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斐川平野のど真ん中、田んぼの中の一本道をひたすら東進。同行する妻が「ホントにこんな所にそば屋があるの?」といぶかる。
携帯のナビの言う通りに進んでいるので間違いはないと思うが、少し不安になる。日曜日なので営業していないということもあるし。
案内看板の類は全くない。しかも、見渡す限り、田んぼと農家だけ。
もう少し突き進むと、斐伊川の河口付近に出る。つまり、宍道湖の西岸に突き当たるという所に件のそば屋があった。「かくれ庵」である。
普通の農家の庭先に、ちいさな看板が出ている。
駐車場とおぼしき庭に入ると、「営業中」の看板が目に入る。「開いてて良かった!!」
家の周りには畑がある。どう見ても農家にしか見えない。
暖簾が出されている店の入口らしきところから、おそるおそるそこから中に入る。「いらっしゃい!」女将さんらしき人が、元気に出迎えてくれた。奥の座敷に通される。
客は私達夫婦だけだった。
メニューがあったが、「出来るのは割子だけです。」と先に釘をさされる。
最初から割子を注文するつもりだったので、別に不満はない。一人4枚、計8枚を注文する。ちなみに、通常割子は3枚なので、1枚200円になる。
斐川平野は、散村と呼ばれる農地のなかに民家が散らばって存在する一種独特の集落の形態。つまり、隣の家とはかなりの距離があり、一軒の家の周りは田んぼで囲まれている。
そろそろ稲刈りが始まっていて、のどかな風景が広がっている。すぐ近くに出雲空港があるのだが、そこから直接ここに来る道は存在しない。
しかしこの家、農家というよりは屋敷といった方がいいかもしれない。斐川地方の農家の標準が分からないが、立派な庭園がすべての家にあるとは思えない。
屋根瓦もまたしかり。出雲地方らしく、鬼瓦の位置に大黒様(?)のお顔が入っている。
さて、待つこと約10分。待望の割子そばが運ばれてきた。「海苔は十六島(うっぷるい)の海苔です。」と女将さんが説明する。
十六島海苔は最高級の岩海苔で、平安時代には朝廷にも献上されていたという由緒正しい海苔である。荒海の日本海で冬場だけとれる貴重な海苔なので、心して食べる。磯の香りがほんのりとして美味しい。
そばは十割ではないらしく一般的な麺、少し物足りないが、不揃いの麺なので間違いなく手打ちのようだ。
そばつゆの濃さは、松江と出雲の中間の濃さだろうか、しつこくなくサラっとしている。伝統的な出雲地方の農家のそば、そのものの味のようだ。
座敷にはクーラーはなかったが、稲穂の香りが漂ってきて心地よい空間だった。まるで実家に帰ったような雰囲気で、食後に一寝入りするといいような気分だった。
割子8枚で1600円。料金を払って外に出ると、入れ替わりでお客さんが入ってきた。同時に電話が入り、これから店は忙しくなりそうな雰囲気。場所はわかりにくいが、知る人ぞ知る店のようだった。
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今回の旅でお世話になったホテルは、新大阪サンプラザホテル。新大阪駅の東隣、「東淀川駅」から徒歩1分の位置にある。
1泊朝食付でなんと3900円、二日で7800円は魅力的だ。ほかの新大阪なんとかホテルに比べ、アクセス、料金共にリードしている。しかも、1階にはコンビニがあって、超便利。最近、私の大阪での常宿となっている。
しかも、今回の部屋は最上階のカド部屋。眼下に駅と線路が見渡せるロケーションで、通過する列車を眺めて、一人至福の時を過ごした。
最終日は神戸に向かった。長年行きたかった場所なのだが、なかなか行く機会に恵まれなかった。
やっと想いが遂げられる喜びいっぱいで、新神戸駅に降り立つ。
新神戸駅の一階から、裏手の山へ向けての通路を行く。駅の裏には案内板があった。
このイメージで、雌滝、雄滝を経由して、最終目的の「布引堰堤」を目指す。
布引堰堤(布引五本松ダム)は文化財の宝庫。ダム単体だけでなく、関連した施設が全て重要文化財に指定されている。
まず、最初に布引水路橋(砂子橋)に着く。この橋は、明治33年に造られた水路橋で、直径20cmと60cmの水道管が橋の中に通されている。構造は、レンガ積みのアーチ橋だ。
橋を過ぎると、道は二手に分かれている。滝を目指す場合は、当然下の道だろうと思い、下の道を行く。ジョギング姿の人たちが、みな外国人なのが、いかにも神戸らしい。
少し歩くと、雌滝に出た。ここの取水堰堤も重要文化財である。
雌滝の脇からは、いきなりの急坂。雄滝に向かう道は厳しいようだった。
しばらく急坂を登ると、少し勾配が緩やかになる。ここら辺りの堰堤も、重要文化財だと思われる。
比較的簡単に雄滝に到着。確かに雌滝に比べると、スケールが違う。
1枚の絵に収まりきらないほどのスケール。滝壺辺りは、マイナスイオンがいっぱいだった。
雄滝の上に出ると比較的平坦な通路になる。渓谷を跨ぐ「谷川橋」も重要文化財のひとつだ。
この橋の構造は、鉄筋コンクリート製のアーチ橋で、大正初期の完成。当時は石積みやレンガ積みが主流で、鉄筋コンクリート製の橋が造られ始めたのは明治後期からなので、当時の最新技術で造られた構造物だと思われる。
歩き初めて約1時間。五本松かくれ滝の看板を通り過ぎると、目的の「布引堰堤」に出会うことができた。
