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これはムンクの描いたイプセンです。 ヘンリック・イプセン(Henrik Ibsen、1828年 - 1906年)は、近代演劇の創始者とも言われるノルウェーの劇作家で、代表作には、『ブラン』、『人形の家』、『ペール・ギュント』などがあります。 みなさんがムンクの絵を思い出すとしたら、やはり『叫び』でしょうか。 橋の上で、耳に両手を当てて、目と口を大きく見開いて、何か叫んでいそうな人物。後ろには黒い人影。 空の赤と水の青。画面全体がゆらゆらと燃える炎のような、強烈に印象を残す作品ですね。 2年前に観客の目の前から強奪されたムンクの『叫び』と『マドンナ』が発見されたそうですね。 ムンク(Edvard Munch、1863年 - 1944年)は、ノルウェーの軍医の家庭に4人の兄弟の2番目として生まれますが、ムンクが5歳の時に母親が結核で亡くなります。もともと厳格だった父親はそれ以降陰鬱な人になってしまいます。 ムンクが14歳になった時に、ひとつ年上の姉がやはり結核で亡くなり、ムンクには病気と死への不安が生涯付きまとうようになります。 給付留学生としてパリに着いた直後、父親が亡くなります。日記には「これからは、息づき、感じ、苦しみ、愛する、生き生きとした人間を描く」と記し、『フリーズ・オブ・ライフ』(生のフリーズ)の構想を抱き始めます。 1890年代のムンクは、ベルリン、コペンハーゲン、パリなどヨーロッパ各地を転々とし、夏は故国ノルウェーの海岸で過ごしています。このオースゴードストランの海岸風景は、ムンクの多くの絵の背景になっています。 ムンクは生涯独身でした。女性問題では発砲事件を起こし、左手の中指(薬指の説もある)を失います。 この頃からムンクには強迫観念が強くなり精神が不安定になって、アルコール依存があらわれ、デンマークで療養生活を送ります。 1909年にノルウェーに戻り、クリスチャニア大学講堂の装飾壁画にとりかかり、若い画家たちの援助も行っています。晩年は眼病を患い、ドイツがノルウェー占領中は沈黙を続け、1944年に死去します。 ムンクの作品にはイプセンの戯曲をテーマに描かれたものが数多くあります。中には戯曲の宣伝をかねていたものもあるそうですが、ムンク自身がイプセンを崇拝していたようです。ムンクの個展が酷評されていた頃、イプセンは個展を訪れてムンクを勇気づけたそうです。
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