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火の発生
(「日本文化の遺産」民族文化研究所編)
日本の祭には、火が重要なものとして登場する。神楽のかがり火、田楽祭のたいまつをはじめ、火を燃やすことが祭であるものも多い。夏祭にも、提灯や行灯や花火などが、宵祭を火で彩る。
水の禊ぎによって汚れをはらい、別火の物忌精進をすることによって神聖を保つことが、日本の祭を成立させる主要な条件になっている。火は人類の生活に欠かすことのできない要素であるから、祭に火を使うのだという常識だけでは、祭りの火の意味を説明したことにはならない。数千年に及ぶ歴史をもつ日本人が、原初的な神聖を保持する儀式として伝承してきた祭は、また人類に共通な深い感情がこめられてもいる。
紀元前の縄文時代には、シャーマニズム的な信仰が行なわれ、種々な儀式のあったことは、遺物や遺跡をまつまでもなく考えられる。われわれの遠い先祖が、火に対していかに感じ、火といかなる精神関係をもっていたかを、考えることによって祭りを見直してみたい。近代科学的な知識によってではなく、素朴な感情で火を考えることによって、祭りの意味をみてみょう。
風雨をしのぐだけの竪穴式住居のなかで、人びとは、炉の火をみつめながら何を考えただろうか。山から集めた薪の火は、それを見つめる人間にとっては迅速な生命の生滅でをり、完璧な生成の一例である。流れる水の単調さでもなく抽象的でもない。繁みのなかに毎日見守る小鳥よりもすみやかに育ち変わってゆく火は、時間を変えて人間を駆りたてる欲望の、全生命をその終末へ、死の彼岸へとつれてゆこうとする欲望の暗示をもつ。その時こそ、夢想が人間の運命を押しひろげる。それは小さなものを大きなものに、炉を火山に、一本の薪の生命をひとつの世界の生命に結びつける。火に魅せられた者は「焚火の死の呼び声」に耳を傾ける。彼にとって破滅とは、ひとつの変化以上のもの、まさに再生なのである。火に対する愛と尊崇とは、生の本能と死に向かう本能とを互いに結びつける心理を導き出す。
原初的な生活のなかで、人間は五官の機能を動員して、身近なものや環境のできごとから宇宙の構成要素を想像する。そしてその体験を、自然が人間に好意的であるよう願うために工夫する。例えば、乾いた木の二片をすり合わせることによって火をうみだすことを思いついた理由を、木と木の磨擦による山や森の火事からだと説明するのは、帰納的合理主義にほかならない。これは素朴な観察の諸条件を追体験するのではなくて、ひとつの既知の科学から出発した推論によって判断を下しているのである。現在でも人びとは、山火事について、これといって他に原因を見出すことができないとき、不明の原因とは、摩擦作用かもしれないとつい考える。摩擦作用というよりは、ひとつの「衝撃」であって、発火をひきおこすはずである摩擦と同じように、ながい準備された漸進的な現象を暗示するものは他にはない。
噴火している火山、落雷によって燃えあがる森を人間が認めたとすれは、きびしい不順な季節に裸体のまま耐えてきた人が、そこで身を温めようとすぐに駆けだしていっただろうか。むしろ逃げ去っただろう。火の光景は、大部分の動物を怖れさす。自然がさし出した火の有難い効果を経験した後でさえ、人はどのようにしてそれを保持したのであろうか。一度消えてしまったら、人はどのようにして再びそれをともすことができたであろうか。もし、乾いた二切れの木片がはじめて野性の人の手に入ったとしても、いかなる経験が、速くてながい継続的な摩擦によって火を呼ぶことができるということを教えるであろうか。磨擦によって火をうみだす「客観的」な試みは、人間の全く内的な経験によって示唆されていることに気づくのである。火の
現象とその再生産は、人間自身の発火=男女の愛という、もっとも身近な体験を無視することはできない。愛された肉体を火と燃えあがらせる、情愛のこもった摺り合せの内的な経験のことである。愛の衝動との認識が発火の類推的思考を育てたので、人間は火の文化を保持し得たのである。松の枝木で男女の人形をつくって結嬉式をさせる神事は、私にはイザナギ・イザナミ男女神そのものを思わせる印象があった。
数年前訪れた滋賀県栗東町上砥山の「山の神祭」を私と一緒に見学したフラソスの芸術家は、その純粋なこころと表現に感激して、帰国後早速<日本の恋人たち>という見学記事を、かの地の雑誌に発表した。
永遠の愛は、男女の松の肉体を打ちあわせる深夜の結婚によって発火を可能にする。聖なる抱擁によって一年間燃えつづける火は、森の祭場に風雨のなかに消えるにまかせられる。そして新しい年がくるごとに新しい発火が準備される。
年に一度の祭りは、神の「みあれ」を季節の回帰ごとに火の生滅と人間の生に交流させている。この中心に火というテーマが包まれている。
また、植物の神性が古代人の心中に大きな場所を占めることは、賢木(さかき・榊)や笹葉や森の社、神木などに表われているが、これも常緑の生気を身につけるという二次的なことよりも、木の人間的機能である火のためである。発火の生命をもつものとして、人間の生命に加わる素材だからである。
