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今年の4月は例年より寒い日が続いたので、部屋の模様替えもできないまま。
連休に入り、さすがにコタツだけはしまおうと、少し模様替えをしました。迷惑なのは、猫たちです。夜になると寒いようで所在なさそうにしています。
そこで、猫用のホットーカーペットをセットしました。二つあるのですが、お気に入りは2匹とも白いカーペット。2匹で奪い合いです。
白い方のホットカーペットは先代の猫が使っていたもの。黄色い水玉模様のは、2匹を買い始めてから買ったものです。買ってからもう4年もたつのに、いまだに白のカーペットがお気に入り。
中身は同じなのですが、なぜ白い方にだけ向かうのかは、まったくの謎です。
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明治町からバスに乗り、西倉吉に到着。当然、旧西倉吉駅は目の前にあると思い込んでいた私だが、完全に裏切られた。バス停近くには、関連するものがない。
地図を取出し確認する。道路の線形を見ると、一筋西側の道路がそれらしく見える。
大体の位置に目星をつけ、歩いていくと案外簡単にお目当ての場所に行きついた。旧西倉吉駅跡である。
線路自体はダミーで置かれている。建物は例によってトイレとなっている。
実は旧打吹駅あたりから、朝のヨーグルトの効能が出てきたようで、少し危険な状態になってきていた。調度いいタイミングだったので、ここで個室を使用させていただいた。トイレットペーパーも常備され、掃除も行き届いていて快適な個室でありました。
ここから関金方面に向かって進む。
このあたりは、道路として改良されていて線路跡の痕跡はない。
しばらく歩き、西倉吉の消防署を過ぎたあたりで路線跡と思われる道が見える。
桜並木の続く、少し盛り上がった路盤は、まさに鉄道廃線跡のそれだった。
先ほどの西倉吉駅跡から旧上小鴨駅跡までは「花と緑のふれあいロード」として3.9kmにわたり整備されている。
折からの黄砂で少し視界は悪いが、桜並木の緑が快適な散歩道だった。
路盤の両側に点々と続く境界杭のような突起物。近づいてよく見ると、やはり境界杭であった。
「工」とあるしるしは、旧国鉄もしくは鉄道省のしるしではないだろうか。
西倉吉から小鴨小学校あたりまで、約2km近くを歩いてきたが、これから先に進むとバスの便が急に悪くなる。
残り12kmとまだ半分も経過していないのだが、バスでの移動は困難なので、これからあとはまた後日に自家用車で来ることにした。
美しい桜並木を目に焼き付け、近日中に再訪することを心に誓い、西倉吉に引き返した。
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旧上灘駅前の広場にはモニュメントがあったが、芸術というジャンルにまったく疎い私にとって意味を理解するのは困難であった。
あとで分かったことだが、作品名は「To the Sky」だった。
しばしの休憩が終わり、打吹駅跡を目指して出発。
長い直線の途中で、道路をはき掃除している人を発見。近所の人々のこうした努力があってか、道路上にごみは一つも落ちていなかった。
長い直線が終わり、打吹山が迫ってくると、清水病院の裏側あたりで美作街道と合流する。
石畳の舗装とも一端ここでお別れとなる。
美作街道の歩道と兼用となる交差点。歩道は、平板ブロック舗装となり、歩きやすい。
自転車もこの舗装のほうが走りやすいらしく、多く見かけるようになる。
カーブを回りきると、再び美作街道と別れ、線路跡となる。ここから再び石畳風の舗装が復活する。
この辺りからは、街路樹が一変する。花木にまったく疎い私には、木の名前がわからないのだが、「ヤマボウシ」のように見える。白い可憐な花が美しい。いずれにしても、「ハナミズキ」の種類の一つではないだろうか。
通路のど真ん中にでっかい石が鎮座している。あれもモニュメントの一つなのだろうか。
近づいてみると、一つの石に見えたその物は、半分に割れた石で、中はくり抜かれてベンチになっていた。
このモニュメントのお題は「時空」。旧倉吉線開通と廃線の時を表現しているらしい。
出発から2時間近く経過し、旧打吹駅付近に到着。倉吉駅から4.2kmに位置している。
打吹はもともと倉吉の中心地で、一時は倉吉駅となっていた。山陰本線がこの地を通過しなかったので、現在の倉吉駅(上井駅)に名前を譲り、かろうじて倉吉線という名称だけは残したのである。
旧打吹駅跡(厳密には少し位置が異なるが)には、倉吉線鉄道記念館があり、その近くに「C11 75」が静態保存されている。
C11は、昭和49年までこの路線の主力列車として活躍した。
今は動かないC11。カメラワークで、車輪を少し動かしてみた。
テクニックがいまいちなので、これが精いっぱいだけど、動いているように見えないだろうか。
続いて、鉄道記念館を見学。この記念館、中は無人で、電気は利用者が点灯するシステムとなっている。
出るときは、消灯することを忘れずに。
記念館の内部には、写真パネルや倉吉線に由来する品々が展示されていた。
貨車移動機の雄姿。
旧打吹駅があったと思われるスペース。今は駐車場となっている。
この付近には、かつて商店街や映画館などがあり、倉吉の中心街であったが、今は見る影もない。