布引堰堤は1900年(明治33年)に完成した日本で最初の重力式コンクリートダムである。正確に言うと、表面を石積みにして中身にコンクリートを使用した粗石コンクリートダムだ。
堤頂にたどり着く。貯水池は満水に近いようだ。
余水吐け。堤体は、2005年(平成6年)に補強工事で改装されているため、至って綺麗だった。
側壁にはいろんな銘板が取り付けられている。左から、ダム湖百選、重要文化財、近代化産業遺産のプレート。
堤頂から貯水池を眺める。澄んだ青空に、緑色の湖面、大都会のすぐ近くにこんな場所があるとは思わなかった。
堰堤の脇からは、平坦な遊歩道が続く。満々と水を湛えた湖面を見ながら上流に進んでいく。
快適な散歩道は市民の憩いの場所らしく、たくさんの人たちが行き来していた。
しばらく行くと、ロープウェイ乗り場への分岐に出た。布引ハーブ園の風の丘駅からロープウェイで新神戸駅近くへ降りることができる。
駅出発直後、急に眼下に神戸市内を望む。かなりの高低差を下るので、ちょっとしたスリルが味わえる。
山手を振り返ると、先程までいた「布引堰堤」が眼下に見えた。紅葉の時期にまた来るといいなあ、と思いながら帰路についた。
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ケーブル延暦寺駅も、1997年に国の登録有形文化財に登録されている。ケーブル坂本駅と同様に1927年(昭和2年)開業の駅だ。
外装は黄色だが、内装は白で統一され落ち着いた雰囲気となる。柱や壁に取り付けられている飾りがアクセントとなっている。
2階はホールになっていた。元々は貴賓室として使用されていたようで、白い壁とシャンデリアに趣がある。
テラスに出ると、眼下に琵琶湖の風景が望める。先程までいた浜大津は、あの辺だろうか。
ケーブル延暦寺からは、少しの間歩いて延暦寺に向かう。途中、小立の間から、琵琶湖が見え隠れする。
少し上り勾配ではあるが、歩きやすい歩道を数分歩くと入口についた。ここで、巡拝料を払い、境内に入る。
延暦寺というのは、広大な境内にある150もの堂塔の総称で、その中心にあるのが根本中堂。我が家が信仰している宗教の開祖もこの地で遠い昔に修行されたとのこと、日頃不信心な私でも、ここを訪れないわけにはいかない。
近づいて見るとすごい迫力。この山の中で、この規模の建物を建てるのには、相当の資財と労力が必要だったと思う。それにしてもすごい。
現在の根本中堂は、織田信長に焼き討ちにあったあと、1634年(寛永11年)から8年の歳月をかけて再建されたもの。昭和28年に国宝に指定されている。
回廊で履物を脱ぎ、お堂の中に入る。
建物の中は撮影禁止となっているので写真はないが、柱といい、天井といい、中庭といい、実に見事であった。不信心な私でさえ、思わず手を合せる厳粛な雰囲気でありました。合唱。
この他のも境内にはたくさんの堂塔がある。一つ気になったのは、この鐘楼。ケーブル延暦寺に降り立った時から、鐘の音が響いていたのだが、僧侶が打っているのではなく、参拝者が打っているものだった。
根本中堂のある東塔からは、シャトルバスで比叡山の頂上へ。以前来たときは、徒歩で上がったのだが、今の私に当時の元気はない。
ここから見る琵琶湖の風景もまた見事だった。
ここからは、叡山ロープウェイ、叡山ケーブルに乗って、京都側へ降りる。
まず、ロープウェイ乗り場に向かう。途中、木々が不自然に揺れているのを目撃。よく見ると、さるの群れがいるのだった。ほかの観光客も、しばし立ち止まり記念撮影をしている。
以前来たときには、この叡山ロープウェイには乗らず、山道を歩いて降りた。そのため、このルートの乗り尽くしができないでいたが、今回はそんな元気はないので、ロープウェイに乗る。
車内が狭く、通勤ラッシュなみの混雑だったが、数分なのでがまん、がまん。
その代わり、その下のケーブルにはトップグループで到着。今日何度目かの、かぶりつき席を確保する。
叡山ケーブル、正式名称は「京福電気鉄道鋼索線」。大正14年完成で、全長1458m、高低差は561mあり、「ケーブルカーの高低差日本一」を誇る。
ケーブル八瀬駅に到着。下界は真夏であることを再認識した。
ケーブル八瀬駅から叡山電鉄八瀬駅に向かう途中の川原は、家族連れで賑わっていた。なんとも優雅な光景である。
叡山電鉄八瀬駅に到着。この駅も少しレトロを感じさせる駅で、軒先にある波状飾りが特徴的だ。
駅は鉄骨造りとなっている。大正14年完成の駅だが、古さを感じさせない。
ホームの建屋の軒先にも、波状飾りが取り付けられていた。このあたりの造作に芸術性というか、時代の余裕を感じさせる。
このあと、京都を経由して東海道線の東淀川駅へ。最近定宿となった新大阪サンプラザホテルへ向かう。(続く)
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暑い日が続いて、凛と蘭もダレ気味の生活を送っています。
昼間はフローリングに当たる面積をなるべく大きくとって、寝そべる。
夜は、パパの布団のそばで添い寝。なぜって、夜中にエサが欲しくなった時、たたき起こさなくてはならないからです。
凛と蘭の寝床は、家の中のいたるところにあって、ほとんどの場所を知っているのですが、未だにわからない場所も存在します。
昼間、名前を読んでも出てこないとき、寝床を探し回っても見つからないとき、猫たちは「どこでもドア」を使って秘密の場所に出かけているのかもしれません。
ねえ、凛ちゃん!
