらい歩いた後、やっと無事アパートに辿り着き、どっと疲れが出て

そのままバタンキュー。風呂にも入らず寝込んでしまいました。

 朝、起きてからが大変。朝6時起床。

口実だったはずの大掃除をほんとにしなくては落ち着かない部屋に起きてみて実感。。。

まずは風呂場から手をかけ、トイレ、台所・・・

もう、この頃には娘も目が覚め、平然と

「あらぁー、さっぱりしたねー」ともの申し・・・

娘の寝ているベットも移動させての本当の大掃除を始めてやっと納得の行く部屋に仕上がったのは

もう、お昼近く。

いかなる部屋だったかこれで想像が出来ると思います。(冗談で掃除しに行ってくるが半分

本当になってしまいました。これこそ冗談じゃないぞ!!です)

それからお風呂に入り、食事は近くのローソンで材料を仕入れてぱっぱっと簡単な物を作り

(本当は出た時くらい豪華な食事をしたかったのですが・・・)

それで朝食、昼食兼用で済ませました。

夕方、娘に急なバイトの予定が入ったので早々にアパートを出て

娘とちょっとショッピングをして夕方5時、帰路に着きました。

でも新幹線の時間が6時3分だったのでそれまで新横浜で時間を潰したのですが

何やら凄い人。聞けば、ジャニーズジュニアのコンサートがある為とか。

遠く岡山の方からわざわざ来た子もいたりして、暫くぼーっとその人の多さに見惚れてしまいました。

 新幹線に乗り込んだときはもう本当にぐったりです。

夕食を食べるものも忘れ寝込んでしまいもう少しで乗り越してしまう所でした^^。

京都まで行ったら笑い話にもなりませんもの。今度はせめて2泊はしようと心に決めました。

でも暫くは旅行はこりごりです。^

去年の今日は。

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去年の今頃は私はグアムにいた。

海外がこれが生まれて初めてで。

娘が今は東京に戻って来てるけど

去年はグアムでダイバーのインストラクターをしていたのだ。

娘が私と父親を遊びにおいでって招待してくれたのだけど

父親はさらさら行く気はなく(飛行機に乗りたくないのと仕事の休みがとれないのと両方^^)

はじめはそれならと息子と私で二人で行く事にしたのだけど

息子も仕事を休めなくなって

結局一人で行く事に。。。。

初めての海外旅行でそれも一人っきりでなんて不安で仕方なかったけど

それでも何とか無事行って帰って来れました^^。

ま、私の事だもの。ドジがまるっきりなかったわけでなく・・・・

いろいろな新しい発見があった。

向こうのトイレは扉の下の部分がないのだ。覗こうと思えば覗ける様になっている。

たぶん、私の思うに

向こうは治安が悪いからトイレに閉じ込められたとき逃げられる様にってことだと思う。

それに比べたら覗かれることなんてどうってことないのかも^^。

グアムには教会が多い。車で走っているとそこらじゅうで見かけた。

向こうの人はやたら子錦みたいなキングサイズの人が多い。

ショッピングモール行って驚いたのは

カートだって凄いでかいし、売ってる品物も

どれもとにかくスケールがでかい。

LLLLサイズぐらいありそうな服でも普通に売ってるのだ。

いたる所でチップは当たり前の様に出さなくてはいけないみたいで。

ホテルは

レオパレスリゾートホテルという所のツインの部屋をとってくれてあったのだけど

凄く広い。(部屋はちょっと豪華なのを用意してくれたみたい)

