桜の開花する時期は、いろいろな野菜の種まきの適期です。
安曇野では例年今ごろ桜が咲くのですが、今年は遅れており、まだ全然咲いていません。
先日、種を買いに出かけたところ、偶然 「小穴善兵衛の墓」の看板を見つけたので、行ってみました。
私の母が小穴善兵衛の血を引いていると聞いていたので、ぜひ一度お墓参りをしたいと思っていたのです。
1686年(貞享3年)、安曇野の元庄屋である多田加助を中心として、松本藩領の多数の農民が参加した大規模な百姓一揆が起こり、小穴善兵衛は、加助の片腕で、参謀役でした。善兵衛の娘「しゅん」は、まだ16歳の少女だったにもかかわらず、馬に乗って駆け巡り、同志への連絡役として活躍したために、父や弟たちとともに、男として処刑されました。
善兵衛の子供たちは皆処刑されているので、私の母は直系の子孫ではありませんが、母の母親が小穴家の血を引いているとのことです。
今から45年ほど前(私が中学生のころ)、ある事件が起こりました。
ある日のこと、中学校の担任の先生から、私の姉が看護婦として勤めている病院から電話がかかっているのですぐ職員室へ来るように、との呼び出しがありました。電話は、姉が大変なことをしているので、すぐ親に連絡するように、とのことでした。姉が何をやったのだろうかと不安で胸が張り裂けそうになりながら、学校から家に帰ったことが、今でも鮮明によみがえってきます。母に伝えると、慌てて近所の電話のある家に飛んでゆきました(当時わがやには電話はありませんでした)。
母が姉の勤め先の病院に電話をすると、姉が病院で労働組合を結成したので、すぐ病院に来いと言われたのことでした。母は「そんなことで出かける必要はありません」と断りました。
その病院は、私の父の母親(私の祖母、つまり母にとっては姑)の親戚が経営していました。後日、祖母の親戚たちがわが家に集まり、座敷で輪になって、娘を説得して活動をやめさせるようにと母を責めたてました。しかし、母はまったく臆することなく、毅然とした態度で、「娘がしていることは、そんなに悪いことだと思いません」と、言い放ちました。
当時は、姑の権力は絶大で、嫁の立場はとても弱かったにもかかわらず、姑の親戚たちに囲まれ威圧的な雰囲気の中で堂々としていた母の姿、そして、仲間たちが切り崩しによって次々と組合活動から離れていく中、最後まで残って戦い続けた姉の姿に、中学生だった私は「この二人には、たしかに義民小穴善兵衛の血が流れているなぁ」と感心したことを、今も覚えています。
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