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続いて、京阪電車で京阪三条へ向かう。地下駅となった京阪三条で下車し、三条大橋を渡って商店街へ向かってみる。
鴨川沿いでは催しがあるらしく、川原には仮設テントが乱立していた。
三条大橋を渡った所に、「弥次さん喜多さん」のブロンズ像があった。ここは東海道の終点なのだ。
ただ、心無いもののいたずらか、ブロンズ像にタバコをくわえさせている。がっかりした気分で立ち去る。
次は大津方面に向かうので、出来ればここで腹ごしらえしておきたかった。それと、帽子を忘れてきたので、それを調達したかった。三条の商店街なら両方叶うかもしれないと商店街に行ってみる。
おあつらえ向きのそば屋を発見したのだが、営業時間は11時から。そこまで待つ訳にいかないので、三条駅へ戻った。それにしても「にしんそば」、食べたかったなあ。
三条の駅ビルにうどん屋があったので、そこで「ぶっかけうどん」を食べる。見た目はよかったが、なぜか出汁がうすい。全然味がしない。
俺の舌がおかしいのかなと、出汁を直接舐めてみたが、やはり超うすい出汁であった。京風ってこんな味なのだろうか。
商店街で見つからなかった帽子も、駅ビルの中の100円ショップで調達した。1時間ほど時間をロスしてしまった。
さて、ここから京阪京津線に乗って、大津方面を目指す。京津線は、元々は三条駅までの軌道であったが、今は三条〜御陵(みささぎ)間で京都市営地下鉄へ乗り入れている。
これから向かう逢坂山越え 大谷〜上栄町間には、61‰(1000m行って61m上がる)の急坂が待ち受けている。
まず、大谷駅で下車。駅自体が急勾配の場所にあるため、ベンチの足の長さが調整してあるのが面白い。
駅前の道を真っ直ぐに坂に向かって歩く。辺りに、うなぎのいい香りが漂っている。
そういえば、ここ大谷はうなぎ料理店で有名だったのを忘れていた。先ほどうどんを食べたので、うなぎに向かう腹は残っていない。
数分歩くと、坂の上に石碑が建っていた。
ここは、旧国鉄東海道線の逢坂山トンネル西口にあたる。逢坂山トンネルは、日本の技術だけで建設された最初の山岳トンネルで、明治13年に開通し、大正10年に廃止されている。
このトンネルの西口は、名神高速の建設によって埋められ、今は記念の石碑が残るのみである。この石碑のある場所のすぐ下には、名神高速の蝉丸トンネルがあって、ひっきりなしに車が走っている。
さて、再び大谷駅に戻り、一駅先の上栄町駅に向かう。目的の逢坂山トンネル東口は、この駅間にあるのだが、どちらの駅の方が近いのかわからないので、とりあえず列車に乗ってみることにした。
大谷駅を過ぎるとすぐにトンネルに入った。京津線の逢坂山トンネルだ。そのあと、すぐに下り勾配になり、しばらく下ったあと上栄町についた。この駅、なぜか上りと下りのホームが、別の位置にある。
京都方面に向かうホームは、もう少し下った大津よりにある。駅員さんは、列車が来るたびに、上りと下りを行ったり来たり、勾配のある道なのでなかなか大変そうだった。
この駅では、少し変わったものを見つけた。
列車が来る際に、自動で吹き出すスプリンクラーである。レールのきしみ音を減らす役目があるらしい。
先ほど下ってきた急勾配の道を、逢坂山トンネル東口めざして歩く。歩くというよりは、登るという方が近いくらいの急勾配だった。
途中、現在のJR東海道線の蝉丸跨線橋が見えるが、フェンスが邪魔で写真が撮れない。三脚があればいいのだが、荷物になるのでなかなか持ち出す気になれない。
もう少し行くと、上関寺踏切の脇に旧線の橋台があった。そのままの形で、上の敷地の擁壁として転用されている。
その踏切を京阪電車が通過していく。国道を堂々と遮る踏切の風景は迫力があった。
急な上り坂に疲れてきたところで、ようやく目的地にたどりついた。その場所は、水道のポンプ場の真裏。車だと、気づかずに通りすぎてしまいそうなロケーションだった。国道上には案内看板の類もない。