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再び上栄町から京阪京津線に乗り、浜大津に向かう。浜大津までは一駅で到着する。
この駅間で、電車は専用軌道から併用軌道へと乗り入れる。つまり、チンチン電車状態となる。
しかも、この京阪京津線の軌道幅は1435mmの標準軌。新幹線と同じ軌道幅の電車が併用軌道に乗り入れ、なおかつ京都市営地下鉄に乗り入れるという形態は、日本一というより日本でここしかない。
併用軌道に入ると、スピードをグッと落とし徐行状態。列車の脇を、乗用車がスピードを上げて抜けていく。
交差点では、車と仲良く停車。青信号を待つ。
浜大津駅の目の前は、日本一の広さを誇る湖、琵琶湖が広がっている。
琵琶湖にはそんなに興味もないので、写真撮影もそこそこに再び線路脇に戻る。
浜大津駅前の交差点では、自動車だけでなく、軌道も交差している。左右を交差するのは、京阪石山坂本線、石山寺方面行き。京阪本来の車両色である緑色の車両だが、ラッピングが施してある。
反対方面は坂本駅行き。こちらも、ラッピングが施してある。
しばらくすると、京都方向から、京津線の電車が到着。
車の動きを気にしながら、ノロノロと通過していく。
ゆっくりと、浜大津駅に入線していく様は、大きな芋虫のようだ。
浜大津駅から、京都方面行きが出発。ここのレールにもスプリンクラーが取り付けられていた。
しばらく列車の行き来を楽しんだあと、次の場所へ向かう。そのまま、京都に帰っても面白くないので、比叡山を超えるルートで向かうことにした。
緑色の電車を想像していたが、全く違うデザインの電車がやってきた。ロングシートの席がちょうど満席になるくらいの乗客数だったが、坂本駅に着いたときにはまばらになっていた。
終着駅のお約束、車止めがある。
坂本駅からケーブル坂本駅までは若干距離がある。しかも坂道ときている。
以前来たときには歩いたのだが、今日は午前中の歩きもあって少し足に来ていた。きついなあと思いながら駅前に出ると、図ったようにバスが来た。これ幸いと、バスに乗車。ものの2、3分でケーブル坂本駅に到着した。
このケーブル坂本駅、1997年に国の登録有形文化財に指定されている。駅名は「坂本驛」と旧駅名で記されていて、入口右に、役割を終えた架線柱のうちの1本が、モニュメントとして保存されている。
駅舎内もレトロな感じで統一されていて、天井に吊るされたシャンデリアが時代を感じさせる。開業は昭和2年(1927年)とのことである。
改札から見えるケーブルカー。全長2025m、高低差484mは日本で最長のケーブルカーらしい。
ケーブルカーのデザインは、先ほどの京阪電車と同じ。そうか、このデザインを真似た車両だったんだ。
1時間に2本のペースでケーブルカーのダイヤは組まれている。時間前になると、改札前に行列が出来た。前に来たときは立席で景色がよく見えなかったが、今回は一番下のかぶりつきの席に座れたのでラッキーだった。(なぜか私の前に並んでいた人たちは、別の席に座ったため、この席を偶然にも確保。)
ゴトン、ゴトンと音をたてながらケーブルカーが静かに登っていく。最大勾配は333‰、ってことは、1000mで333m上がることになる。かなりの急勾配だ。
中間点で下りの車両と交差。準備不足で、写真もピンボケ。
終点近くになると、木立の間から琵琶湖の風景が望めるようになる。車内から歓声が上がる。
所要11分で、山上駅であるケーブル延暦寺駅に着いた。
ここからの眺めも、また爽快だった。海抜654m、平地に比べてかなり気温が低くすごしやすい。(続く)
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