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植民地支配から独立しても、欧米の思惑のなかで再び内戦に陥いり、自立できずにいるアフリカがある。内戦が終っても悲痛に叫ぶ人々がいる。宝石、石油、ガス、そして武器、大金のもとには紛争が起き、民族対立、虐殺、難民、少年兵、汚職、HIV、密輸・・・と問題を抱えこむ。
『ホテル・ルワンダ』『ナイロビの蜂』」と同様、現代アフリカを扱った映画を観た。

映画「ブラッド・ダイヤモンド」(BLOOD DIAMOND 2006年、アメリカ)
監督:エドワード・ズウィック
出演:レオナルド・デカプリオ
  :ジェニファー・コネリー
  :ジャイモン・フンスー

タブーだったアメリカの武器ビジネスを扱ったニコラス・ケイジ主演『ロード・オブ・ウォー』(LORD OF WAR 2005)は国内で制作資金調達が難しかったそうだが、ハリウッドにとってスポンサーである宝石業界を扱うのもおそらくタブー視されていたろうに、最近それが解けてきたのだろうか?
この映画を観ていると、ダイヤのリングをしているのが悪いことのように気が引けてきて、外そうという気にさえなるが、この問題は何もダイヤモンドに限ったことではない。

内容は、内戦中のシエラレオネの新聞記事や本が一まとまりになったような社会派エンターテイメント。
読むことより映像で見せることの方が理解させやすく訴えやすいかも知れないが、この作品は台詞にアフリカの現状がよく表されている。歴史と聖書の知識があれば、さらに興味深い作品だ。
「ラストサムライ」の監督作品だったので正直期待はしていなかったが、題材が違うとここまで違うのか、と観応えがあった。143分の長さだが、飽きることはない。

欲を言えば、ソロモンがロンドンに着いてからの描き方には物足りなさが残る。
どうやってソロモンはダイヤをロンドンまで持ち込めたのか?
ロンドンでのソロモンに身の危険はなかったのか?
飛行機から降りてきた息子が家族と抱き合うが、少年兵として麻薬づけにされ、洗脳されて殺戮の片棒を担いできたのに、短期間でこの回復が可能だったのか?
これらはすべてジャーナリストとしてのマディー(ジェニファー・コネリー)の力だけで行えたのか?
この辺の事実は、まだ描けない分野なのかも知れない。

子供を守ろうとする父親ソロモン役、アフリカ生まれフランス育ちのジャイモン・フンスー。
存在感は十分だが、ガッシリし過ぎて内戦中の世界一短命な国(平均寿命35歳)の漁師には見えない。グラジエーターのときの方がアフリカ人らしい。


印象に残ったのは、アーチャー(レオナルド・デカプリオ)が赤い土を握り締め、TIA(This is Africa)の景色を見ながら心もTIA に戻っていくところ、いちばん良かったのは、キスシーンもベッドシーンもなかったことだ。こういう大人の作品があっていい。
デカプリオの演技がピカッと光る、彼に早くアカデミーをとって欲しいものだ。彼はもう原石ではないのだから。

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映画『クィーン』は、ヘレン・ミレンがそっくりな格好をしてクイーンズイングリッシュの女王になりきった演技でアカデミーを受賞した影響か、評判がいい。

ダイアナ元皇太子妃の事故死による女王の決断を描いたこの作品が制作されたのは2006年で、私は日本公開前に機内で観ている。内容は当時、毎日の報道にあったことだから別段驚きもしなかった。
現存する衆目の有名人を、しかもタブー性がある王室という世界を描いて、よくも今作ったものだと思わせるが、なぜ今なのかの回答は作品からは伺えなかった。
こういう作品を作られるのも、作らせるのも、英国王室の「国民とともにある王室」の開かれたイメージをさらに強いものにするだろう。