国道から数十mしか離れていない場所だが、時代に置き忘れられた構造物は、静かに余世を送っていた。
東口坑口の上下線。右の上り線は明治31年に複線化のため建設されている。
旧逢坂山トンネル坑口。トンネル内では京都大学による地震測定の研究が行われているらしく(現在もされているかは分からないが)、入口から10mほどで閉鎖されている。
扁額に刻まれた碑文は「楽成頼功」。「落成」ではなく「楽成」となっているのは落盤に通じる「落」の文字を避けたからだと言われている。 (続く)
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11月にまた資格試験を受けることになった。その受験準備講習が、全国各地で開催される。開催地と日取りを見ると、大阪会場は金曜日に開催とある。ということは、そのまま滞在すれば二日間旅が続けられる。すぐさま、大阪会場にマルを付け講習の申し込みをした。
ということで、大阪で一泊した翌日、旅は京阪電車の淀屋橋駅から始まる。
8時10分発の京阪特急8000系に乗り込む。出発直前にもかかわらず、一番前の席、いわゆるかぶりつきの席が空いていた。ホントにいいのかな、と思いながら乗車する。
8時10分、定刻通り京阪淀屋橋駅を発車。土曜日の朝なので、人影はまばらだ。
天満橋まで地下区間を走行したあと、地上部に出る。天満橋〜寝屋川信号所間は、私鉄では日本一(たぶん)の長さ、12kmの複々線区間となる。
中央の二つがA線と呼ばれる急行線、両端がB線と呼ばれる普通線である。淀屋橋行きの準急とすれ違う。
寝屋川信号所を過ぎると、通常の複線になる。列車のスピードも幾分ゆっくりしてくる。
八幡市〜淀間では、木津川、宇治川と大きな橋梁を渡る。まずは、木津川橋梁。1927年開通で、構造は9連の鋼プラットトラス橋、橋長は328mある。
続いて宇治川橋梁。構造は同じく鋼プラットトラス、7連で橋長は257m。
淀屋橋を出てから約30分、あっと言う間に下車駅の中書島に着く。駅ホームには、立ち食いそばがあったが、朝食を食べてからまだ間がなく、ここは断念する。
中書島から宇治線に乗り換えて普通電車に乗り込む。寄り道をしていたので、危うく乗り遅れるところだった。
一区間乗って、観月橋駅で下車。
駅を降りたら、目の前に第一の目的地「澱川橋梁」がある。
この橋、構造は鋼プラットトラスで、先ほどの木津川橋梁と大きな違いはない。良く見ると、橋台から橋台までがひとつの径間となっていて間に支える橋脚は一本もない。
つまり、単純トラスとしては、日本一の径間164.6mを誇る橋なのである。
この路線は、近鉄京都線。京阪に乗って近鉄の橋を見に行くのも若干変だが、最寄り駅なので仕方ない。
近くには近鉄丹波橋駅があって、特急もゆっくりと橋をわたっていく。
左岸側から橋梁をとらえる。昭和3年に製造された橋は重厚そのものである。
橋梁から電車が顔を出す。車両ごとに表情が違ってなかなか面白い。
今度は特急。
右岸側に行くと、国登録有形文化財のプレートがあった。目立ちにくい場所の上に、立入禁止の看板が設置されていた。なんのための銘板なのかよくわからない。
せっかくなので、少しだけお邪魔して銘板を撮影。立入禁止区間に入るのは忍びないのだが、せっかく来たのだから。
直後に、相互乗り入れの地下鉄車両が通過していった。
ここから、中書島駅までは歩いて向かった。途中、川沿いに屋形船が停泊してあった。十石船という名称で、宇治川派流を遊覧する船らしい。
このあと、再び京阪電車に乗り込み、京都から滋賀方面に向かう。(続く)
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金曜日に大阪で講習があったので、そのまま休日を利用してひとり旅を続けています。ブログの更新は来週になりそうです。
