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旧国鉄倉吉線は、山陰本線の倉吉駅を起点に大山の東麓の山守までの20kmを結んでいた盲腸線。陰陽連絡線として姫新線の中国勝山に接続する計画だったが、バス路線など近代化の波には勝てず、昭和60年に廃止された。
その廃線跡がほとんど残されていることを知って、今回歩くことにした。
朝いちばん、女性運転士の運転で松江駅を出発。最近のJR西日本では、若い女性運転士の方が多く活躍している。
普通列車だったが、連休中は休日ダイヤなので1時間30分ほどの所要時間で倉吉駅に到着。平日ダイヤだと、もう1時間余計にかかる。
倉吉駅は改装されて、新しい駅舎になっていた。
今回の改装で、ホームは跨線橋を登った2階に設置される方式となっていた。ここでも女性駅員が活躍中だった。
1昨年に訪れた時の旧倉吉駅。旧倉吉駅では、1階が改札口になっていた。ただし、ホームの配置はそのままで変わっていない。
今回の改装で、神戸鉄道院明治41年の刻印が残されていた跨線橋は跡形もなく撤去されていた。
1昨年訪れた時の在りし日の跨線橋の雄姿。
さて、気を取り直して廃線跡の旅へ。
と、その前に腹ごしらえ。駅の1階にある食堂で朝食をとることにした。朝定食がないので、モーニング500円を注文。
サービスでヨーグルトがついていた。朝から乳製品を摂取すると後で大変なことになるんだけど、と思いながら残さず完食。
予想通り、これが後で命取りとなる。
さて、今度こそ廃線跡の旅へ出発。
今はバスターミナルとなっている駅東側あたりが、倉吉線のホームの跡だと思われる。
バスターミナルから駅方面を振り返る。やはりこのあたりだと確信する。
その先を歩いていくと、つつじの植え込みの先に、舗装がカーブしている場所を発見!
ここが線路跡の始まりのようだ。
県道を横断した先にも、線路跡らしきものがある。そのまま前進する。
舗装道路がそのまま線路跡かと思っていたが、樋門の脇で分岐し、左側に土道が続いている。どうやら、こちらが線路跡のようだ。
そのまま住宅の間を歩いていくと、緩やかなカーブを描きながら土道が続いている。線路やバラストは撤去されているがかつての路盤に間違いない。
しばらく歩くと、小さな道と交差する場所に出た。ここは旧踏切の跡と思われる。
(次へ続く)
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廃線の旅ですか!いいですね!でも廃線は哀愁いっぱいで、切ない気分に浸りたくなります。
2011/5/5(木) 午後 8:55
倉吉には2年くらい住んでたので、倉吉線の存在は知っていたのですが、まさか廃線後がこんなにはっきりと残っているとは思いませんでした。
鉄道遺構を見つけると、少しうれしくなりますね。
2011/5/6(金) 午前 8:14