エリザベス役の演技はへレン・ミレルのそれが主軸となって、これから先に演ずる役者は彼女と比較されていくだろう。トニー・ブレアを演じたマイケル・シーンも似ていた。彼は監督から見て政治家にうってつけの役者なのかも知れない。
現存する人や映像に残っている人を演じるというのは、役者が真似やすい面もあるが、しくじったら不評の的になる。この二人は成功の見本みたいなものだ。
ダイアナ役には女優を起用しなかった。本人の映像を使ったことがこの映画の成功の要因であり、観客をあたかも現場に立ち会っているかのように作品に引き込んでいく。今なお衰えず人々の心を捉え、世界中の話題をさらうダイアナを演じられる役者は当面いまい。

英国王室はそのときどきによって慣例を破ってきた。
現王室の家名はウィンザー、それ以前はヴィクトリア女王の夫君アルバートの家名サクス・コバーグ・ゴータを名乗っていたが、第一次世界大戦中の1917年、ドイツ系家名がそぐわないと、王宮のあるウィンザー城にちなんでウィンザーと改名した。だから、女王が苦渋の決断をしたと言ってもそれは、英国王室においてはそれほど珍しくないことだし、国民に応える雅量があるのが英国王室である。それぞれのときにブレア首相のような補佐が出てくるのは羨ましい限りだ。

ダイアナはチャールズとの離婚でハー・ロイヤル・ハイネス・ザ・プリンセス・オヴ・ウェールズ
(Her Royal Highness The Princess of Wales:ウェールズ大公妃殿下)の称号を自動的に失うが、英国王室の慣例と次期皇太子の母親の立場から、プリンセス・オヴ・ウェールズ(Diana, Princess of Wales:ウェールズ大公妃ダイアナ )と名乗り、ケンジントン・パレスの居住を認められている。
のちにチャールズと結婚したカミラは、プリンセス・オヴ・ウェールズの使用を自ら辞退し、コーンウォール公爵夫人の称号を名乗ることにしたのも、根強いダイアナ人気に配慮したからである。

在英中に英王室一族を見る機会が何度かあった。そこでダイアナとチャールズが揃って出てきたのは1回だけだった。この頃から二人の不仲説がささやかれていた。

王室のステートメントが出され、バッキンガム宮殿にユニオンジャックの半旗が掲げられ、女王が少女から花束を受け取るテレビを観たのは、それから10年経っていた。

王室旗に包まれたダイアナの棺のあとを、チャールズと二人の息子、ウィリアムとヘンリー、女王の夫君エディンバラ公、ダイアナの弟チャールズ・スペンサー伯爵が歩いていた。ウェストミンスター寺院での葬儀の様子も覚えているし、エルトン・ジョンの『キャンドル・イン・ザ・ウィンド』も歌える。
ダイアナはオルソープにあるスペンサー家領地の池にある墓所に埋葬されたが、盗掘を防ぐため墓碑はなく、その位置はごく近しい者だけにしか知らされていない、ということも知っている。

しかし、こと天皇家のこととなると、今の天皇は誰で、皇后が美智子様で、皇太子が・・・雅子妃が・・・
秋篠宮家に長男が誕生し・・・ぐらいである。
昭和天皇が亡くなったのは冬だった。天皇の葬儀に英国皇太子チャールズが参列しないと駄々をこねたのは覚えているが、葬儀の様子は全テレビ局が放送しただろうに覚えていない。皇太后がいつ亡くなったのかに至っては、私は全く知らない。
現在の皇室を扱った映画が日本で制作されるなどとは想像外だし、そういう企画がまず国内では出ないだろう。国民が皇室を非難することもない。雅子妃についての外国人作家の本が出版されなかったくらいだから。

この映画『クィーン』は女王が主役の映画だが、映像のダイアナが語り部の役割を担っているかのように印象的だ。何回も見た映像なのに新鮮だ。
彼女のはにかんだ少し上目使いの微笑みは、見るものに安らぎを与える。世界中の人がダイアナの美しさと、失意から立ち直って社会に貢献するその行動力に喝采をおくったものだった。ダイアナは「イングランドのバラ」といわれたが、世界中で咲いていたのだなあ、と今になってもしみじみ思う。
語り部による回想シーンから始まるこの作品は、まず、場面場面を高揚させるベルリン・フィル・オーケストラの演奏が素晴しい。サスペンスタッチも見事である。

