凛と蘭と気まぐれ日記

東日本大震災で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

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【旧泰久寺駅跡周辺】
泰久寺の駅近くに橋台が残っているらしい。大雑把な地図なので位置がよくわからないが、2万5千分の1地形図を頼りに探す。先ほどの松河原から、少しずつ上り勾配になる路線跡を追いかけ県道を走っていくと、民家が途切れた付近にそれらしき構造物を発見した。
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近づいてみると、橋台には橋名版が残されている。
 
施設名称は、泰久寺橋りょう。以下、原文どおりに
設   計 米子建設事務所
施   行 合資会社西山組
設計荷重 KS15
基礎工   コンクリート
基礎値入 天端から5m
着  手  昭和14年2月12日
しゅん功  昭和16年9月9日
 
なんと、昨年秋に訪問した未成線、今福線と同時期に施工されている。こちらは、その後昭和33年に延長開業されているが、今福線は開業されぬままに廃止となった。今福線も戦後すぐに復活していれば同じように開業にこぎつけただろうにと思う。
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泰久寺橋りょうの上に上がって南側を望むと、藪の向こうにホームらしきものが見えた。もしかすると、旧泰久寺駅跡かもしれない。
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行ってみると、そこは予想通り泰久寺の駅跡だった。駅舎があったであろうその場所は、ビニールハウスと鶏舎に取って代わられているが、ホームと駅名板は健在だった。レールも錆びてはいるが、現役時代のように敷設されたまま残っている。
 
倉吉線廃止後しばらくは、放置されて草ぼうぼうの状態だったようだが、最近は近所の人たちが草刈りをされているようだ。私以外にも訪問される人があるようで、踏み跡がついている。
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山守方面に向かってレールは撤去されずに残っているようなので、線路をたどって行ってみることにした。
 
向かって左手に県道が並行していて、今にも向こうから列車が走ってきそうな雰囲気だ。(右手の木が少し邪魔だが)信号設備や境界杭も一部残っている。
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この先トンネルがあるはずなので、もう少し奥まで行ってみることに。しばらく行くと、竹やぶになった。
 
ここで少し嫌な予感が。
 
当日はフェーン現象で、鳥取の気温は27℃の夏日。竹やぶのような湿っていて涼しい場所は、夏場は爬虫類の格好の避暑地となる。
 
私にとって天敵である彼らに出会いたくないなと思って進むと、やはりいた。それも線路の真ん中に。
毒を持つ種類ではないが、当然の訪問者にびっくりしたのか、鎌首を持ち上げて威圧的な態度。無用な争いは避けて通る日和見的な私は、すぐさま退散することにした。
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【小鴨川橋梁周辺】
再び車に戻り、小鴨川橋梁を目指して車を進める。
 
まず、小鴨川手前の龍の下橋台。森林組合の製材所脇で発見。製材所は廃線後に建てられたもののようで、もう一方の橋台は製材所付近にあったものと思われる。
 
橋台の向こうには、先ほど行く手を阻まれて到達できなかった山守トンネルの坑口がわずかに見えた。坑口は閉鎖されている。
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小鴨川を渡って第二小鴨川橋梁を探していると、関金資料館の前に出た。目指す橋梁とは若干位置が異なるがここにも橋台があった。
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橋台の上に上がり北側を望むと、緩やかなカーブの向こうに小鴨川、そして先ほどの龍が下橋梁が見えた。
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関金資料館に立ち寄ってみる。この資料館は倉吉市と合併前の平成8年、民家を利用した資料館として関金町が開館したもので、教育委員会が管理しているらしい。
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資料館内部には、沿線や駅舎の懐かしい写真や駅名プレートなどが展示されている。先ほどまでに訪ねた駅舎などの当時の写真を見ることができ、興味深い内容だった。
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【旧山守駅跡】
関金資料館を後にし、最終目的地の山守駅跡に向かう。県道を南進し目的の場所を探すが、目印がないのでよくわからない。地形図を見ても、山守という地名が存在していないのだ。例によって大雑把な案内地図を見ると、関金町堀というところがそれにあたるらしい。
 
河岸段丘上の地形を見ながらこの辺りが怪しいなと目星をつけると、郵便局に「山守」の文字が、そして幼稚園にも。郵便局の裏手に行ってみると、線路跡をサイクリングロードに改良したと思える道に遭遇した。
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直線路の先に、広まった場所が。そしてその脇の松には少し見覚えがあった。先ほどの関金資料館の資料で見た松は、まさにこの松だった。
 
駅舎跡と思われる基礎コンクリート、そして「工」のマークの境界杭がわずかに駅跡の証拠だと思われた。
 
昭和60年3月31日山守発22:07⇒倉吉22:40の列車を持って廃止された倉吉線。駅跡にたたずんで、しばし往時に思いを巡らせた。
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こんにちは!
廃線跡をたずねるのも風情ありますね…
時の流れを感じますね!ぽち

2011/5/9(月) 午後 0:06 よっしー

よっしーさん、こんにちは。
廃線跡にあまり興味はなかったのですが、今回訪問してみてその魅力に気付きました。少しハマりそうになっています。

2011/5/10(火) 午前 8:16 りんらんぱぱ

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国土交通省が公開している泰久寺駅、山守駅付近の空中写真です。(昭和49年度撮影)
ttp://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/74/ccg-74-t-b/b-15c/ccg-74-t-b_b-15c_4692.jpg
この頃は、毎日当たり前のようにディーゼルカーが走っていたんでしょうね。

2011/5/11(水) 午後 4:01 [ 牡丹鍋 ]

牡丹鍋さん、こんにちは。貴重な情報ありがとうございました。
昭和58年頃、打吹駅の近くに住んでいたことがありまして、毎朝一番列車の音で目覚めておりました。その頃、倉吉線にもう少し興味を持っていたらと今頃になって悔やんでおります。

2011/5/14(土) 午後 2:54 りんらんぱぱ

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打吹駅付近の空中写真はこちらですね。(昭和49年度撮影)
ttp://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/74/ccg-74-t-b/b-9c/ccg-74-t-b_b-9c_912.jpg
もしかすると、当時お住まいだった建物が写っているかも知れませんが…。(9年差があるので微妙?)

↓倉吉市付近の空中写真ならこちらでご覧になれます。(国土交通省)
ttp://w3land.mlit.go.jp/cgi-bin/WebGIS2/WF_AirMapMain.cgi?CMD=51&DT=n&IT=p&TDK=31&SKC=1522

2011/5/14(土) 午後 6:44 [ 牡丹鍋 ]

牡丹鍋さん、こんにちは。
私が住んでいた頃とは若干違うようですが、当時のことを思い出して十分楽しめました。ありがとうございました。

2011/5/15(日) 午後 6:16 りんらんぱぱ

こんばんは。
竹やぶで線路が残っている画像はメチャクチャそそられますね!
行ってみたいです!!

2011/7/19(火) 午後 10:20 北の旅人

北の旅人さん、こんにちは。
昭和末期に廃線になったところに、線路がいまだに残っているのは驚きで、なかなかいい雰囲気でした

2011/7/20(水) 午後 0:18 りんらんぱぱ


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