古い神社には、火を磨擦にょって鏡り出すことが大切な神事として伝えられている。出雲大社や三河一宮砥鹿神社では、桧の台板に空木(うつき)の棒をさしこんで発火させる。伊勢や熱田の神宮では、棒に糸と玉をつけた上下旋回の方法をとっている。砥鹿神社の火鑚(ひきり)神事は二月七日の夜に行なわれ、少女巫女が、発火した火から移した燃える松のたい松を持って神剣をまたいで、の字に廻る火の舞が、八束穂神社の前で行なわれる。
神楽舞には、かならず火が焚かれるのが本来の古式である。夜通し燃えつづける火に誘われるように、祖神たちが出現する。神面をつけた神々の舞が、あるいは村の未来の吉凶をつげたり、あるいは魔払いの足どりをふんで行なわれる。中国地方から九州へかけては、火の神を荒神として具体化させた荒神神楽が多く見られる。火による生産性は、神話にも語られ、農耕儀礼のほとんどに応用されている。田楽踊りの楽器に木片を数十枚つないで鳴らす「ビンザサラ」という特殊なものがある。これは、溝を刻んだ堅木の樺を割竹でこすって鳴らす「ササラ」とはちがって、左右から圧を加えて鳴らす。この「ビンザサラ」を使用する祭は、年のはじめの農作祈願に多い。私はこの楽器「ビンザサラ」は発火のための乾いた木片を表わしたものとみている。佐賀市の「川久保田楽」は秋十月に行なわれるが、四人の少年が女装して、金属の円板と花串をつけ、母親の丸帯二本を結んでたらした花笠をつけ、忌みごもりの姿でビンザサラ舞を行なう。かもじをたらしたうしろに切り筋を入れた半紙をつけて、風雨よけといっている。舞の途中で二人の年上の少年が、白扇をひらいて焔をあおぐ振りがある。忌異にこもって熟饌を炊く童女をかたどったこの舞は、まさしく火の神聖を表現している。
また、九州の宮崎県には、五ツ木村の近くの山中(西都市銀鏡・しろみ軋)に銀鏡神楽という、二十二曲の神楽を二日にわたって奉納する祭りがある。夜明け近くの二十二曲目に、屏風囲いに坐る女装禰宜を太陽神に見立て、二本の日の丸扇でさそい出す手刀男命の舞がある。このあとに、女面をつけ、摺りこ木・杓木・飯つぎ・飯しゃもじを膿のてごに入れた女神が出て、楽人と問答しながら擂り粉木を陽物の代用品にして、天地陰陽の初めの神話を語る。陽物の働きをカリュビンという鳥より教えをうけて使いわけ、東西南北をさしてしぐさをする。この「室の舞」につづきオキッヒコ・オキツヒメの男女の神が、竃の罪汚れを祓い清めるという火の神(おきえ)の舞がある。岩戸開きの手刀男舞の前には、縄の雌雄の大蛇を真剣で三つに斬る「縄の神楽」があり、スサノオの蛇退治を思わせる。まことに、神話を立体的に演劇化したすぐれた神楽が山中によく伝えられたものと驚く。ことに出雲・大和系の天体神話よりも、陰陽の交わりの由来と竃の燠(おき)の汚ればらいのあるのは、火に対するより純粋な信仰を知ることができる。天ツ神や太陽神崇拝などという抽象観念でなく、根源的であり具体的である民俗要素に対する崇敬を祭りに見出すことを忘れてはならない。
火の祭りは、山地山村の人びとの間によく固有の伝統を伝えているので、山の祭りという言葉におきかえることができる。例えは、天竜川流域の中部山岳地帯の冬に数多く見られる神楽と田楽は、徹夜の舞処に大たいまつや湯釜の火を焚きつづけて、湯による清めを中心にしているので、火祭りでもある。その詳細は第九章に紹介してあるが、火の内的な感覚を形式に表現するために、修験道的要素や陰陽道的要素が渾合し、さまざまの形を見せている。祖霊観念を表わした鬼や火の王とよぶ火神などの面形の神を登場させている。男女交合の身振りは喜劇的な笑いに組まれ、はらみ女は豊作を暗示する。宮崎県の高千穂盆地の夜神楽には、五穀を司る神々の舞のあとに、男女神の酒こしの物真似が笑いを誘い、つづいて「地割り問答」という荒神=竜神が、台所の竃前の視膳を女主人から受けて座敷に舞い込み、神の身分と働きをおごそかに告げる高千穂神楽のハイライトがある。山村各地の祭りの夜は、男女の交際が自由で、あるいは「木の根」祭りといわれたり、結婚のきまる機会であったことがいわれている。
早乙女たちが、赤い腰裳もなまめかしく田の神に奉仕する神事の田植祭や、男性陽物をふり廻す豊年祭りなどは、すべて豊作祈願のための感染呪術といわれている。臼と杵に見立てられた男女の性や、木の男根などが登場すると、見物人は寒さも忘れてくつろいだ気分になる。このもっとも具体直接的な反応は、火熱の祭式的認識をもとにしている。「相生の松」や神社の神木・能舞台の松羽目なども、火から出発する人間心意のシンボルが、聖樹崇拝という定義におきかえられていることがわかる。祭のさまざまの表現には、祭式のもつ本質がかくされているので、数多くの体験によって、その祭のポイントをつきとめなけれはならない。古くからつづく祭は現代のいわゆる商工祭やショウ・娯楽などとは全くちがう。生存維持に対する精神的な体験であり、原初の哲学である。したがって、祭は神話を具体化した演出をもち、神話は、祭の存在することによって意義をもつことになる。それゆえ、一国の文化の性格を知るには、祭と神話をまず知ることである。現象の背後に横たわる根源的なものをとらえる時に、民族固有の信仰は時間と空間をこえて、人間の文化として認められるのである。
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