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遊歩道が終わった先には、北里駅があった。石積みのホームが現役当時のまま残されている。
駅舎の向こうには、涌蓋山が見える。この景色の中を、列車に乗って走れれば最高だなあと思う。
北里駅跡のすぐ近くにある「北里橋」。コンクリート製の5連アーチ橋だ。ただ、杉木立に邪魔されて、全体像はよくわからない。
北里駅側から。
このあとバスに乗って道の駅に帰ろうと思っていたが、バス停に行ってみるとしばらくバス便がないようだった。そんなこともあるだろうと、道の駅であらかじめ聞いておいたタクシー会社に電話して迎えに来てもらい、再び「道の駅 ゆうステーション」へ戻った。
旧宮原線の橋梁群は全部で七つあって、平成16年に国の登録有形文化財にしてされている。ここからは、車で残り5箇所を探すことにした。
道の駅の案内所でもらった、超アバウトな地図を頼りに橋を探す。新道から旧道に入った先に目的の一つがあった。堂山橋である。
そして、そのすぐ左手には汐井川橋。
さらに近づいて見る。堂山橋には、登録有形文化財の銘板が付いていた。ここも遊歩道として整備されているのだろう、地域の方たちが草刈作業中だった。
ただ、案内看板の類が全くないのでどこから上がればいいのかわからなかった。
汐井川橋の上に行く道があるようだったが、膝上までぐらいの草が伸び放題だったため、ここは断念する。
残り三つの橋は、いくら探しても見つからなかった。案内地図がないのと、道路整備がされていて、旧道への分岐点がよくわからないせいだった。
このあと、1時間以上車で探し歩くが、まったく手掛かりがなく、やむなく次の場所へ移動した。
次に目指すのは、高千穂線の未成線区間。南阿蘇鉄道の高森駅近くにある。例によって、阿蘇山には全くわき目も振らず、目的地に突き進む。
まず、南阿蘇鉄道の高森駅へ。駅前からは、根子岳が眼前に見えた。
次の目的地「高森湧水トンネル公園」は、高森駅から約1kmの位置にある。
ここは、未成区間だった高森〜高千穂間に計画されたトンネルだったが、異常出水により工事が中断。その後、建設計画自体が中止になったため、平成6年に公園として整備された。
入場料300円を払い、中へ入る。今までは、人がほとんどいない場所にいたので、あまりの人のおおさに少し戸惑う。
中は年間を通して13〜17℃の気温、天然のクーラーのようだった。
坑内では、七夕まつりが開催されていて、いろんな七夕飾りが飾られていた。
坑口からすぐ近くなのかと思ったが、意外に距離があった。どこまで続くのか分からない通路を前の人に続いてただただ歩く。七夕飾りがなかったら、すごく単調な通路だと思う。
歩くのに飽きてきた頃、人だかりに遭遇。「ウォーターパール」と呼ばれるイリュージョンが待ち構えていた。
特殊なストロボを利用して流水が水玉になり、止まったり逆流したように見える不思議なアトラクションだった。
そして、やっとメインイベント、湧水している地点に到達。岩盤の亀裂から、ものすごい量の水が湧き出ていた。
備え付けの柄杓で水をすくい、口に含む。冷たくて甘い、おいしい水だった。
さて、本日の最終目的、南阿蘇鉄道の撮影スポットへ向かう。と言っても、その場所を知っているわけでは無いので、野生の感を頼りにひたすら探すしかない。
時刻も5時近くなり、タイムリミット間近。本来翌日の予定だったが、台風の影響で本日中に行かないと目的が達成できないと思われた。
だいたいの目星を付けながら、国道から脇道にそれていくと、ズバリその場所に出くわした。なんと、心配していた駐車場もバッチリ整備されている。時刻表を見ると、15分後くらいに列車がやってくるようだった。
もう一つのアングルでは。空が曇っていたので、最初のアングルに決めた。
ただし、この場所、相当に危険な場所にある。歩道の下は断崖絶壁、川原までの高低差は100m近くあるように思える。
