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憧れのヒサゴ沼 雨のち暴風雨前篇のつづき



雨の山登りは苦痛だが、なんでもない景色が絶景となって心に残ることがある。晴れていれば気付くことのない絶景、私はこれを節操のある絶景と読んで愛しているのだ


笹が生い茂り登山道は見えないほどだったがそれがなお一層秘境の雰囲気を演出してこの長大なルートを独り占めしていることに満足感は高い

先ほどの太陽はどこへ消えたか本格的に荒れてきて小化雲岳への稜線で森林限界に出ると遮るものがなく風雨が自由に暴れまわっていた。
まるで我らがついたてになって彼らの通り道を邪魔しているように容赦無く打ち付けてバラバラと音をたてていく。
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レインウェアのフードが風でバタバタと音をたてて近くにいるはずのタコさんの声さえ聞こえない
こうなるとなんだか可笑しくなってきてむしょうに笑いたくなってくる
低体温に陥って頭がおかしくなってしまったか!

そうではない

この長大な台地に我らふたり自然とむきあって孤独を味わっているこの状況が可笑しくてたまらないのだ

こうなるとしめたもので雨風が強くなればなるほど元気が湧いてくる

この困難な状況を乗り越えた達成感を想像するとたまらない
今までは草紅葉や稚児車に癒されのが関の山だったのに

化雲岳の登りで風が一層強まった

鞍部から吹き抜ける風で雨の雫は一斉に向きを変え、まるで鳥か魚の群れのように規則正しく並んで上下左右から我々を翻弄する。

広い登山道は雨とガスでよくわからなくなった。ただ目の前の大地を感じながら感覚に頼って登る。
ようやくガスの中に真っ直ぐ伸びた影がぼーっと屹立し、それが山頂標だとということは直ぐに分かった。
見えてから僅か30mで山頂…

と思ったら山頂に近づくと山頂標の直ぐ後ろに巨大な岩が現れた

この岩に登らずして化雲岳に登ったと言えるのか
この先ここには来れないかもしれない

そう思うと登らずにはいられなかった

相変わらず風雨は強いけれど風下からならいけそうだ
タコさんを置いて岩の裏手にまわる踏み跡からよじ登るとまた風が襲ってきた。岩は脆い

危ないが行くしかない。
風を避けるように
這いつくばってジリジリ登る

雨が、毛細血管のような岩の破れ目の中へと吸い込まれて、ぶよぶよになり今にも全てが崩れてしまいそうな、そんな錯覚を感じるほど岩は脆かった。かじかんだ指を這わせ、押さえ付け必死に抵抗する。

冷たい雨が徐々に体温を奪い感覚がなくなっていく。このままではいけない。
再び立ち上がって動き出すと直ぐに山頂だった。

今思えば
風との格闘は思っているよりも短かったかもしれない。
岩の上は6畳ほどの広さだった。
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ウォー
チカラ一杯叫ぶ

長居は無用だ

おり始めたとき

一瞬風の間に声が聞こえた気がして

山頂を振り返った

そのとき身体が軽くなってフワッと空へと飛び出した気がした

足元の岩が崩れて谷底へ落ちて行ったのだ

危ない

幸い振り向いたときに手で岩をつかむことが出来たから
滑落はまぬがれた

振り返らなければ、角度は60度くらいだったから尻もちでは済まなかっただろう
不思議な力が働いたかな

不思議な力
山ではたまにこういうことがある
おーい!と呼ぶ声に呼ばれて行ってみると誰もいない
気のせいかと思って戻ろうとすると再び、おーい!と聞こえるのだ

こんなときは決まって遭難騒ぎと結びつけてホラー話になるのだけど
風が強く吹いて岩や木が鳴ったりしているに違いない

でも山にホラー話が出るのは、雨風の日に一人で歩いていると、たとえ慣れた道であってもいつもより長く恐ろしく感じる人の心の弱さであり大自然への畏敬の念であろう

深い森のなかで高い梢を見上げれば、だいだらぼっちが現れたり、天狗が現れたり、我々は古くから森の中で生きてきて遺伝子に山や森が刻まれている。修験道や各地の山講もまたしかり

人の力ではどうしようもできない現象は人の力でできることよりも多い
ただ岩のようにそこにある強さに少しでも近づくことができれば、おーい!からは解放されるかもしれない

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安全地帯へ下りて直ぐに木道が現れた

雨に濡れた
木道の先はガスの中へ消えていく
ここは晴れれば天国だろうが
今はまるで地獄へと誘われているようだ
おっと進まなければ本当の地獄行き(=゚ω゚)ノ歩いていく

まだ見たことのない絶景を地図から想像しながら、化雲岳に背を向けてトムラウシへの縦走路を歩く
ここからはきっとトムラウシが見えるだろう
ヒサゴ沼はどうなっているのか
秋の紅葉が燃えるようにトムラウシに華を添えているにちがいない
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残念ながら今は真っ白で、風に健気に堪えるワタスゲに自分の姿を重ねて慰めとするしかない

登山者には誰でも憧れの場所がある
今のようにネットが発達していない時代に山の雑誌にある写真や文字、人から聞いた話から想像して勝手に想像して楽しんだり、ときには夢で訪れたりする。

そんな中でも直ぐに行ける山もあればなかなか尋ねることができない場所もあるものだ。
今からちょうど20年前のやまけいの付録に夏山BOOKがあった
そこに一枚の写真とともにヒサゴ沼のキャンプ場が紹介されていた。
ヒグマに注意とある

ワクワクするじゃない


今日ようやくたどり着く
そう思うと今迄の気持は何処へやら、足どりは軽かった

緩やかに斜面を下るとヒサゴ沼だ

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ヒサゴ沼は手荒く迎えてくれた

白波が岸辺に打ち付け対岸もガスで見えないから

まるで海のようだった

それでも満足だった

テントをあきらめ避難小屋に逃げこんだのは14時を回ったころであった。

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    あぶないー!!
    落っこちなくてよかった....チュタも気をつけねばなりませんな。
    山で湧いてくる不思議なちから、あれって本当に不思議だよねぇ。
    山が助けてくれる時が度々あるよ。
    山が殺そうとしてくる時もたまにあるけれど...笑
    わたしもそこにいるみたいに、緊張感のある記事だった!
    晴れがやっぱりいいけれど、こんな脅威に触れてみるのもいいかもしれないね^^

    [ ちゅーた ]

    2016/6/12(日) 午後 3:25

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    > ちゅーたさん
    山に入るということは山で呼吸し食べること。
    山で生きることだ。
    人生のうちどれだけ山の中で生きるのかは人それぞれだけど
    コンクリートのなかで生きているほうがむしろ不自然で
    われらには山で生きてきた遺伝子が残っているよ。
    不思議な力は遺伝子の力だと思う。
    とくにちゅたには強い遺伝子が備わっているね。
    山を愛し山に愛され生きていきたい。
    だから山に殺されてはいかん!笑

    [ 雪りんご ]

    2016/6/12(日) 午後 10:53

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