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11月の終わり頃、一通のメールが届いた。今福線研究部会の会長からだった。
「新年恒例の研究発表会ですが、○○さん(私のこと)が適任だということで会員の意見がまとまりましたので、よろしくお願いします。」
寝耳に水だった。
11月は、坐骨神経痛がひどかったころ。そのため、研究会の現地視察も休ませてもらっていて、今年は私の出番はないだろうとタカをくくっていた。
会長からの直々の頼みなので、むげに断るわけにもいかなかった。何しろ、彼は私と年も誕生日も一緒、つまり全くの同い年なのだ。
現地視察に参加していないので、その部分については発表はむつかしい。そのため、持ち時間の半分を担当するということで折り合いが付いた。
その日から、また机に向かう日々が続いた。まず、発表の原稿作り。研究発表の冊子にするため、12月後半には仕上げないといけない。
春先から鉄道廃線跡を何箇所か訪ね歩いたが、その内容を今福線の活性化策として、地域振興に役立てていくという内容で原稿を作った。クリスマスの少し前に原稿は完成。
そのあとは、パワーポイント作りである。何年か前に発表の場にたったことがあるがそれ以来なので使い方から復習である。しかも、昨年パソコンを買い替えたため、バージョンも変わっている。発表の前日まで試行錯誤を繰り返しながら、推敲する。
そして、いよいよ発表当日。1月21日がやってきた。
午後からの会なので、11時過ぎに早めの昼食をとり、会場に向かう。
会場に入ってびっくり!なんと報道関係者がいる。○○新聞社と書いた腕章をしている輩がいる。そして、明らかにこの会の会員でない人たちが大勢いる。なぜ?
後で分かったのだが、「津波研究部会」という部会があり、島根県の津波研究を行なっているらしい。この次節なので、報道関係や一般の人への参加を大々的に呼びかけたらしい。
例年と違う雰囲気の中、定刻通りに会が始まった。報道陣のフラッシュが一斉に瞬いている。予定していた内容とかなり違っている。
私の出番は、5番目の予定。それまで報道陣がいるはずはないやと思いながら、津波研究の発表を聞く。
案の定、津波研究会の発表が終わると、報道陣はあっさりと帰ってしまった。きびしい質問を浴びせかけた一般の人々も、かなりの人が帰っていった。やれやれである。
そして15時30分、ついに私の番がやってきた。心臓バコバコで口から飛び出しそうである。
幸いにも、会場内の人数はかなり減って、100人程度。それを確認してから、少し落ち着きを取り戻した。
いよいよ、演壇に立つ。多少上ずった自分の声に若干戸惑いながら発表を始める。先週から何度も練習した内容である。
間違えずに、そして早口にならないよう心がけながら、進めていく。持ち時間の15分に対して、若干増えて17分で終了。やっと、我に帰る。
そのあと、一般の人から二つほど質問があったが、難なく答え、発表は終了した。
17時30分からは、恒例の懇親会が始まる。研究会の仲間たちと同じテーブルに陣取り、まずは乾杯!しばらく料理を味わったあと、ほかのテーブルを回る。
研究会の仲間や知り合いたちは、一様に「いい発表だったよ。面白かったよ。」と言ってくれた。まあ、半分は社交辞令だろうと、思いながら談笑する。
そのうちに、面識のない人たちからも「○○さん(私のこと)、面白かったわ!」とお褒めの言葉を頂戴する。なかには、「今日の発表の中で、あなたのが一番面白かった。」と言う人まで現れた。もう、ずいぶんお酒も入っていたので、少しオーバーかなと思いながらも、褒められるのは悪くないものである。
懇親会も2時間で終了。物足りなさそうな顔をしている知人と、夜の松江に繰り出す。一年ぶりに行った店には、まだボトルが残っていて、律儀な店だなと思いながら杯を傾ける。中年おじさんたちの宴は、夜半まで続くのであった。
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