この先、関金方面へと向かう旧倉吉線だが、小鴨川を超えて西倉吉に入るまではまったく路盤が残っていない。
今は、道路に改良され役立てられている。
私もここから、バスで西倉吉に移動することにした。(さらに続く)
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旧踏切跡と思われる地点。残されたコンクリート基礎は信号機または警報機のものと推測する。
床版がかかっている橋梁の基礎も石積で、鉄道遺構なのではないだろうか。
この先では国道も交差しているのだが、この辺りは住宅街のまっただ中で物音一つしない。市街地なのに至ってのどかである。
しばらく歩いていると、住宅の駐車場で遊んでいる子供たちがいた。写真を撮らせてもらう。
「おじさんは戦場カメラマン?」と左端の男の子がたずねる。本職のカメラマンではなく、ここが廃線跡なので訪ねているという趣旨のことを話したが、この子たちの興味は別のことにあったらしく、話がかみ合わないので「じゃあね、バイバイ。」と言って別れる。
この日は黄砂予防のため、帽子、メガネ、マスクを装着した私のイデタチ。傍から見れば異様なイデタチの私に気さくに話しかけてくれた貴重な存在だった。
この後地元住民に話しかけるが、幾度となく無視された私は、後になってそれに気づくことになった。
国道と交差する前後では、土道から舗装路へと変わっている。この辺りは生活道路として使用されているようだった。
道路わきには、信号器箱が残されていた。「八屋踏切 1k597m」と表示されている。
その先からは、築堤となる。小川にさしかかると、プレートガーダー橋が撤去されずに残っている。
橋台脇まで行ってみるが、銘板は残されていなかった。
天神川右岸の堤防手前では、市道を跨ぐ架道橋のコンクリート橋台が残されていた。
橋台の側壁の石積みは健在で、築堤の上には信号器箱が残されている。
ここで一端、線路跡は途絶えている。天神川を渡る鉄橋が存在していたはずだが、現在はその痕跡もない。
方向的には、左岸側のこの辺りだと思われる。
あくまで想像だが、現在護岸となっているあたりに、橋台があったのではないだろうか。
左岸側堤防から、打吹方向を見ると、打吹山に向かって真っすぐに線路跡が伸びている。
この辺りからは、遊歩道兼サイクリングロードとして整備されているようで、「緑の彫刻プロムナード」と命名されている。
両脇に植樹された並木の緑が美しい。
しかし、石畳風に敷設された舗装路は小さな段差があって、意外と歩きにくい。自転車だとなおさらだと思う。
そんなこともあってか、私が歩いている間に自転車で通行している人は見かけなかった。
石畳に入って少し歩くと旧上灘駅跡に到着。駅舎を模した建物はトイレでありました。
このてのトイレ、管理が行き届かず放置されるものが多いですが、ここのトイレはきちんと管理されていて、きれいでした。
ただ今、休憩中。(次へ続く)
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旧国鉄倉吉線は、山陰本線の倉吉駅を起点に大山の東麓の山守までの20kmを結んでいた盲腸線。陰陽連絡線として姫新線の中国勝山に接続する計画だったが、バス路線など近代化の波には勝てず、昭和60年に廃止された。
その廃線跡がほとんど残されていることを知って、今回歩くことにした。
朝いちばん、女性運転士の運転で松江駅を出発。最近のJR西日本では、若い女性運転士の方が多く活躍している。
普通列車だったが、連休中は休日ダイヤなので1時間30分ほどの所要時間で倉吉駅に到着。平日ダイヤだと、もう1時間余計にかかる。
倉吉駅は改装されて、新しい駅舎になっていた。
今回の改装で、ホームは跨線橋を登った2階に設置される方式となっていた。ここでも女性駅員が活躍中だった。
1昨年に訪れた時の旧倉吉駅。旧倉吉駅では、1階が改札口になっていた。ただし、ホームの配置はそのままで変わっていない。
今回の改装で、神戸鉄道院明治41年の刻印が残されていた跨線橋は跡形もなく撤去されていた。
1昨年訪れた時の在りし日の跨線橋の雄姿。
さて、気を取り直して廃線跡の旅へ。
と、その前に腹ごしらえ。駅の1階にある食堂で朝食をとることにした。朝定食がないので、モーニング500円を注文。
サービスでヨーグルトがついていた。朝から乳製品を摂取すると後で大変なことになるんだけど、と思いながら残さず完食。
予想通り、これが後で命取りとなる。
さて、今度こそ廃線跡の旅へ出発。
今はバスターミナルとなっている駅東側あたりが、倉吉線のホームの跡だと思われる。
バスターミナルから駅方面を振り返る。やはりこのあたりだと確信する。
その先を歩いていくと、つつじの植え込みの先に、舗装がカーブしている場所を発見!
ここが線路跡の始まりのようだ。
県道を横断した先にも、線路跡らしきものがある。そのまま前進する。
舗装道路がそのまま線路跡かと思っていたが、樋門の脇で分岐し、左側に土道が続いている。どうやら、こちらが線路跡のようだ。
そのまま住宅の間を歩いていくと、緩やかなカーブを描きながら土道が続いている。線路やバラストは撤去されているがかつての路盤に間違いない。
しばらく歩くと、小さな道と交差する場所に出た。ここは旧踏切の跡と思われる。
(次へ続く)
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