「匂い」と「味」
この二つは表現が難しい。映像であったなら尚更のことだ。それは当然のことながら、実際の匂いや味を観客が「嗅覚」や「味覚」で感じることが出来ないからだ。
一面のラベンダー畑ならいい香りの表現だし、内臓の山だったらむせ返るほどの生臭さを想像する。塵埃や群集の体臭や汗の匂いも映像からそうなんだろうと思うだけである。どれもこれも観客の記憶からくる想像でしかない。

「味」の作品では『バベットの晩餐会』を思い浮かべる。
宝くじの当たった元パリの最高レストランの女性店主であるバベットが、わざわざ贅を尽くした材料を運び込んでもてなしの料理を作る。一人を除いた会席者は誰も「美味しい」とは言わない約束になって会食が進む。メニューは現在ではそう珍しくもないものだが、当時としては一生に一度口に出来るか出来ないかという料理だっだろうに褒め言葉が出ない。ここでも観客側にはその料理がいったいどんな味がするのか、どんなに美味しいのか伝わらないのである。この作品はグルメ映画ではないので、美味しさが伝わらなくても気にならないが。

「パヒューム」に戻ろう。
一つ一つの匂いの素の表現は丁寧に出来ているが、それはいい匂い(芳香)と臭さ(悪臭)の対比であって、この対比では片方が際立つことは無い。匂いのない場面があったなら表現したい匂いが際立ったのにと思う。全編を通して、匂いの素のない場面がなかったほどであったから、製作者に匂い表現秘策があったわけではないが、表現を試みた情熱は伺える。

匂いもそうだが、ラストにいたっては「うそ〜〜」と叫びたくなるような筋書き。主人公の生い立ちをどんなに割り引いても、彼が稀有の天才であったとしても、猟奇殺人にしか思えないのにである。
それに加え、CMでも賛否が分かれていたあのシーン、一振りでみんな魔法にでもかかったのかしら。
私にはこの作品の嫌な匂いの筆頭格に思えたのだが。

後で、ふと思ったのは、彼は産み落とされた時に感じた母親の匂いにもう一度包まれたかったのではないかと言うことだ。彼が求めた最高の芳香は女性の匂いである。女性の匂いが芳しい彼にとって、母親の匂いが最高のパヒュームだったのではないか。

アカデミー受賞監督がこぞって製作を熱望したというこの原作、スコセッシならどんな風に描いたのだろう。

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私のコレクションの中に『イーグルス・ヒストリーBOX 1972〜1999』がある。実を言うと南欧で休暇を過ごした時に、半額セールで買ったもので、このときにレッド・ゼッペリンのボックスも買っている。日本ではこの手のセールにめぐりあったことがない。

昨日、涙する曲について書いた(すんませんmixiです)。イーグルスの「DESPERADO」も、歌詞は自分に言い聞かせてくれているようで一人で聞きたい曲だ。
この曲も映画に使われている。映像とともに思い出すのは『イン・アメリカ 三つの小さな願いごと』で、しっかり者の長女が歌っている場面だ。

イン・アメリカ 三つの小さな願いごと(In America 2003)はジム・シェリダン監督の自伝的作品だそうで、ハッピーエンドだと予想はつくが、どうにも感情移入できない作品だった。

死ぬ間際に弟フランクが残した「願い事には願っていいことと悪いことがある。願えるのは三つだけ」を信じる姉の願いが、危機あるごとに叶って乗り越えて行く話なので、退屈であろうはずがないのだが、都合よすぎる部分が目立つ。

