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旧踏切跡と思われる地点。残されたコンクリート基礎は信号機または警報機のものと推測する。
床版がかかっている橋梁の基礎も石積で、鉄道遺構なのではないだろうか。
この先では国道も交差しているのだが、この辺りは住宅街のまっただ中で物音一つしない。市街地なのに至ってのどかである。
しばらく歩いていると、住宅の駐車場で遊んでいる子供たちがいた。写真を撮らせてもらう。
「おじさんは戦場カメラマン?」と左端の男の子がたずねる。本職のカメラマンではなく、ここが廃線跡なので訪ねているという趣旨のことを話したが、この子たちの興味は別のことにあったらしく、話がかみ合わないので「じゃあね、バイバイ。」と言って別れる。
この日は黄砂予防のため、帽子、メガネ、マスクを装着した私のイデタチ。傍から見れば異様なイデタチの私に気さくに話しかけてくれた貴重な存在だった。
この後地元住民に話しかけるが、幾度となく無視された私は、後になってそれに気づくことになった。
国道と交差する前後では、土道から舗装路へと変わっている。この辺りは生活道路として使用されているようだった。
道路わきには、信号器箱が残されていた。「八屋踏切 1k597m」と表示されている。
その先からは、築堤となる。小川にさしかかると、プレートガーダー橋が撤去されずに残っている。
橋台脇まで行ってみるが、銘板は残されていなかった。
天神川右岸の堤防手前では、市道を跨ぐ架道橋のコンクリート橋台が残されていた。
橋台の側壁の石積みは健在で、築堤の上には信号器箱が残されている。
ここで一端、線路跡は途絶えている。天神川を渡る鉄橋が存在していたはずだが、現在はその痕跡もない。
方向的には、左岸側のこの辺りだと思われる。
あくまで想像だが、現在護岸となっているあたりに、橋台があったのではないだろうか。
左岸側堤防から、打吹方向を見ると、打吹山に向かって真っすぐに線路跡が伸びている。
この辺りからは、遊歩道兼サイクリングロードとして整備されているようで、「緑の彫刻プロムナード」と命名されている。
両脇に植樹された並木の緑が美しい。
しかし、石畳風に敷設された舗装路は小さな段差があって、意外と歩きにくい。自転車だとなおさらだと思う。
そんなこともあってか、私が歩いている間に自転車で通行している人は見かけなかった。
石畳に入って少し歩くと旧上灘駅跡に到着。駅舎を模した建物はトイレでありました。
このてのトイレ、管理が行き届かず放置されるものが多いですが、ここのトイレはきちんと管理されていて、きれいでした。
ただ今、休憩中。(次へ続く)
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戦場カメラマンwwウケました!
2011/5/5(木) 午後 8:57
まつさん。
この子達、なかなかいい味出してました。少し、話はかみ合いませんでしたが。
2011/5/6(金) 午前 8:15