ここで3泊した。

同じ部屋なので外出するとき

枕元にチップを置いていくのだ。

だから

そこにもしチップとしてではなく

ポケットから出したお金を裸で置いておけば

掃除に来た人がチップと思って持って行ってしまうらしいから注意しなきゃいけないとのこと^^。

娘はわたしの為にまる3日、休みをとって3日間私をそこらじゅうに案内してくれた。

こうして長い時間娘と一緒に過ごしたのは大きくなってからは初めてのこと。

自分がダイバーしてるところも案内してくれた。

夜景もすばらしかった。

一生の想い出をくれた娘に感謝。

今度はオーストラリアかも^^。

しのちゃん

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数年前 私はとても悲しいことに遭遇しました。

年明けて 友達のお母さんから、その友達の死の知らせの電話を貰ったからです。

すでに八月に逝ってしまったこと知らないで年賀状を出してしまったから・・・

お互い結婚してからはほとんど会う事はなくなって 最近では年賀状だけの

繋がりになっていました。

中学時代の同級生で 高校の時は別の学校だったから行き来はなく

でも、職場が偶然に同じになってから親しくなり、独身時代は、遊びに行く時は

いつも一緒でした。職員旅行もいつも同じグループにして それこそトイレに行くのも

一緒に行って・・・。

普段思い出すこともあまりなかったのに、お母さんからの訃報を聞いて にわかに

しのちゃんとの想い出が次々と押し寄せて来ました。

しのちゃんは吉田拓朗が好きでした。私があまり興味ないと言っても

「チケット代、私が持つから一緒に行こう」

と、無理やりコンサートへ連れていくのです。しのちゃんのお兄さんもアッシー君にされ

三人で行った事があります。

その時、わたしは、履き慣れないハイヒールの靴履いて行ったものだから そのハイヒールのかかとが

片方、折れてしまって しのちゃん、涙流して笑ってた。えくぼが出来てとっても

可愛らしかったしのちゃんの顔が ぱぁーっと目の前に広がります。

職場の若い人ばかりで よく休みになるとスケートに行ったり キャンプに行ったりしてて

そのテントの中でも一緒で 寝るのも忘れて語り合った事もありました。

私には何でも話してくれました。 好きな人が出来たこと、失恋したこと、悩んでること

なにもかも・・・。

「○ちゃんて私の心のゴミ箱みたい。いらない物みんな捨てても 食べてくれる」

と言ってたことあったっけ。でも、私が結婚してからは 会うこともだんだんなくなって

しまいました。私の嫁ぎ先は当時、自営をしてて従業員も数人、家族の他にいて

主人の両親と同居で、まだそのときは 主人の兄弟もいて 生き物を飼っていたから

それこそ日曜日もなくて 電話で話しする時間さえあまり取れませんでした。

だから その時から私は、しのちゃんのゴミ箱失格になってしまったのです。

しのちゃんは 私が結婚して約、一年後に結婚したけれど、一ヶ月で駄目になってしまったと

随分後になって知りました。それから、心身共に病気になってしまったようで・・・

で、もう、しのちゃんは私に何も言わなくなってしまいました。でも、十数年経って偶然、

近くのスーパーで会ったのです。しのちゃんが亡くなる三ヶ月前でした。

私は娘と一緒だったのでほんの数分しか話し出来なかったけど、しのちゃんの方から

「○ちゃん!」と声をかけてくれてその時は元気そうだったので安心しました。

でも、帰り際、

「また電話するからその時、一度会ってゆっくりお喋りしようね」

ってしのちゃんが言ったのです。でも、それっきり電話はかかってきませんでした。

こちらから電話すればよかった。会おうと思えば会えたのに。きっと何か言いたいこと

あったのかもしれない・・・・。そう思ったら電話しなかったこと悔やまれて仕方ありません。

結果的には心不全という事でしたが 自らの手で逝ってしまったようです。

本当は御仏前に手を合わせたかったのですが、すでにしのちゃんのお母さんに

電話口で泣かれてしまい、また、悲しい思いさせてしまってはと行くのはやめました。

本当は私の方が泣いちゃいそうで。年賀状を出した無礼を手紙に書きました。

そしたら数日経ってお母さんが、私の家まで来てくれたのです。

そこでお母さんといっぱい、しのちゃんの思い出話をしてお母さんと二人でしのちゃんに

会いにいったこと 思い出しました。

親より先に逝くのは親不孝ですよね。その時のお母さんが可哀相でしかたありませんでした。

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