旅行という理由で入国し、アパートが借りられて、すぐに仕事が見つかり働けるし、子供は学校に通える。彼らは不法滞在者のはずなのに、逃げ隠れもせずにすぐに生活基盤が整う。あの当時のアメリカはそうだったのだろうか。生活苦なのにゲームで全財産を使ったり、それに、入院費支払い方法があれとは?
これだけでも自伝的作品としては現実味がない。
アイリッシュ訛りでも英語だから、言葉の障害はなかったのだろうが、アイリッシュこその厳しさもあったはずだ。

長女クリスティの台詞
「悲しかったのはパパとママだけじゃない。私はフランクが死んでからみんなをずうっと1年以上も背負ってきたんだわ。フランクが死んだことも、こうして私が生きていることも、私のせいじゃないのよ。でもママはフランクが自分の息子だからっていつも泣いていたわ。フランクは私の弟だったのよ。私だって誰もいないところで泣いて、毎晩フランクに話しかけていたの。それが自分に話しかけていることだと気が付くまではね。(訳rin)」
は、こんなこと子供に言われたくないが、それを聞いてこの両親が立ち直っていく決め手となる台詞だ。
それだからか、過去を振り返えらないという象徴なのだろうが、弟とマテオの写っているビデオを消す。あのビデオはクリスティと妹、そして両親にとっては忘れたくない思い出のはずで、見ずとも残しておきたい映像ではなかったか。
それから、クリスティの三つ目の願いがいつ使われるかと思っていたら・・・娘なら母親と赤ちゃんのために使うのが自然だと今でも思っている。三つめの願いの完結として「子供を亡くした悲しみからの立ち直り」でもいいと思う。
 
全体的に感情移入できなくても、本当の姉妹だという子役2人の演技には泣かされた。クリスティが希望を込めて歌う「DESPERADO」は、賛美歌のように聞こえる。
パディ・コンシダイン、彼が演じると、ダメな親父でも内に何かを秘め、そのうち凛とするんだろうと思わせるが、今回は娘に言われるまでどうにもならなかった。
やっぱり、父親はRussel父ちゃんのようじゃないと・・・。
そうそう、グラジエーターのジュバ役、ジャイモン・ハンスー演じる同じアパートの住人マテオが光っていた。

『Do you believe in magic?』も流れていたし、『ET』もでてきたから、やっぱりこの映画もファンタジーなんだろう。

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クリスマスプレゼントに「スクリーンの妖精」オードリー・ヘプバーンの分厚い本をいただきました。
その頃だったでしょうか、あるテレビ番組で「戦時中にオードリーの母親が飢えを凌ぐために作ったスープの具は何?」という問題が出されていました。答えはチューリップの球根でした。

オードリー・ヘプバーン(Audrey Hepburn 1929-1993)の主な出演作品を並べただけでもこんなにあります。
  初恋 The Secret People(1952年)
  ローマの休日 Roman Holiday(1953年)
  麗しのサブリナ Sabrina(1954年)
  戦争と平和 War and Peace(1956年)
  パリの恋人 Funny Face(1957年)
  昼下りの情事 Love in the Afternoon(1957年)
  尼僧物語 The Nun's Story(1959年)
  緑の館 Green Mansions(1959年)
  許されざる者 The Unforgiven (1960年)
  ティファニーで朝食を Breakfast at Tiffany's(1961年)
  噂の二人 The Children's Hour(1961年)
  シャレード Charade(1963年)
  パリで一緒に Paris - When It Sizzles(1963年)
  マイ・フェア・レディ My Fair Lady(1964年)
  おしゃれ泥棒 How to Steal a Million(1966年)
  いつも二人で Two for the Road(1967年)
  暗くなるまで待って Wait Until Dark(1967年)
  ロビンとマリアン Robin and Marian(1976年)
  華麗なる相続人 Bloodline(1979年)
  ニューヨークの恋人たち They All Laughed(1981年)
  おしゃれ泥棒2 Love Among Thieves(1986年)