台風の影響で、時折突風が背後から襲い掛かり、吹き飛ばされそうになった。
待つこと15分。やっと、列車が来た。
しかし、強風にあおられたのと、カメラの連写機能が突然おかしくなり、思うような写真が撮れなかった。やはり、三脚を持ってこなかったのが失敗のもとのようだ。
次回に大いなる教訓を残し、熊本ひとり旅は終わった。
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トンネルの中はひんやりとして心地よかった。ただ、中間付近あたりからは天井からの出水がかなりあり、路盤は歩きにくいし、水しぶきはかかるしで、ひたすら出口を目指す。
出口で照明を消し、再び歩き出す。このあたりの風景、今にも列車がやってきそうな雰囲気だった。
少し登り勾配のついた路盤上をゆっくりとしたペースで快適に歩く。杉木立に囲まれているせいか、そんなに暑くなく、少し伸び始めた草もじゅうたんのようで歩きやすかった。
その時、後ろで突然獣の気配を感じた。振り返ってみると、小動物が跳ねている。
うさぎか、たぬきか、と思って見ていると、その背後から人が歩いてきた。
まさか、ここを歩いている人なんていないと思っていたので、少しびっくりした。
追いついてきたその人に話を伺うと、地元の人らしく、毎日ここを散歩しているという。愛犬の誘導で、しばらく一緒に歩いた。
作業道との分岐でその人と別れ、再び一人で歩き出す。分岐のすぐ先には、目指す「幸野川橋梁」があった。
橋梁の上からの眺め。緑にも濃淡があって美しい。
橋をわたりきったところから左手に降りる道があるはずだったが、草刈がしてなくて草ボウボウの状態。しかし、ここしか降りる道はないので、覚悟を決めて降りることにした。
朝露でズボンが濡れたが、我慢しながら降りていく。少し降りると、上からは見えなかった美しいアーチの部分が見えてきた。
しばらく降りると、民家の庭先にたどり着いた。
この辺は酪農が盛んなようで、牛が沢山飼われている。犬も同様に沢山飼われているようで、民家の前を通るたびに異常な勢いで吠えられている。
しかし、この風景を求めてわざわざ来たので、そう簡単に立ち退くわけにもいかない。いろんなアングルでカメラに収める。
この橋の特徴は、アーチの側面に三つの小窓が空いていることである。
コンクリートのアーチ橋の場合、アーチ部分が全てコンクリートで満たされている充腹アーチと穴が空いた状態の開腹アーチとがある。
この橋の場合、穴が空いているので開腹のように思えるが、アーチに係る部分が空いているわけではないので充腹アーチに属する。穴を開けた理由は、デザイン性もあるが、橋の重量を減らす目的もあったと思う。
この橋、全体は6径間(アーチが6連)のはずなのだが、木立に隠されて4径間しか見ることができない。ちなみに全長は115.7mある。
橋のすぐそばまでが放牧場となっているのも面白い。写真を撮っていると、牛に睨まれた。
再び遊歩道に戻り、歩き出す。時刻も昼に近くなり蒸し暑くなってきた。
路線脇に白い杭が1本立っていた。距離表のように見えるのだが、どの面にもなにも書かれていなかった。
路線脇に鉄道遺構が残っていないかとずいぶん探したのだが、境界杭が数本あった他は、めぼしい物は見当たらなかった。もう少し、いろんなものが残っていると、趣があるんだけど。
先ほどの橋梁を過ぎてから、登り勾配が少しきつくなったようで、歩くペースも少し遅くなる。
汗が吹き出して止まらなくなったところで、2本目のトンネル「北里トンネル」が見えてきた。
先ほどと同様に、照明をつけて中に入る。天然のクーラーは、すこぶる快適であった。
歩き始めて1時間半、心配したにょろさんにも出会うことなく、遊歩道の終点に出た。
心地よかった風が、急に熱風に変わった。(つづく)
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