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語り部による回想シーンから始まるこの作品は、まず、場面場面を高揚させるベルリン・フィル・オーケストラの演奏が素晴しい。サスペンスタッチも見事である。 「匂い」と「味」 この二つは表現が難しい。映像であったなら尚更のことだ。それは当然のことながら、実際の匂いや味を観客が「嗅覚」や「味覚」で感じることが出来ないからだ。 一面のラベンダー畑ならいい香りの表現だし、内臓の山だったらむせ返るほどの生臭さを想像する。塵埃や群集の体臭や汗の匂いも映像からそうなんだろうと思うだけである。どれもこれも観客の記憶からくる想像でしかない。 「味」の作品では『バベットの晩餐会』を思い浮かべる。 宝くじの当たった元パリの最高レストランの女性店主であるバベットが、わざわざ贅を尽くした材料を運び込んでもてなしの料理を作る。一人を除いた会席者は誰も「美味しい」とは言わない約束になって会食が進む。メニューは現在ではそう珍しくもないものだが、当時としては一生に一度口に出来るか出来ないかという料理だっだろうに褒め言葉が出ない。ここでも観客側にはその料理がいったいどんな味がするのか、どんなに美味しいのか伝わらないのである。この作品はグルメ映画ではないので、美味しさが伝わらなくても気にならないが。 「パヒューム」に戻ろう。 一つ一つの匂いの素の表現は丁寧に出来ているが、それはいい匂い(芳香)と臭さ(悪臭)の対比であって、この対比では片方が際立つことは無い。匂いのない場面があったなら表現したい匂いが際立ったのにと思う。全編を通して、匂いの素のない場面がなかったほどであったから、製作者に匂い表現秘策があったわけではないが、表現を試みた情熱は伺える。 匂いもそうだが、ラストにいたっては「うそ〜〜」と叫びたくなるような筋書き。主人公の生い立ちをどんなに割り引いても、彼が稀有の天才であったとしても、猟奇殺人にしか思えないのにである。 それに加え、CMでも賛否が分かれていたあのシーン、一振りでみんな魔法にでもかかったのかしら。 私にはこの作品の嫌な匂いの筆頭格に思えたのだが。 後で、ふと思ったのは、彼は産み落とされた時に感じた母親の匂いにもう一度包まれたかったのではないかと言うことだ。彼が求めた最高の芳香は女性の匂いである。女性の匂いが芳しい彼にとって、母親の匂いが最高のパヒュームだったのではないか。 アカデミー受賞監督がこぞって製作を熱望したというこの原作、スコセッシならどんな風に描いたのだろう。
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