この中で唯一赤字だったといわれるのが、当時の夫メル・フェラーの監督で、アンソニー・パーキンスと共演した『緑の館』(Green Mansions 1959年)です。早川雪州も原住民の酋長役で出演していました。
酋長の部族が野蛮だという観念で描かれているきらいがありますが、出版年度を考えれば仕方ないのかもしれませんね。
原作は鳥類学者で作家でもあるウイリアム・ヘンリー・ハドスン(William Henry Hudson 1841-1922)
の『緑の館 -熱帯林のロマンス』(Green Mansions-A Romance of the Tropcal Forest)出版は1904年。
ハドスンは原作を「ベネズエラのガイアナジャングルへ旅した者についてのエキゾチックなロマンスである。」と述べていますので、この映画をご覧になったことのある方は、英文ですがこちらも参考にしてください。Green Mansions

rinとしては興行的には失敗作であっても、オードリーが森の中をひらひらと飛ぶように駆け回る姿は、清楚で透明感があり、まるで本物の妖精をみているようで、まさに適役だったと思います。彼女以外の配役は今の女優陣をみても浮かびません。このときオードリーは30歳でした。
革命運動で故国を追われたアベル役の青年アンソニー・パーキンスも、ヒッチコックのサイコに出演する以前で、イメージが固定されておらず、二人の共演は良かったと思ってるんですよ。

青年アベルは、ベネズェラで革命運動に巻き込まれ、ジャングル逃げ込み、酋長ルーニーの村に滞在する。近くの森に行ってみると、そこには今まで見たこともない植物が繁り、鳥や獣は人間を恐れることを知らない。酋長からはあの森は危険だからと言われるが、アベルは森にますます興味を持ち出かける。アベルが毒蛇に襲われそうになったとき、動物と会話のできる、妖精のような美しい少女リーマが現われ毒蛇をなだめる。アベルの手がリーマに触れると怒った毒蛇がアベルに噛みつき、アベルはリーマと老人の住む小屋に運ばれ手当てを受けた。アベルはリーマの生い立ちに興味を持ちリーマの亡くなった母の故郷「リオラマ」を訪ねるが、「リオラマ」には子孫が途絶え誰も住んでいなかった。
森に帰った時、酋長ルーニによって小屋は焼かれ、森の魔女として恐れられていたリーマは殺されていた。

オードリーはアンネ・フランクと同じ年で、映画『アンネの日記』のアンネ役のオファーもあったそうですが、当時を思い出すのが嫌だと断っています。アンネを演じたミリー・パーキンスはオードリーそっくりでした。
子育て中は一切の出演を断り育児に専念したオードリーですが、彼女はアカデミー賞、トニー賞、エミー賞、グラミー賞を全て受賞している数少ない役者の一人です。
1989年の『オールウェイズ』を最後に映画界を引退後、ユニセフ親善大使に就任し、インドやソマリアなどで難民救済活動を行っていました。ベルギー、イギリス、オランダとヨーロッパで過ごし言葉にも堪能でしたから適任でしたね。

アンソニー・パーキンス(Anthony Perkins,1932-1992)
彼は、ウィリアム・ワイラーの「友情ある説得」(19565)でアカデミー助演男優賞にノミネートされ、その後、60年代を代表する青春スター「トニー」として人気を博しました。「のっぽ物語」ではジェーン・フォンダと共演し、翌年には「さよならをもう一度」でカンヌ国際映画祭男優賞を受賞しています。やはり、ヒッチコック監督の「サイコ」のノーマン・ベイツ役のイメージが強く、以後目立った作品には恵まれませんでした。後年は同性愛疑惑や大麻不法所持などのスキャンダルがあり、1992年にエイズで死去しました。
1978年ベリー・ベレンソンと結婚し、二人の男の子がいますが、ベリー・ベレンソンは、2001年9月11日、
アメリカ同時多発テロ事件で世界貿易センタービルに追突した飛行機に乗っていて死亡しています。

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