さぶやんの何でも古事伝承研究”山神様からの伝言

失われていく民間伝承や史跡などを記憶していきます。

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木曽の山林

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木曽の山林
(「日本文化の遺産」民族文化研究所編)

 山また山の木曾路は、豊富な森林によって、古来重要視されてきた。ここは木曾村から南流する木曾川と、日本海へ向かう梓川を分ける高地にあたる。
 木曾の山を主とした大森林、即ち御嶽山を中心に四囲に広がる一帯と、木曾駒ケ嶽西麓一帯、表木曾・裏木曾の称のある信濃・飛騨・美濃の三国にわたる面積はおおよそ二〇万町歩といわれ、木曾川・飛騨川の水源地を擁している。江戸時代には木曾は尾張藩領で、代官山村氏にょって支配され、館が木曾福島に置かれ、幕府直轄の関所も設けられていた。代官はこの関所を守るかたわら林政も司っていたが、覚文元年(一六六一)、林政は尾張藩の直轄となり、材木奉行が任命されて、藩の山林政策が確立された。
 ヒノキ・サワラ・アスナロ・コウヤマキ・ネズコを木曾の五木といい、ヒノキ・サワラを主林木として、木曾美林は形づくられている。これらの五木は留山制度により地元住民には伐採が禁止され、もしこれを犯す者があれば直ちに斬罪に処せられた。一面住民の日常生活に必要な家具材、家屋の造作材、薪炭の類は割合自由に伐採が許されていたが、享保元年(一七一六)には、これら停止木のほかに新たにカツラ・カシ・ケヤキ等が停止木に加えられ、ますます厳重を極めたため、今日のこの栗林の基礎が固められたのである。


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