神父が昔話をするようにさまざまな殺人の記憶を語りかけてくる、これぞミステリー小説という組み立てで、美しい。


物語はどれも、事実は、箇条書きした殺人の証拠たちを組み立てて出した答えとは、必ずしも限らないことを語る。重要参考人が黙っていたとしても、それは罪を犯したからではなく、別の信念のためかもしれない。決めつけてしまうと、真実を間違う。


ブラウン神父は犯人の気持ちに寄り添って、犯人の心になって犯人を見つけ出す。全く論理的でない方法で、証拠の積み重ねから推理したりはしない。それはとても荒唐無稽に見える。でも、なぜそうなったのかを考えるときに、そうなった事実と、そうなったときの状況だけ考えても意味がないことは多い。


いつもならしない、いつもならそうならないことも、そのときだけそうなることがある。それは、その人に心があるから、感情があるからなのだと感じることはある。
例えば働いていて、ふだんなら絶対にしないミスをしたときなどに思う。事実に感情は大事な要素で、でもそれはそのときの瞬間的なもの、その人にしかないものだし、証拠として残らない。ブラウン神父が大事にしているものは、目には見えていないそこの部分なのかなと思った。

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『火花』感想文

人を笑わせるのは難しい。意図的に笑われる。意図的にばかにされる。しかし、笑ったほうも、笑われたほうも、うまくいったら、その数分間はかなり楽しいものになる。笑わせる快感は、どのようなものなのだろう。


ただ、私はその人を笑わせる世界に飛び込む人の気が知れない。「何かおもしろいこと言ってよ」が通常運転の職業なんて、考えただけでストレスである。


主人公の徳永は、どんな職業の世界でも生きていけるように見える。不器用でも、真面目に取り組む。四苦八苦してがむしゃらに仕事に向き合っている。もし彼が後輩にいたら、私だったらきっと好感を持つし、大切に大切に育てたいと思う。


神谷は、どこにも行けない人だと思った。後輩にいたら、1週間もしないで仕事に来なくなりそうで不安だ。きっと、このお笑いという世界の中から一歩も出られない人。かわいそう。


瞬く間に売れていった鹿谷という男もそうだろう。顔がおもしろいから、何をやってもおもしろい。ミスをしたらそのミスが笑いになる。おもしろくないのがおもしろい。ただ、ミスが笑いに変えられる世界は、ほぼない。この人もお笑いの世界でしか才能を生かせない。


ただ、それが欲しかった人にとっては、強烈に眩しい存在だ。徳永はきっと、普通の世界で普通に生きていける自分に、ずっと気がついていて、ずっと腹が立っていたのだろう。


それでも納得のいくまでお笑いの世界でがむしゃらに頑張った人には、最後の舞台まで、ちゃんと笑ってくれる人たちがついてくる。彼らにとってそれが敗北だとして、それに意味がないとは思えない。


こうして人生の第1幕を終えても、嫌でも幕が上がる。笑ってはもらえない。ばかにはされるかもしれない。多分拍手ももらえない。


それでも確かにあった火花のような人生の一瞬のきらめきが、閉じ込められた作品だった。

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高校生のころ、どうしても太りたくなかった。それで、飲み物も食べ物も全部、何ミリリットル、何グラム、量をはかりながら飲んで食べた。夜6時までには食べて、それ以降は水分もとらなかった。


今思うとちょっとだけおかしかった。しかし、そのときはかなり真剣だった。本気だった。それを何のきっかけでやめたのかは覚えていない。ただ、そういうやり方が正しいと思っていた。


今は、そんな生活は無理だ。仕事でその時間に御飯は食べられないし、お酒は夜に飲みたいし。


この小説を読んで、大人になるのは、少し自分にだらしなくなることなのかもしれないと思った。それをいい言葉で言い直して、許せることがふえたみたいな感じでしょうか。

あのときの自分も、今となっては世間知らずでばかでかわいそうでかわいい。謎のルールの中で生きるのに必死だった。わけのわからない方向に頑張っていた。


こうありたい自分と、そうなれない自分とのギャップの中で、必死でもがく患者たち。私はこの人たちのことを笑えないし、笑わない。こういうことは、誰にでも起きる。私も一歩間違えれば、こうなっていたかもなと思う。


伊良部先生ははみ出していることを気にしていない。ばか丸出しでも気にしていない。だめな大人。ある意味、患者たちの憧れである。


だから伊良部先生が患者に教えてあげる、ちょっとはみ出した生き方は納得できた。だめな自分を許す。だめな自分を愛する。だめな自分を認識する。そうすると、自分に少し諦めがついて生きるのが少し楽になる。

きょうもまだだらだら晩酌をしている。どうだ、きょうもちゃんとだめだぞ、私は。あのときの必死な私、ごめん。でも、ありがとう。そんな気持ちになる小説だった。

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おもしろい。おもしろいけれども、ここまで書いてもいいのかと、正直戸惑った。うまいことは言えないが、できごとが派手過ぎず、どこまでがリアルでどこからが創作なのか、境界がかなり曖昧にできている。


トヨトミを「象徴」にしようと画策したことがばれた武田の、社長からの退任。それだけでこんなすごい人をあっさりと、とは読んでいる人間の感想でしかないのだが、どんな才能も、求められた枠からはみ出そうとすれば、すぐさま切られる。社長でもまさに「使用人」で、それ以上でも以下でもない。


市の名前から、教育から、就職先から全部トヨトミ。トヨトミは宗教。そこから逃げ出した安本の妻の気持ちは何となくわかる。外の世界では、自分の信じていた神様を誰も信じていなかったと気づいたのだ。むしろその存在すら曖昧なのだと。


でも、キリスト教まで、あるいは仏教までいけば。宗教であることは、限りない可能性を秘めていることとも言える。そう思うと、ぞくぞくする。この先の未来に何が起きるのか、現実世界から、物語の行く末を見守っていきたい。

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『友情』感想文

とにかく明るい結末。もっと暗く、どろどろになるのかと思った。


杉子の手紙は正直だと思った。本当は別に三角関係じゃない。主人公以外にも杉子のことを狙っていた人はいた。杉子にとっては主人公もその他大勢の一人にすぎない。そもそも大宮一直線なのだ。


ただ、主人公が大宮にとって特別な存在だったから、三角みたいに見える。友情が話をややこしくしている。それだけに、杉子は自分のことを好きになった主人公が本当に邪魔だったのだろうなと思う。


ただ、主人公と大宮の間に友情があるおかげで、最後は友情が壊れる覚悟で本音をぶつけ合う。それぞれ決断をして前を向く。友情が壊れるかどうかは、その選択を託された主人公次第。『こころ』みたいにならなくてよかった。

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